大逆転ヒットの予感⁉大河『青天を衝け』と『鬼滅の刃』の共通点
離脱するのはまだ早い! 劇場版『鬼滅の刃』との3つの共通点を検証
コロナ禍の影響を受けて約2ヵ月遅れとなり、満を持してスタートした大河ドラマ『青天を衝け』。初回放送の視聴率は20.0%と、2013年の『八重の桜』ぶりとなる20%台の数字を叩き出したが、その後は回を増すごとに下降している。
しかし、この作品は昨年大ヒットを記録して、
3つの共通点を紐解くことで、『青天を衝け』がヒット作に昇華する可能性を考えてみた。
強く生まれた者、上に立つ者の使命を全う
1つ目の共通点は、「両親の教えに則り、自分の信念を守っている」点だ。
「心を燃やせ」
「俺は俺の責務を全うする。ここにいる者は誰も死せない」
この熱すぎる名言は、劇場版『鬼滅の刃』無限列車編で煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)が放った言葉だ。これには、煉獄が幼い頃に母から教えられた、「多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばならない」、「弱き人を守ることは強く生まれた者の責務だ」という教えが強く影響している。
この教えを守り、煉獄は、いくら切りつけても再生・復活する敵にひるむことなく戦っている。
心の底から「弱い者を守るために戦うことが使命だ」と考えていたからこそ、ある意味ではこっ恥ずかしいともいえるセリフでも多くの人々の胸を打ち、揺れ動かすことができたのだろう。
一方の『青天を衝け』では、主人公の渋沢栄一少年(小林優仁)は父の市郎右衛門(小林薫)から「『君を致す』とは、上が正しい政をし、みんなに幸せをもたらすということだ」、「上に立つ者は下の者への責任がある」と教わっている。そして、母のゑい(和久井映見)からは「1人が嬉しいではなく、みんなが嬉しいのが一番」とも。
栄一少年はこの教えを守り、第1話の終わりでは、捕らわれの身となった高島秋帆(玉木宏)に「このままではこの国は終わる。どうすればいいか、わからない」と言われた際に、「俺がこの国を守ってやる」と返している。
また、第2話では村祭を返上して藍刈りや養蚕に追われる中、従兄弟と一緒に祭りに欠かせない獅子舞を踊り、村人を楽しませている。さらに第3話では、藍畑の葉が虫に食われて使い物にならなくなると、代わりとなる藍葉を手に入れるため、父に代わって信州へ買い付けに出た。
どちらも弱い立場や困っている人のために、自分のできることに努めている。単純だけど、こういった真っ直ぐな信念を持ち、ブレることなく前進していく人物に、私たちは好感を持ちやすい。さらに、目標に向かって訓練を続けて、実力を上げていく様子や勝負に挑み勝利する姿を見るとスカッとする。
そんな「実力を身につけて戦い挑んでいく」ことが2つ目の共通点だ。
炭治郎は剣術を鍛え、栄一は商才を身につける
「自分の進む道をひたすら精進し邁進する」ことは、とてもシンプルだが価値は大きい。鍛錬を重ねて徐々にレベルアップしていき、バッサバッサと敵をなぎ倒していく姿は、見ていて清々しい気分になるからだ。
炭治郎は、狭霧山での修行を皮切りに、命を賭けて挑んだ選別試験をパスして鬼殺隊に入隊。機能回復訓練で全集中の呼吸(全集中・常中)を会得して、無限列車編での死闘を通して、心身ともにパワーアップした。まだ映像化はされていないが、その後も修業に励んでレベルアップを重ねて、さらなる強敵に挑んでいる。
ここで忘れてはならないのが、炭治郎がより強くなるために、どのような修行を行っていたのかが具体的に示されているということ。一瞬にして半年や一年が経ち、「パワーアップしたから旅を再開するぞ!」とはなっていない。
