故郷・福島に桜の名所を作る「いわき万本桜プロジェクト」のいま | FRIDAYデジタル

故郷・福島に桜の名所を作る「いわき万本桜プロジェクト」のいま

FUKUSHIMAを「被災地」ではなく「誰もが行きたい場所」にする250年計画〜黒井文太郎レポート【前編】

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今年、3月11日に向けて「あの日」の報道が増えていった。あの日のこと、それからのこと。絶望と希望、さまざまな思いが消費されていたように見えた。

そして4月。わたしたちはすでに、忘れかけていないだろうか。

2011年東日本大震災。大きな被害が報道されるなか、福島県いわき市では、「宇宙から見える桜並木を作りたい」と、桜の苗木を植え始めた人がいた。

いわき出身の軍事ジャーナリスト・黒井文太郎が取材した。

震災の悲しさ、悔しさから、故郷に「宇宙から見える桜並木を作りたい」と考えた一人の男性の思い。「いわき万本桜プロジェクト」は、壮大な計画でゆっくりゆっくりと進んでいる

軍事ジャーナリスト、故郷を取材する

「文太郎さんはいわき市出身ですよね。取材しませんか?」

FRIDAYデジタルから、そんな誘いがあった。普段は海外ニュースの解説などを寄稿しているのだが、やはり震災で被災した故郷には思い入れがある。

「やります。やらせてください!」と即答した。

取材先は「いわき万本桜プロジェクト」という活動だ。いわき市のほぼ中心地にある平(たいら)という町の東部に位置する神谷(かべや)地区に、世界一の桜の名所を作ろうと、震災直後から植樹を続けている人々がいる。活動はもう10年になるから、すでに見事な花が咲き誇っているというという。3月の最終日曜日に一般の人たちが参加する植樹会があるので、その機会に取材しようという話だった。

当日、午前9時前に現場に着くと、すでに多くの人が集まっていた。山奥ではなく、住宅地から少し離れた、田園広がるいわゆる里山である。神谷地区には伯母が住んでいたので、子どもの頃はよく訪れた。ただ、その里の外れにある山林は初めてだった。

そこには今、「いわき回廊美術館」がある。世界的に活躍する中国人の現代美術家・蔡國強氏の作品が展示されている。彼は80年代から90年代にかけての一時期、いわき市を活動拠点にしていたアーティストだ。

もっとも、美術館といっても建物はない。山林を拓いた傾斜地に通路が創られ、作品は屋外に展示されている。桜と菜の花が咲き誇るなか、眼下の田園風景を背景に作品を鑑賞できる。その美しい風景込みでのアート空間なのだ。

そこには他にも、少年ごころをくすぐるツリーハウスや、「アルプスの少女ハイジ」みたいなツリーブランコ、子どもたちが遊べる大型のトランポリンもある。屋外ステージが作られ、コロナ禍の前は野外コンサートなどのイベントも行われていた。それで入場料はとらない。公共施設でもないのに、すべて無料で楽しめるのだ。

いわき万本桜プロジェクトの植樹は、その裏手に広がる40ヘクタールの山林で行われている。森が伐採され、ちょうど花開いた桜が点在していた。活動10年で植えられた桜は、すでに4000本。もっとも、プロジェクトの最終目標は9万9000本なので、道はまだ遠い。

その日の植樹会の参加者は30組。乳児を除く子どもを入れて約70人だった。家族連れが多い。

僕ももちろん植樹に参加した。まず初めに検温、苗木の実費を支払って受付を済ませると、植樹の印として掌大のプレートに油性ペンで名前とメッセージを書く。スタッフから植樹方法のレクチャーがあって、それから各自に割り当てられた植樹の場所に向かった。

山道はそれほど急坂ではなく、歩くこと自体は子どもでも問題はない。指定場所には、2~3メートルほどの大型の苗木がまとめて置かれていて、周囲にすでにスタッフによって深さ50㎝ほどの穴が掘られていた。桜は地形に応じて適度な間隔で植える必要があるので、植樹の場所はあらかじめ決めておかないといけないのだ。

早くも「僕の桜」と思いながら植える

僕の桜は、置かれていた場所と指定された穴まで20mくらいの短い距離しかなかったのだが、土がついた根が重い大ぶりの苗木を斜面で運ぶのが結構きつい。近くにいたスタッフの荒川涼子さんが手を貸してくれた。

荒川さんはもともと地方紙「いわき民報」の記者で、現在はフリーのライターとしてこの活動に関わっているという。いわき民報は我が家でも購読していた新聞で、小学生の頃にいわき市出身の作家・吉野せい(代表作は『洟をたらした神』)の連載を読んでいた記憶がある。

この日は、他にも十数人のボランティアが参加しており、植樹の世話や参加者の昼食の準備などで忙しそうに駆け回っていた。

植樹の手順は、まず苗木の根が埋まる程度まで穴を深く掘り広げることから。そこに苗木を入れたら土を戻し、水をかけ、何度も棒を刺して空気抜き。さらに土をかけて固める。それから支え木となる杭を2本、交差するように地面に刺し、それに苗木を固定する。わりと簡単そうに見える。が。

