ミャンマー国軍はなぜ市民に銃を向けるのか…驚愕の「殺戮の歴史」 | FRIDAYデジタル
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ミャンマー国軍はなぜ市民に銃を向けるのか…驚愕の「殺戮の歴史」

ミャンマーで今、起きていることの背景には〜軍事ジャーナリスト黒井文太郎レポート

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ミャンマーで流血の事態がエスカレートしている。2月1日にクーデターを起こした国軍に抗議する市民のデモ隊に対し、国軍と警察治安部隊が実弾で攻撃。今日までに確認されただけで、500人以上が殺害されている。現地から発信されている動画には、最初から殺害する目的で躊躇なく銃撃している場面もある。「上官から、とにかく殺せと命令された」という脱走兵士の証言もある。

一方的に人々を残虐に殺害するミャンマー国軍とは何なのか? なぜこれほど「簡単に」国民を殺戮するのか?

「とにかく殺せ」ミャンマー国軍の民衆への弾圧が激化している。ミャンマー国軍の殺戮の歴史、軍人たちのカルト的洗脳、スーチー政権の実態。軍事ジャーナリスト黒井文太郎があらゆる情報を分析する AFP/アフロ

殺戮が「日常茶飯事」の戦闘集団

ミャンマーは第2次世界大戦終結の3年後の1948年にビルマとして独立した。当時から国軍は大きな力を持っており、さらに1962年のクーデターで社会主義のネ・ウィン軍事政権が誕生すると、冷戦期を通じて長期政権を維持した。国軍はビルマ国内で君臨する特権集団であり、それゆえに軍内部の監視・統制は厳しく、結束は固かった。

ネ・ウィン独裁政権の間、国軍は、国内に20グループ以上もある少数民族各派抵抗組織との戦いを続けてきた。同国では多数派のビルマ族が約7割で、その他の3割が少数民族だ。

少数民族各派ゲリラは、大きくわけて2つの系統があった。1つは中国との国境地帯を拠点とし、中国との関係が深い「ビルマ共産党系の武装グループ」各派で、もう1つはタイとの国境地帯を拠点とし、タイとの関係が深い「反左翼系の武装グループ」各派だった。

こうした少数民族各派ゲリラと国軍との戦いはきわめて苛烈なもので、その過程で国軍は、一般の少数民族系住民も多数殺戮してきた。つまり国軍は、この間、常に実戦を戦ってきた軍隊であり、「殺戮が日常茶飯事の戦闘集団」でもあったのだ。

ミャンマー市民に対する武力弾圧はいわば「日常茶飯事」だった

1988年の民主化運動でも、数千の民を殺害した

冷戦末期の1988年、軍事独裁体制の打破を求める大規模な民主化運動(8888民主化運動)が発生し、ネ・ウィンは退陣する。が、国軍は民主派のデモを武力で弾圧し、数千人を殺害した。つまり、現在と同じような民主派デモ殺戮を、このときすでに実行していたのである。

現在のミャンマー(1989年に国名改称)国軍の上級幹部の多くは、この「民主派殺戮」のとき、若手将校時代を過ごしている。

その後、1990年の総選挙でアウンサン・スーチー率いる野党「国民民主連盟(NDL)」が圧勝するが、軍事政権はその結果を認めず、民主派弾圧を継続した。

軍事政権トップの国家法秩序回復評議会(SLORC)議長(国家元首)兼国軍最高司令官は1988年から92年までをソウ・マウンが、1992年から2011年までをタン・シュエが務めた。その間、1997年に軍事政権の最高機関SLORCは、国家平和発展評議会(SPDC)に改組されている。

民衆デモで犠牲になった市民は500人を超えた。そんななか行われた軍事パレード、豪華なパーティに、国際社会の目は…

2007年の大規模デモでは、日本人ジャーナリストも犠牲に

2000年代に入っても軍事政権の支配は続いた。しかし、2007年には再び国内で大規模なデモが発生し、ミャンマーでは特別な地位にある僧侶も多数デモに参加した。僧侶の法衣の色から「サフラン革命」と呼ばれている。

しかし軍事政権はこれも暴力で弾圧し、数十人を殺害している。取材中の日本人ジャーナリスト長井健司氏も、このとき国軍兵士に殺害された。

その後、2010 年に再び総選挙が行われたが、「国民民主連盟(NDL)」はこれを「不正選挙だ」として不参加を表明、国軍の支持基盤政党である「連邦団結発展党(USDP)」が圧勝した。

その結果、2011年にSPDCが解散して民政移管が行われ、USDP党首だったテイン・セイン前首相が大統領(国家元首)に就任した。もっとも、テイン・セインは、タン・シュエに近い元軍人であり、NDLが排除された政権は「民政」というにはかなり制限されたものだった。

