スカウト注目の小園と松川の恩師は「プロ元首位打者の父」だった | FRIDAYデジタル

スカウト注目の小園と松川の恩師は「プロ元首位打者の父」だった

2015年プロ野球セ・リーグ首位打者の川端慎吾の父、末吉氏にインタビュー

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ネット裏に陣取るスカウトが改めて高い評価を口にした市立和歌山高・小園健太投手(左)と松川虎生捕手(写真:共同通信)
ネット裏に陣取るスカウトが改めて高い評価を口にした市立和歌山高・小園健太投手(左)と松川虎生捕手(写真:共同通信)

2年ぶりに開催された令和3年のセンバツは東海大相模のサヨナラ勝ち、劇的な優勝で幕を閉じた。

大会前から好投手が揃っていると注目されていた。中京大中京の畔柳、天理の達、東海大相模の石田、大阪桐蔭の松浦など。中でも筆頭格が市立和歌山の小園健太だった。

「ドラフト1位じゃないと獲得できないね」

「ストレート、変化球とも今大会ナンバーワン」

こんなスカウトのコメントがスポーツ新聞に載った。

そして野手のナンバーワン評価は同じ市和歌山の松川虎生捕手だった。このバッテリーが秋までの今年のドラフト戦線を引っ張っていく。

「こういう存在になると想像して高校に送り出しました」

こう語るのは小園・松川バッテリーを中学時代に育てた、貝塚ヤングの川端末吉監督(67歳)である。実は川端監督は、2015年、ヤクルトが優勝した年に首位打者にも輝いた川端慎吾内野手の父親だ。詳しくは後述するが、独特の感性で子供の個性を伸ばし、数多くの好選手を関西有力高校に輩出してきた。

貝塚ヤングは大阪府の南端、貝塚市にある中学生の硬式野球チームだ。

普段の練習は週末と平日は月曜日と水曜日に2時間程度のみ。子供たちの自宅などの自主練習に任せている。メニューは与えず、自分達で作って野球ノートで報告させる。基本は楽しんで、なのだそうだ。1年から3年まで試合に出られなくても、練習は同じメニューをこなす。

「だから、必ずうまくなっていく。公立高校ならうちで補欠でも、すぐにレギュラーになって楽しんでる子が多い」

監督はこう言って胸を張る。貝塚ヤングを辞める子はほとんどいないそうだ。

貝塚ヤング時代の小園健太(左)と松川虎生(提供:川端末吉氏)
貝塚ヤング時代の小園健太(左)と松川虎生(提供:川端末吉氏)

小園と松川。

貝塚ヤングへの二人の入団経緯は異なる。まず松川について川端監督が振り返る。

「うちのチームに松川と同級生の子の父兄がいて、(貝塚)ヤングがええぞ、と進めてくれたんです。中学1年、リトルの夏の全国大会の予選、4月か5月か、見に行きました。うちに来ないかと誘いました」

その時、松川のポジションはピッチャーとサードだったという。内野手としてグラブさばきが上手く、ピッチャーとしては小園より速かったそうだ。

松川は入団を決め、キャッチャーをやりたい、と自分から言ってきたそうだ。キャッチングの上手さ、スローイングの柔らかさをみて、キャッチャーがいいと即決する。

松川は6月に入団して直ぐ、救世主になった。1、2年生のジュニア選手権。初戦からキャッチャーで4番。1打席目にライトオバー、2打席目もフェンス直撃。3、4打席は敬遠だった。

小園の場合はその他の部員と入団ケースは似ている。

「生まれが貝塚なので、小学6年生の12月の野球教室に参加して、その流れで入ってくれたと思います。最初は存在を知りませんでした」

隣のグラウンドで『貝塚シニア』が練習をする。昔からある老舗チームでポピュラーだが、小園は『ヤング』に入団する。そこから奇跡の運命が始まる。

「入った時は、ちょっといいな、というぐらい。ショートもやりたいと言ってた。ピッチャーとたまに外野とファーストを」

一般的な中1で球速110キロが出たらいいピッチャーに入るという。速いピッチャーで120キロ。小園は1年の夏で110出てるか出てないかぐらいだったという。ところがピッチャーとして持って生まれたセンスを持ち合わせていた。

「間の取り方、マウンドさばき、雰囲気とかピッチャーをするために生まれてきたんちゃうか、というモノを持っていた。マウンドに行ったら、すべてを任せられる」

川端監督はそれを〝完全なエース〟と表現した。

「3年生で全国優勝してる学年です。たくさんのピッチャーが必要なんですが、8人がベンチ入りしていた。そのなかでも小園はエースだった」

中学のルールでは二日間で10イニング以内など高校の週で500球というものより、さらに厳しい制限がある。決勝まで行くとなると3日で5試合をこなすので、多くのピッチャーが必要になる。8人のピッチャー全員が135キロを投げた。身長は177、178センチあって小園も180センチあった。

