「一代年寄」消滅危機で引退後に暗雲…白鵬が繰り出す逆転の一手 | FRIDAYデジタル

「一代年寄」消滅危機で引退後に暗雲…白鵬が繰り出す逆転の一手

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「一代年寄」の慣例に物言いがつき引退後に暗雲がたちこめ始めた白鵬。今年3月場所の初日、土俵入りの様子(画像:共同通信社)

7月場所で進退を決める横綱・白鵬(36)にとって、受け入れがたい提言だろう。

重大な問題提起がされたのは、4月19日の「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(東大名誉教授・山内昌之委員長)第11回会合だ。同会議では、「一代年寄」に存在意義が認められないという見解が示された。「一代年寄」とは、顕著な実績を残した横綱に対し、一代限りで現役時代の四股名を使い年寄(親方)襲名を認めるというもの。史上最多44回の優勝を果たした白鵬には、その資格が十分あると思われていた。

だが……有識者会議は一代年寄に物言いをつけた。その理由とは。

〈一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。その横綱の力と技の相撲ぶりが(中略)後世に継承されないことを意味する〉

相撲は師匠から弟子へ、脈々と力や技が伝えられることを基本とする。一代限りの「一代年寄」では、その「師資相承」の理念が守られないというのだ。有識者会議の山内委員長は、次のようにも語っている。

「(『一代年寄』を)廃止と理解されては困ります。制度そのものが本来なかった。相撲協会のどこにも規定がないんです」

「オレももらえるな」

「一代年寄」が認められたのは、1969年にさかのぼる。当時の大横綱・大鵬に、内弟子集めを容認。「横綱・大鵬」と「親方・大鵬」の併用を例外的に認めたのだ。

「その後、実績のある横綱に大鵬の例を適用するのが慣習になったんです。北の湖や貴乃花も、『一代年寄』として部屋をおこしています(千代の富士は『長く続く部屋にしたい』と辞退)」(相撲協会関係者)

事態が動いたのが、14年1月。相撲協会が財団法人から公益財団法人へ変更し、規定にない「一代年寄」が存在するのはおかしいのではないかと外部から指摘されるようになったのだ。

「現役時代から親方になることを保障されるのですから、横綱としてはうま味の多い慣例でしょう。苦労せずして、部屋の師匠になれる…ともいえる。朝青龍が07年1月場所で20回目の優勝を決め『オレも(「一代年寄」を)もらえるな』と発言し、物議をかもしたことがあります。白鵬も15年11月場所中に北の湖理事長(当時)が亡くなった時、『昭和の大横綱である理事長から「一代年寄」をもらいたかった』と語り意欲を見せていました。

相撲協会が、『一代年寄』の慣例解消に本格的に動き始めたのは18年9月以降です。貴乃花親方が退職し、協会内に『一代年寄』保持者がいなくなりましたから。今回、有識者会議が提言をしたのは、白鵬が引退するであろう7月場所前に決着をつけたかったのだと思います。引退後に問題提起して起きる、混乱を避けたかったのでしょう」(スポーツ紙担当記者)

横綱は引退後、現役時代の四股名で相撲協会に残れる。期限は5年間だ。「一代年寄」が無くなれば、その間に白鵬は継承できる親方名跡を探さなければならない。にわかに濃くなってきた、引退後の暗雲。だが白鵬も、手をこまねいていたわけではない。

「目をつけたのが『間垣』株です。キッカケは今年1月場所に起きた、元時津風親方のスキャンダルでした。場所中に雀荘や風俗店に通っていた疑惑で、親方は協会を引退。『時津風』を引き継いだのが、部屋付き親方だった元前頭・土佐豊です。

土佐豊が時津風親方になり、代わりに名跡交換されたのが『間垣』株でした。『間垣』株は現在、相撲協会あずかりになっています。白鵬は、『間垣』株取得に向け動いていると言われています」(同前)

「白鵬部屋」の構想は、夢のままで終わりそうだ。日本国籍を取得した平成の大横綱は、次善の策で師匠の権利を勝ち取ろうとしている。

  • 写真共同通信社

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