ぜんそくで死の淵に直面した俳優・長谷川初範の告白 | FRIDAYデジタル

ぜんそくで死の淵に直面した俳優・長谷川初範の告白

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<病を甘く見てはいけない。「たかが風邪」で命を落とすこともある。多忙な芸能人ならなおさらだ。喘息で死の淵を見た長谷川初範の警告。>

「まだ僕が30代だったある日--高速道路のSAに立ち寄って、意識を失ってしまったことがあるんです。どのくらいの時間が経ったか覚えていませんが、しばらくして意識が戻り、ようやく起き上がることができた。はたから見れば、車の中で寝ていただけにしか見えなかったでしょうが、あれが運転中だったら死んでいたかもしれない……恐怖を感じました」

舞台やドラマなどで活躍する実力派俳優、長谷川初範(65)が死を意識した病は「喘息発作」だった。

「喘息と聞くと死をイメージしづらいかもしれませんが、僕は25歳からの約20年間、医者もサジを投げるほど重症の喘息患者でした。医師をやっている友人は後に、こう教えてくれました。『長谷川が喘息と闘っていた20年間で約10万人もの喘息患者が亡くなっている』と」

35歳のとき、”フジ月9”の名作『101回目のプロポーズ』で浅野温子の亡き恋人役を演じ、長谷川は一躍、人気俳優となった。それから睡眠時間3~4時間というハードスケジュールが続いた。作品のなかではクールでダンディに振る舞っていた長谷川だが、実は『101回目のプロポーズ』の撮影中も、喘息発作に苦しんでいたという。

「撮影中は緊張しているので、発作がでることはありませんでした、しかし、撮影が終わりホッとしたとたんに発作が出る。夜どおし、発作で苦しんだ日もありました」

それでも撮影には何事もなかったようにして臨んだ。共演者やスタッフにいらぬ心配をかけまいという一心だった。

「『喘息発作が起きたら? 我慢しろよ』などと言う人がいるくらい、喘息という病気は軽く見られていた。ツラさが世間に認識されていませんでした。当時の薬は効き目も弱く、医師も『いまより悪くなることがあっても良くなることはない』と突き放す。『どうしたらそんなひどいことが言えるのだろう』と怒りにも似た感情を抱きました」

人知れず喘息と闘っていたある日、長谷川はまさに死の淵に直面する。

「いつもどおりバイクに乗ってたんです。気づいたら、普段ではありえないぐらいスピードを出して走っていた。コントロール不能になる直前でハッと我に返って事なきを得たのですが、何かが『覚醒』したように猛スピードで走っていた。どうして無意識にあんな危険な走行をしたのか。よくよく考えると、喘息治療の最後に、強めの薬を投与されたことを思い出した。このままじゃ命が危ないと薬を捨てる決心をしました」

日々、喘息と闘っていた30代のころの長谷川。旅行先のNYにて
日々、喘息と闘っていた30代のころの長谷川。旅行先のNYにて

「横浜弘明寺呼吸器内科クリニック」の三島渉理事長が解説する。

「喘息は子供のころに起きるとは限らず、長谷川さんのように大人になってから発症する方も多い。子供のころは無症状でも、大人になってから風邪やストレスなどの要因が重なり発症するのです。長谷川さんの経験はまさに喘息治療の歴史が反映されたもので30~40年前は喘息治療は確立されておらず、確かにその間には約10万人ほどの喘息患者さんが亡くなっています。

当時の薬は気管支を広げるものが主でした、しかし、その薬では交感神経が優位(活発)になってしまい、長谷川さんが『覚醒』と感じたことも起きうるのです。現在は、喘息はきちんと治療すれば、問題なく日常生活が送れます。落ち着いているからと治療を中断せず、継続することが大切です」

薬を捨てる覚悟を決めた長谷川は「いまやれることは何でも挑戦しよう」と「タイガーマスク」こと、格闘家の佐山聡を訪ねた。

「佐山さんに『私の喘息は治りますか』と聞いたんですよ。そうしたら『治るよ!』と力強く答えてくれて……その瞬間、『僕は”治る”という一言が聞きたかったんだ』と気づいた。希望が湧いてくるのを感じました」

喘息の影響で一般男性の肺活量の1/3程度しかなかった長谷川はまず、基礎体力をつけることから始めた。

「最初の1~2ヶ月は、稽古に必要な基礎体力をつけるだけで精一杯。1年弱、稽古に通い、それに伴って喘息は徐々に改善していきました。喘息が落ち着き始めたころに新薬を試し、喘息がさらに改善した。自分でも海外の治療例などを調べていたのですが、『シムビコート』という吸入薬が開発された際、『これだ!』と思い、病院へ相談へ行きました。そして医師に処方してもらい使い始めたところ、僕にはぴったりと合っていたらしく、喘息発作の頻度も劇的に減ったんです」

喘息の不安から解放されつつあったころ、 美輪明宏の『双頭の鷲』への出演依頼があった。アンカーの役として美輪から直々のオファーだった。丁重にお断りしようと三輪の楽屋を訪ねると「よろしくね」とハグされ、思わず「はい」と答えてしまった。舞台出演のため、体を整えることが習慣となり、それが喘息の回復にも効果を発揮した。だが、いまでも喘息発作に怯えた日々を思い出すことがあるという。

「人生で出会う現象はすべて必然だと感じています。喘息発作に怯えた20年間、いろいろなことを考え、文学から心理学、哲学書まで多くの本も読みました。そういった時間があったからこそ、以前よりも幸福感を持てるようになった気がします。人生には『粘り』が大切だと感じました。病気に対して絶望し自暴自棄になることは簡単です。しかし、『生きる』ということに粘り強く、こつこつと努力したことで喘息を克服することができました。自分自身を『頑張ったな』と思いますし、その粘りが生きる自信にもなっています」

20年春、新型コロナウイルスの感染拡大の影響によりわずか10回の上演で終了した伝説の舞台『ピサロ』が、今年5月からアンコール上演される。

「35年前に、山崎努さんと渡辺謙さんが演じた『ピサロ』を拝見し、『こんな舞台に立てたらいいな』と夢に見た舞台に出演が決まった時、感慨深く嬉しかったですね。昨年に続いてイギリス人演出家のウィル・タケットさんが演出します。イギリスにはシェイクスピアシアターという演劇の金字塔がありますが、そのスピリッツが伝わる作品となると思いますので、ぜひ多くの人に観ていただきたいです」

  • 取材・文吉澤恵理

    薬剤師・医療ジャーナリスト

  • 取材協力横浜弘明寺呼吸器内科クリニック

    https://www.kamimutsukawa.com/

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