強い相手に小園を先発させる。先発した試合は全部、勝ってるはず、と川端監督は言う。奇跡のバッテリーを擁したチームは3年の春はベスト8で、夏が全国優勝だった。

貝塚ヤングの川端末吉監督(左)はヤクルト・川端の父である
貝塚ヤングの川端末吉監督(左)はヤクルト・川端の父である

川端監督の育成法は本人任せ、放任だ。

「フォームに関して、何も言ってません。腰を切れとか、ヒジを下げるなよ、そんなレベル。小園のフォームは奇麗やったです。マエケン(前田健太・ツインズ)に似てるんで、真似してるんかと聞いたら、そんなことないです、と。ケガもない。違和感があると言うので1週間だけ、休ませたことがあるけど、他に休んでいない。変化球はカーブの握りを1回だけ教えました。あとは、自分らでやってましたね。

もう、触らないの一言です。いろんな個性があるんで。その子が良ければそれで、ええんちゃいますか。のびのびやってますわ」

バッティングもインパクトが理にかなっていれば、構えなんて当人の好きでいい。誰一人と似たようなものはない。

二人は自宅に帰ってからの自主練習で見えない努力を続けたという。小園は日々5キロのランニング、松川も素振りや、バドミントンの羽を使ってティーバッティングをしたという。

川端慎吾選手の妹、川端友紀さんも元女子プロ野球選手だ。自由な育成はお子さんたちの子育てに下地がある。

「息子の教育はもう自由にしました。怒ったことがありません。食べ物の好き嫌いで怒った? 食べられないもの、食べんでええと。慎吾は口答えしなかったし、やめとけと言うと、辞めるし。嘘ついたなんていうこともない」

にわかに信じがたい。慎吾選手本人も怒られた記憶がないとインタビューで答えている。

抑圧から想像は生まれない。逆に放任されると渇望が芽生える。

自由な発想から工夫が生まれる。こんなアドバイスをさらっと言うそうだ。

「やるんだったら、こんな練習がええと思うよ」

練習で気づいたこと、得たものは自身の技術として蓄積されていく。

川端監督もかつてはプロ野球選手を目指した。大阪の強豪私学、初芝高校では甲子園の夢は叶わなかったが、大阪市消防局でファイヤーマンをしつつ野球部で活躍。監督で国体には何度も出場した経歴がある。そして自身の夢を息子に託した。

2回戦の明豊戦で決勝打を浴び、悔しそうな表情を見せる小園(中央)。右は松川。夏にむけての戦いはもうすぐはじまる(写真:共同通信)
2回戦の明豊戦で決勝打を浴び、悔しそうな表情を見せる小園(中央)。右は松川。夏にむけての戦いはもうすぐはじまる(写真:共同通信)

センバツに出場した市和歌山高校(以下、市高)のメンバーで背番号1番・小園、2番、松川、3番・川島碧生、4番・杉本明弘はすべて貝塚ヤングの出身。市高への貢献度は高い。

「慎吾が前身の市和歌山商(通称、シワショウ)の出身という縁があります。ええ学校やと思います。早い段階でまず松川を進めてたんです。松川は私を100パーセント信じてくれた。市高に行きますと」

小園には他県の甲子園常連私学の誘いもあったという。大阪桐蔭の西谷浩一督もよく来ていたそうだ。もし、二人が大阪桐蔭に行っていたら、ますます強くなる。川端監督はこう言って笑う。

「あそこは全国からなんぼでも来てる。選手、余ってるのに。分散せなあかん」

小園は強豪校の練習なども見学したという。自分を納得させるためだったろう。そして最後は松川が一緒に市高に行こう、と小園を誘う。

大阪桐蔭に行きくなる気持ちは理解できる。4番を打って目立てばこの上ない成功。プロへの近道になる。でもメンバーになれなかった子はどうなるか。松川も小園も行けただろう。しかし他のメンバーに負けたとしたら。強豪私学で埋もれてしまうと、プロへの道が狭められる恐れがあるのだ。

〝プロへのレールを敷く〟と川端監督が心中を明かす。

「目立つとプロへのレールには乗り易い。私はレールに乗せるだけ。お前はレールを走るだけと。僕の勝手な作戦なんです。頑張るのは自分だと。プロのスカウトが見てくれるのは、頑張り次第。市高の監督さんにも二人はプロに行くべき素材なんで、とお願いしました。監督も育てますと言ってくれた」

こうして、順調に進化を続けている。

高校野球界を代表する選手になっても、二人は川端監督とLINEによる交流は続いている。川端監督がラインを交わしたのはセンバツ1回戦、県岐阜商戦の前日だった。

「楽しめよ、と送りました」

少しでも不安を感じたら頻繁に送ってくる松川に対し、小園は何かあったときに連絡をくれる、という。それぞれの子供に真心を持って接してきた川端監督にとっても、上位進出が期待されたセンバツの2回戦敗退は、本人たち同様、無念だったに違いない。

「あの二人は性格もいいし、慕われてるし言うことないですよ。息子、孫みたいなもんです。あんなバッテリーには2度と出会えない」

市高は11日、和歌山県の春季大会で戦いを再スタートさせる。そして夏の甲子園から秋のドラフトへ。敷かれたレールを思い切り飛び出すときが待ち遠しい。

  • 取材・文清水岳志

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