元『りあるキッズ』長田融季「消えた7年」を独占告白
競馬、競艇、麻雀……あらゆるギャンブルにはまり膨らんだ借金は1億円 吉本興業を退社、コンビも解散!「未来のダウンタウン」と呼ばれた男は、転落から復活できるのか
「借金が膨れ上がっていたときのことは、あまり記憶にないんです。頭にモヤがかかっている状態と言いますか……返済に追われる毎日で、とにかく利息のことで頭がいっぱい。心の余裕はまったくありませんでした」
歯切れの良い語り口は昔のままに、しかし外見はすっかり大人になった長田融季(ながたゆうき)(35)は、芸人時代をそう振り返った。
’96年に放送されたオーディション番組『輝く日本の星! 次代のダウンタウンを創る』(TBS系)で、当時小学5年生だった長田は「未来の浜田雅功」として才能を見出された。同年、同じく番組に出演していた同級生の安田善紀と『りあるキッズ』を結成。
’98年に吉本興業所属として正式デビューした二人は数々の賞レースで優秀賞を獲得し、18歳のときには史上最年少で『M-1グランプリ』決勝にも進出した。三池崇史監督の映画『岸和田少年愚連隊 望郷』に主演、NHKの朝ドラ『まんてん』にも出演するなど、長田はまさしく時の人だった。
「デビューしてからすぐにテレビ番組のレギュラーやドラマが決まり、実家の大阪を離れて東京のホテルで一人暮らしをしていました。ドラマの撮影の合間を縫って、ホテルの電話で相方とネタ合わせをしたり。当時は中学生でしたが、ホントに忙しかったですね。芸能界というところにどっぷりハマり、有名タレントと付き合ったりもしていました」
10代にしてスターダムを駆け上がった長田だが、一方でプライベートでは破天荒な浪費生活が始まっていた。
「年上の後輩芸人を誘って、毎日のように飲みに行ってました。パチンコ、麻雀、競馬、競艇……博打という博打にはほとんど手を出していましたね。博打にハマったきっかけというものはありません。もともと好きだったんです。1レースに数百万を突っ込むなんてこともしょっちゅう。もちろん収入に見合う遊び方ではないので、消費者金融から借金をして元手を作ってました」
10代が終わり年を重ねるにつれ、徐々に仕事は減っていった。しかし、ギャンブルからは抜け出せなかった。知り合いの社長、友人、先輩芸人、芸人仲間の友人、はては初対面の人にまでカネを借りまくった。多くは高金利だったため、雪だるま式に借金は膨らみ続けた。
「返済のために知人から借りて、そのカネを返すためにまた別の人から借りて……という生活になっていきました。気づいたら借金は1億円以上に膨らんでいて、利息も多いときには月に600万円ほど支払わないといけない時期もありました。怒った債権者が僕の家の壁にマヨネーズをメチャメチャにぶちまけたこともあったし、ライブの後に出待ちされて車で拉致られてボコボコにされたこともありました。債権者から『殺すぞ』と脅されて『もう殺してくれ』と思ってました」
朝から晩まで、利息分のカネを持って債権者のところをバイクで回る生活。深夜2時から朝までのわずかな時間だけが、気の休まる瞬間だった。返済を迫る電話が鳴らないからだ。
「朝までずっと映画を観てました。完全に現実逃避ですね(笑)」
’14年、借金問題が原因となり、吉本興業との契約は解除となった。『りあるキッズ』も解散となった。表舞台から姿を消してから、長田はどこで何をしていたのか。
「芸人を辞めてからは、大阪の家を引き払って東京に引っ越しました。生まれて初めて自分で履歴書を書いて、建築や内装関係の現場仕事をしていました。借金は弁護士に相談をしました。債権者との話し合いを重ね、昨年、最終的には自己破産という形になりました。もちろん自己破産が卑怯(ひきょう)なことはわかってます。債権者にも自分のせいでコンビが解散になってしまった相方にも、謝っても謝りきれません。本当に反省しています」
そんな長田が突如としてYouTubeに借金問題を謝罪する動画をアップしたのは今年2月27日のこと。動画内では芸人としての再起を誓う言葉もあった。「消えた7年」の末、長田はユーチューバーとして活動していくことを決めたのだという。
「今でもしゃべりで人を笑わせることが大好きなんです。芸人を辞めてからも、その気持ちだけはずっと変わらなかった。30歳を過ぎて、自分のことを客観的に見れるようにもなりました。芸人としての才能が大したものではないことも自覚しています。それでも、もう一度『こいつ、おもろいやん』と言われたい、その一心でYouTubeで活動することを決めました」
『キッズ』ではなくなった長田の挑戦の行方はいかに。





『FRIDAY』2021年3月26日・4月2日号より
撮影:小松寛之(インタビュー写真)