紐の結び方がわからずに右往左往していると、隣の参加者がやり方を教えてくれた。平(たいら)北部の赤井地区から来たというその男性は、以前からこの場所に来ていたという。赤井地区は夏井川という二級河川を挟んで、僕が住んでいた平窪地区と接している。その夏井川は2019年の台風で氾濫し、多くの犠牲者を出す凄まじい大洪水をもたらした。作業しながら、当時の水害の話を聞いた。

桜の苗木を植え、水をたっぷりやって「植樹」完了。朝に準備していた名前のプレートを付けた杭をすぐ横に立てて撤収した。時間はちょうど正午だった。スタッフが用意してくれていたかまど炊きご飯のカレーライスをいただいた。

それぞれが「自分のため」と思って植える

何人かの参加者に話を聞いたが、地元いわき市だけでなく、さまざまな場所から集まっていた。東京から来たという女性は、もともとスタッフの知り合いの知り合いで、前日の準備の手伝いもしたという。

ジャーナリスト津田大介さんの姿もあった。いわき市にはもう何度も来ている津田さんは、以前からこのプロジェクトを手伝っていて、ここでライブコンサートを開催したりもしている。すでに「自分の桜」も植えたという。

「宇宙から見える桜並木を」という壮大な「いわき万本桜プロジェクト」は、ひとりの地元男性が始めた。会社経営者の志賀忠重さんである。志賀さんに話を聞いた。

震災後、双葉町などから避難してきた人にいち早く炊き出しをした。そして、ひとりで桜を植え始めた志賀さん。できることをやる、やりたいからやる、そんな志賀さんを慕って、今、多くの人が集まっている

ーどうしてこの活動を始めたのですか?

「2011年の震災で、いわきはしばらくの間、たいへんな物資不足になったんだよね。原発事故の影響で、配送車がいわきに入って来なくなったから。

私は千葉県の家族の家といわきを往復しながら、避難所での炊き出しを始めたんだげっど、故郷が人に嫌がられる土地になるようなことは悲しかったね。福島県出身者が他の県で差別されたりといった話もあったし。

それで、何か気分が明るくなることができないかと思って、家の近所の山に桜を植えた。それが始まり。そして、どうせやるなら将来は世界一の桜の名所にしたいなと。あのときは敬遠されていた故郷でも、いずれ誰もが『死ぬまでに一度は行きたい』と思うような場所になったらいいなと。そしたら、おもしろいじゃないの」

―それはいつ頃ですか?

「震災が3月で、その年の5月だね」

―はじめは何本?

「30本くらい。でも苗木は今のよりずっと小さいもの。桜は苗木が大きいほうが根付くので今は大型のでやってるけど、10年前はそんな余裕なかったからね」

―おひとりで?

「避難所で一緒に炊き出しやってた仲間が手伝ってくれたね。そして、やっているうちにボランティアの人や支援者の人たちが集まってきてくれた。それで地元の60人の地主さんたちにお願いして回って土地を確保してね。それと、もともと蔡國強さんとも付き合いがあったので、いわき回廊美術館もそういう流れで作ったんだよね」

―やってみて、手ごたえは?

「植樹は1人あたり1本でお願いしていて、もう今でだいたい4000本だからね。目標は『宇宙から見える桜並木』。9万9000本。この調子だと、植え終わるのは250年後だね」

―完成、見られないですね。

「そんなことはどうでもいいの。そのうち故郷がそんなふうになってくれればいいなあというだけだから。今はこんなことをやっているだけでいいんだよね。自分がやりたいことを、やりたいようにやってるだけ」

―思っていたより大変だったこともあるのでは?

「草刈りなんかの手入れだね。これだけの広さになると、あれがいちばん大変かな。もっとも全部は無理なので、できる範囲でしかやらないけど。

それとね、人が増えるといろいろ大変なことも増える。たとえば今は簡易トイレがあるけど、あれなんか業者の知人が無料でやってくれてる。そういうわけなので、本当はあんまり大勢の人にいっぺんに来てほしくないんだよ(笑)」

―手伝ってくれる人が増えると、人間関係の調整もたいへんですよね。

「いや、私は人に気は遣わないの。ボランティアの人にも言うのだけど、みんな自分自身のためだと思ってやってほしいんだよね。それぞれの人がみんな、自分のために参加してほしい。それが万本桜かな」

今年は「震災10年」ということで、3月11日前後にはさまざまなメディアが震災特集を報じた。復興プロジェクトなども含め「10年」という一区切りがついた面はたしかにある。けれども。

「いわき万本桜プロジェクト」は、まだ始まったばかり。なにせこれから250年も続くのだ。また夏のお盆休みのころに来ようと思う。僕の桜もきっとしっかりと大地に根を張り、青々とした葉を広げているだろう。

現代美術家・蔡國強さんの作品「廻光ー龍骨」。いくつもの作品が広い「美術館」に点在している

黒井文太郎:1963年生まれ。福島県いわき市出身。軍事ジャーナリスト。モスクワ、ニューヨーク、カイロを拠点に紛争地を多数取材。軍事、インテリジェンス関連の著書や記事、テレビ出演も。最新刊『超地政学で読み解く! 激動の世界情勢 タブーの地図帳』(宝島社)>

  • 取材・文・撮影黒井文太郎

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