それでも、テイン・セイン政権は、民主派との和解を進めた。2015年の総選挙ではNDLが勝利し、翌16年、ようやくスーチーらNDL中心への政権交代が実現したのだ。

ただ、表向きは「民政」といっても、同国における国軍の影響力は絶大で、スーチーら民主派勢力も、国軍の意向を無視することはできなかった。

タン・シュエ政権時代の2008年に新憲法が制定されていたのだが、そこでは「各議会の4分の1の議席を軍人枠とする」ことや、「国軍最高司令官が国防相、内務相、国境相など武力を運用する閣僚を指名する」こと、さらに「非常事態宣言で国軍最高司令官に全権が与えられる」ことなど、ミャンマーの政治機構における国軍の優位性が明記されていたのである。

また、同憲法ではスーチーを警戒して「外国籍の家族がいると大統領に就任できない」との規定も作られていた。そのため、2016年に発足したNLD主導の文民政権では、NLD党首のスーチーは大統領に就任できず、代わりに「国家顧問」のポストに就任した。

その後、ミャンマーの政治はスーチー国家顧問が主導したが、国軍も前述したように隠然たる影響力を維持した。その中心人物が、2011年のタン・シュエ引退で国軍最高司令官の地位を継いだミン・アウン・フライン。彼こそが、今回のクーデターの指揮官だ。

少数民族の虐殺を、スーチーらは止められなかった

国軍は1989年から90年代半ばにかけて、各少数民族武装グループとの停戦を進めていたが、2010年代に入り、いくつかのグループと戦闘が再開している。現在も戦闘は続いており、国軍はときに村々を空爆するなどの作戦まで実行している。
そんななか国際的にも大問題になったのが、2016年から始まった西部のバングラデシュ国境エリアに住むイスラム教徒のロヒンギャ人に対する国軍の虐殺行為だった。
発端はロヒンギャ人の武装グループ「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」との戦闘だったが、国軍はまもなく非武装の一般のロヒンギャ人住民に対する非道な殺戮を開始し、「当初の1か月で6700人以上を殺戮(『国境なき医師団』調査報告)」、さらに約70万人もの人がバングラデシュに難民として逃げた。

苛烈を極めた少数民族への弾圧

国軍による殺戮は地獄のようなもので、村への放火、掠奪、国軍兵士による集団レイプ、乳幼児の惨殺などが多数報告されている。そうしたまさに民族浄化そのものの虐殺作戦を進めたのはミン・アウン・フライン国軍最高司令官を中心とする国軍で、スーチー国家顧問ら中央政府は、それを追認することしかできなかった。

そして、そのような微妙な力関係のなかで、 2020 年11月の総選挙ではNLD が再び圧勝する。これを受けて国軍は「これ以上の民政は自分たちの権力にとって邪魔」と判断し、今回のクーデターを実行したわけである。とくにミン・アウン・フライン国軍最高司令官は次期大統領の座を希望していたが、スーチーが政治的取引を拒否したとの情報もある。

ミャンマー国軍が、国内最大の財閥という現状

こうして経緯を振り返ると、ミャンマーはこれまで、民政といっても、実際には国軍が裏の権力を保持していたことがわかる。そして、その国軍はもともときわめて暴力的で、自分たちに邪魔なものは徹底的に弾圧する本質を持っていたといえるのである。

国軍は約50万人もの兵力を持つ強大なもので、警察治安部隊もその指揮下にある。長年の国の支配者として、鉱業、エネルギー産業、金融業、建設業、大規模農場、各種製造業などの主要企業、さらに携帯電話会社、テレビ局、病院、学校なども所有している。2大財閥であるミャンマー経済公社(MEC)とミャンマー経済ホールディングス(MEHL)は、いずれも国軍の指揮下にあり、国軍自身が国内最大の経済力を誇る財閥集団であり、国内最大の地主でもある。この2社に対し、米財務省は3月25日、制裁を指定した。

幼い子どもまで犠牲になった今回の弾圧。解決への糸口は未だ見つからない

軍人たちは、閉鎖された世界で洗脳されている

3月28日付「ニューヨーク·タイムズ」が報じた国軍将校の証言によると、将校・兵士の大半は国軍の施設に居住し、組織内部では徹底した隔離、監視が行われているという。軍人は特権階級として軍内部での婚姻関係が多く、狭い人間関係に閉じこもっている。軍人たちは国軍が世界のすべてのように思っていることが多いのだ。

また、心理戦の訓練を受けた部門が、「民主派は犯罪者集団」「外国が反乱を扇動している」などの陰謀論を内部で拡散しているともいう。まるでカルト教団のような管理・洗脳である。

現在、現地から伝えられる国民への残酷な暴力行為は、こうした背景から必然的に生み出されてきているのだ。

長年にわたってミャンマーの軍部と良好な関係を続けてきた日本政府は「国軍指導層とのパイプを持っている」と盛んに報道されているが、残念ながら、日本政府の説得くらいでは、国軍内部の良識派に弾圧停止やクーデター撤回などを期待するのは現実的ではなさそうだ。

黒井文太郎:1963年生まれ。軍事ジャーナリスト。モスクワ、ニューヨーク、カイロを拠点に紛争地を多数取材。軍事、インテリジェンス関連の著書や記事、テレビ出演も。最新刊『超地政学で読み解く! 激動の世界情勢 タブーの地図帳』(宝島社)>

  • 取材・文黒井文太郎写真AFP/ロイター/アフロ

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