対する栄一は、幼い頃から勤勉家で厳格な父親の背中を見つめ続け、従兄弟の尾高惇忠(田辺誠一)からは学問や剣術を学んできた。仲間や大切な人を守りたいという真っすぐな気持ちの元で商才を身につけていき、前述した第2話で父に代わって一人で信州へ藍葉を買い付けに出た。
畑に着くと、藍葉の出来不出来を瞬時に見抜き、次々に品質の高い藍葉を買い付けた。そんな栄一の元には、イマイチな出来の藍葉を持ち寄る農家もいたが、それらも相場より高値で買い、「代わりに十分な肥料をやって、来年はいい出来の藍葉を作って売ってほしい」と先行投資もした。
主人公の成長過程を見られるのは、RPGゲームにも似ている。力をつけて、仲間を増やして、敵を倒していってゴールを目指す。こういった過程を見せることで視聴者は自然と応援側にまわる。そして、勝負に勝ったときや窮地をうまく切り抜けたときに、ゾクゾクするような高揚感に浸れる。
成長過程にある主人公の前に立ちはだかる敵は、大きければ大きいほどいい。そんな「手ごわい敵」が、3つ目の共通点だ。
主人公の行く手を阻む敵や理不尽
『鬼滅の刃』の敵はシンプルで、鬼舞辻無惨をはじめとする十二鬼月(じゅうにきづき)といった面々だ。基本的には太陽の光を浴びるか首を切らない限りは死ぬことがない上に、異能という特殊能力を持つ。無限列車編では、下弦の壱の魘夢と上弦の参の猗窩座(あかざ) という強敵が立ちはだかった。
一方、『青天を衝け』の中での栄一の敵は、頑固で理不尽な社会構造、貧乏など歴史的背景を発端とすることが多い。それもそのはず、 江戸時代末期の日本は、凄まじいうねりの中にあったのだ。日本の中枢である幕府は跡継ぎ問題に悩まされながら、討幕を企てる志士や藩士と争い、アメリカから開国を迫られるという、まさに八方塞がりの状態。そんな大混乱の時代において、身分の低い人々の暮らしがよくなることは期待できない。
現代よりも、不条理や理不尽なことがまかり通る時代だったため、栄一自身(吉沢亮)も第4話の中で身分制度による厳しい縦社会の洗礼を受けた。父の代わりに訪れた地元の大名屋敷で、年貢とは別に大金の御用金を命じられた際に、「父に確認した後で返事をしに来る」と、とんちの効いた返答で役人に切られそうなったのだ。
その後、道理に合わない無茶な命令を下されたことへのやるせない気持ちを「悲憤慷慨(ひふんこうがい 世の中の悪や理不尽なことに耐えきれずに憤慨するという意味)」だと知った。すると、世の中がよくなるにはどうしたらいいのかと、政治や世界の動きにさらなる興味を持つことになる。
近年の大河ドラマは戦国よりも幕末の方がとっつきにくい傾向にある。登場人物の多さ、入り組んだ派閥や人間関係、それぞれが仕掛ける策略に忖度など。とにかく情報量が多いのだ。途中で離脱したくなる気持ちもわかるが、今回上げた3つの共通点をうまくドラマ内に散らすことができれば、最後まで期待感やワクワクを保つことができるのではないだろうか?
両親の教えに則った信念を守りながら、自分の選んだ道で実力をつけて上を目指す。節目節目に手ごわい敵が現れて、行く手を阻まれても、ゴールへの歩みを緩めることなく試行錯誤しながら突き進んでいく。
優れた経済観を持ち、日本の「富国強兵」の「富国」を担った渋沢栄一だからこそ描ける痛快な一代記になることを期待したい。
文:安倍川モチ子
WEBを中心にフリーライターとして活動。現在は、「withnews(ウィズニュース)」「Business Jounal(ビジネスジャーナル)」などで執筆中。また、書籍や企業PR誌の制作にも携わっている。専門分野は持たずに、歴史・お笑い・健康・美容・旅行・グルメ・介護など、興味のそそられるものを幅広く手掛ける。