関西万博 デザイナーが明かす「目玉だらけのロゴができるまで」 | FRIDAYデジタル

関西万博 デザイナーが明かす「目玉だらけのロゴができるまで」

シマダタモツ氏(56) たまたま応募したらまさかの採用 経営危機から一発逆転

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「正直、会社の経営は相当厳しかったです。ホンマ、どん底でしたよ」

デザイナーのシマダタモツ氏(56)は、しみじみとそう振り返る。

ロゴマーク発表当初は賛否両論巻き起こった。シマダ氏は「注目され万博の関心が高まってくれれば嬉しい」と語る
ロゴマーク発表当初は賛否両論巻き起こった。シマダ氏は「注目され万博の関心が高まってくれれば嬉しい」と語る

「キモい」「いやいや可愛い」と、賛否両論が巻き起こったあの目玉だらけの万博ロゴが決まってから早や半年。’25年の「大阪万博」開催まで1500日を切り、地元ではジワジワと盛り上がりを見せている。

ロゴマークを考案したシマダ氏は、大阪生まれの大阪育ち。デザインの専門学校をわずか1ヵ月で中退した後、大手デザイン事務所で働き、20代半ばで独立した。’08年に朝日放送のロゴを考案するなど、仕事は順調だった。しかし、大阪万博のロゴが採用される前は、デザイン事務所の運営は大ピンチだったという。

「紙の印刷物が主流だった頃は、まだ景気がよかったんです。たとえば、ファッションのカタログ。100ページ以上あるものを春夏秋冬シーズンごとに依頼いただいてました。いわゆる数字が読める仕事が、デジタル化によって徐々に減ってきたという印象です」

万博ロゴマークの公募は’19年11月に始まった。期間はわずか半月。シマダ氏はスタッフやフリーランスの仲間ら5名とともに、事務所の所在地・浪速区稲荷からとった「TEAM INARI」の名で3案を提出した。

「万博のとき、僕は60歳。こんなオッサンがやってええんかな、という思いがあったので、最初は僕のオリジナルは出さないつもりだったんです。でもチームで作業しているうちに、自分も作りたくなりまして(笑)。3案のうち一つに僕のデザインしたロゴマークを入れました」

提出後、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化。取り巻く状況はいよいよ厳しくなった。

「仕事はピタッと止まりましたね。もともと、僕は定期的な仕事というより、単発で依頼をいただくことが多かった。しかし、コロナによってイベントなどが軒並み中止や延期になってしまって。こちらから営業にも行けないし、落ち込みは激しかったですね」

事務所を継続できるのかというところまで追い込まれた。先が見えなかったところに、昨年8月25日の万博ロゴマークの採用発表の日を迎えた。

「光が差しました。まだ完全に盛り返したとは言えませんが、お仕事の話も徐々にくるようになった。地元のメシ屋に行くと、『世界のシマダが来た』と声をかけてもらったりもしますよ。バレンシアガの真っ白なパーカーにサインを求められたこともある(笑)。受賞後はこちらも楽しませてもらってます」

賛否両論のロゴマークに、シマダ氏はこんなメッセージを込めているという。

「シンプルでキレイなモノというイメージはなかった。僕が考えたのは静より動。今にも動き出しそうなものにしたかった。万博のキーワードである『共創』から、個の繋がりをイメージしました。それぞれに個性を持たせるために、形を変え、核(目玉)をつけた。色は水都大阪のブルーと命のレッドで落ち着きました。公募の締め切り時間ギリギリに提出したのを覚えています」

見慣れてくると確かに可愛げのあるシマダ氏のロゴマーク。大阪万博が近づくにつれ、日本中でこのロゴマークを目にする機会が増えそうだ。

大阪・関西万博のイメージ図。ドローン型の「空飛ぶクルマ」での移動やアバター(分身)のオンライン参加を実現する計画だ
大阪・関西万博のイメージ図。ドローン型の「空飛ぶクルマ」での移動やアバター(分身)のオンライン参加を実現する計画だ

「FRIDAY」2021年4月9日号より

  • 写真加藤 慶 共同通信(2枚目)

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