野球を知り尽くした打者の“裏技?”「打撃妨害」の奥深い世界 | FRIDAYデジタル

野球を知り尽くした打者の“裏技?”「打撃妨害」の奥深い世界

王貞治も野村克也もゼロなのに。特定の打者に多い、特異な記録!

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18年間の現役生活で21もの打撃妨害を記録した中利夫(写真は中日の監督時代の1978年)
18年間の現役生活で21もの打撃妨害を記録した中利夫(写真は中日の監督時代の1978年)

相当の野球通でも「打撃妨害」について語ることができる人は少ないのではないか。打撃成績の中で、最も地味な記録と言っても良いだろう。

「打撃妨害」は、打者の打撃を守備側が妨害したと審判が判断したときに宣せられる。打者は一塁に歩き、打席はカウントされるが打数はつかない。当該する野手には「失策」がつく。ただし「出塁率」の計算をするときは「出塁」とはみなされない。

ほとんどの場合は、打撃の動作を開始した打者のバットに捕手のミットが触れた際に記録されるが、打者が打つ前に捕手など野手が本塁上やその前で投球を捕球した際にも「打撃妨害」が宣告される。

NPBが発行する「オフィシャル・ベースボール・ガイド」では、打撃妨害は「打数」の横に▲で表示される。

非常に珍しい記録であり、昨年はロッテの藤岡裕大が1つ記録しただけだ。いわばアクシデントであって、打者の意志とは関係ない数字のはずなのだが、なぜか「打撃妨害」は、特定の選手が記録することが多いのだ。

NPBの通算打撃妨害数10傑。試合数は通算。*は左打者、+は両打。

21 中利夫*(1955-72 中日1877試合)
15 与那嶺要*(1951-62 巨人、中日1219試合)
11 三宅宅三(1950-57 毎日723試合)
11 小玉明利(1954-69 近鉄、阪神1946試合)
10 青田昇(1942-59巨人、阪急、大洋1709試合)
10 山内一弘(1952-70毎日、阪神、広島2235試合)
10 張本勲*(1959-80 日本ハム、巨人、ロッテ2752試合)
9 岡本伊三美(1950-63南海1289試合)
9 高橋慶彦+(1976-92広島、ロッテ、阪神1722試合)
8 長谷川善三(1941-54南海、大阪、西鉄、毎日、高橋927試合)
8 小林晋哉*(1978-87阪急710試合)
8 栗原健太(2002-13広島1026試合)

球史に名を残す名選手揃いだ。このうち与那嶺、青田、山内、張本は野球殿堂入りしている。

この顔ぶれに共通しているのは、三振が少なくバットコントロールが巧みな打者が多いことか。

史上1位の21もの打撃妨害を記録した中利夫は左打者。駿足巧打の名外野手。高木守道との1、2番は名コンビと謳われた。首位打者1回、盗塁王1回。18年の現役生活だったが12シーズンで打撃妨害を記録した。

2位の与那嶺要も首位打者3回、最多安打3回の左打者。ハワイ出身の日系アメリカ人で、川上哲治の最大のライバルと言われた。巨人に在籍した10年間で15回の打撃妨害を記録している。

シーズン最多の6回も打撃妨害を記録したのが、1960年の小玉明利。近鉄の名三塁手として活躍した右打者。首位打者はとっていないが、打率ベストテンに9回も名前を出している。通算1877安打は近鉄最多。1960年は、近鉄はチームとしては最下位に沈んだが、小玉は打率.301で5位に入り、キャリアハイの20本塁打を記録している。もし6つの妨害出塁がなければ、打率は.298になり3割を割っていたことになる。

青田昇は「じゃじゃ馬」と言われた強打者。本塁打王5回、打点王2回、首位打者1回。阪急時代の1946年には史上2位の5回の打撃妨害を記録している。

山内一弘は本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、毎日オリオンズ時代はパ・リーグ最強打者の座を西鉄の中西太と争った。一時期はNPBの最多安打、本塁打の記録を持っていた。

張本勲は言わずと知れたNPB最多の3085安打を打った史上最高の安打製造機。日本ハム時代の1973年には4つの打撃妨害を記録している。

最近の選手では、広島の強打者として活躍した栗原健太がいる。彼も3割2回、打率ベストテン入り3回というアベレージヒッターだったが、2009年8月29日の横浜戦では「2打席連続打撃妨害」という恐らく史上唯一の記録を残している。

こうしてみると長く試合に出続けている強打者であれば、数回程度の打撃妨害はあってもおかしくないように思えるが、そうではない。

史上最多の11970打席に立った野村克也、これに次ぐ11866打席の王貞治らは1度も記録していない。

打撃妨害が多い打者はぎりぎりまで引き付けてボールを叩くことが多いので、捕手のミットに接触することが多いという説がある。しかし投球を引き付けて打つのは、好打者の一般的な特徴であって、これも珍しいものではない。

疑念が浮かぶのは「わざとミットに当てているのではないか?」ということだ。そうであれば「打撃妨害」ではなく反対に捕手の守備を妨害したとして「守備妨害」になり打者にはアウトが宣せられる。

だから打者は絶対に「わざとだ」とは言わないだろうが、虚実皮膜、曰く言い難い判断の結果として「打撃妨害」という記録が生まれているのだろう。

実は打者が自分の打撃妨害について語ったレアな記録がある。

巨人、ヤンキースなどの強打者として大活躍した松井秀喜は、NPBでは1999年と2000年に打撃妨害を1回ずつ記録しているが、MLBに移籍してからも打撃妨害を10回記録している。2010年、エンゼルス時代には4回も打撃妨害を記録しているが、2011年のアスレチックス時代にも記録、「(捕手のミットがバットに当たって打撃妨害となったが)僕の得意技ですから」と語っている。

要するに打撃妨害は「野球を熟知した打者」の「奥の手」だということが言えよう。決して野球少年にはお勧めできない「裏技」ではあるが、これもプロ野球の「味」の内ではないだろうか。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

  • 写真共同通信社

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