引退する五郎丸歩の告白「ずっとコンプレックスを抱えていました」 | FRIDAYデジタル

引退する五郎丸歩の告白「ずっとコンプレックスを抱えていました」

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五郎丸は60分にわたって今の率直な思いを明かした(撮影:谷本結利)

今年で最後となるラグビートップリーグのプレーオフトーナメント2回戦が行われ、ヤマハ発動機はクボタに12-46で敗れた。今季限りで現役引退を表明していた元日本代表FB五郎丸歩は右足の負傷が回復せずにメンバーから外れたため、現役最後の瞬間をスタンドで迎えた。

五郎丸は、2015年イングランドで行われたワールドカップで対戦前に過去2度世界一に輝いていた南アフリカを破り、世界を驚かせる番狂わせを演じたときの日本代表戦士。2019年のW杯では日本代表に入らなかったが、選手生活を送りながら普及活動に尽力してきた。日本ラグビー界の「顔」は、これまで抱えてきた葛藤やそれを乗り越えた喜び、そしてこれからのことを語った。

「コンプレックスを覆したい」

「有難いことにいろいろお話はいただいていますが、現役最後のシーズンをチームのために費やしたかったので、今後のことは本当にこれからなんです。

ラグビー界に32年お世話になってますから、当然、恩返ししたいという気持ちは強いです。ただ一方で、これから先のほうが厳しいことが待っているんだろうなとは思っていますよ。何か新しいことをするにしても40歳だと遅いかもしれない。でも35歳ぐらいならチャレンジできるかもしれない、という思いが引き際を考えるときの判断基準のひとつではありました」

五郎丸は、世界を驚かせた2015年W杯の南アフリカ戦勝利のときに1トライを含む24得点をあげ、勝利に貢献。大会を通しても58得点をあげ、大会ベストフィフティーンにも選ばれ、チームの躍進の象徴になった。いわば『持っている男』のスター性ゆえ、五郎丸にしか知りえない世界をどう仕事につなげられるか。それを考えることが最初の仕事なのかもしれない。

「ラグビー以外のいろんな仕事をさせていただく中で、『スポーツをやる人間はスポーツしかできない』という見方があることに気づかされます。僕はそこに対するコンプレックスをずっと抱えているので、そのコンプレックスを覆したい、という思いはありますよ」

五郎丸の32年間は周囲の見方と自分の中にある感覚のギャップをどう埋めていくか、という戦いでもあった。兄の影響でラグビーをはじめた頃は体が細く、「あなたにラグビーは無理よ」と言われた。名門・佐賀工業で小城博監督(当時)に基礎を教え込まれ、キックの飛距離やストライドの大きな走りに光が当たった。

早大進学後は清宮克幸監督(当時)から「自信さえ持たせれば、必ず伸びる」と1年の最初の試合から一軍のFBで起用されたが、当の本人は「キック以外のスキルは先輩方がすべて上でしたから、自信はなかった。とにかく3年で何とかレギュラーになれればいいと思っていました」。

体も細かったため、身体を大きくするために朝昼晩の食事に加え、寝る前に寮に残っていたごはんに卵や納豆をかけ、無理やり食べた。入学した最初の春シーズンの3カ月ほどで体重が10㎏近く増えたのは、五郎丸が自己評価を超える立場を与えられ、その立場に必死に追いつこうとした努力の裏返しだった。

2015年のW杯前には、五郎丸は家族だけには「日本代表選手として戦うのはこのW杯を最後にするつもり」と覚悟を明かしていたという。

「ちょうど出発前の8月に、地元の福岡でウルグアイと壮行試合があったので、その試合会場に母が祖母を呼んでくれました。日本代表のジャージーで戦う姿を見せられるのは最後かもしれない、という思いがあったからです」

W杯での活躍は前述のとおりだが、帰国したら、日本代表フィーバーが待っていた。とりわけ、五郎丸にスポットライトが当てられ、日本で開催される次の2019年W杯への気運の高まりに五郎丸が欠かせない、という雰囲気ができあがっていった。

「一度ゴールはここ、と覚悟を決めたから頑張れた部分もあって、帰国しても次の目標がカラっぽで…。現役選手は何とか続けられても、日本代表選手をめざす気力、体力を含めたエネルギーがなかなか戻ってこなかった。だから自分の中では答えは出ていたんです。『2019年のW杯に選手として目指すのは難しい』と。

一方で、同年代で一緒に戦ったリーチ(マイケル)や堀江(翔太)は続けて代表を目指すことを知っていたので、僕がピッチ外の活動をやることで彼らの負担を少しでも減らせるなら、とも考えて、ラグビーをより深く知ってもらう広報、普及活動を可能な限り続けてきました。でもメディアに出て日本代表について語れば、自然に『2019年W杯を目指す』という見られ方をする。

出れば出るほど、期待値もあがるわけです。そんな自分の行動が、結果的にラグビーファンの方を裏切る形になっているのではないか、と心苦しく感じることもありました」

江戸川競技場のスタンドで最後の瞬間を迎えた五郎丸は、途中出場で豪快な走りを見せた2年目の中井健人(左)をねぎらった(写真:アフロ)

「心苦しさ」が一気に吹き飛んだ出来事

そんな心のモヤモヤが、あることを境に、一気に吹き飛んだ。2019年W杯の開幕戦だった。

「僕はテレビ局の仕事で東京スタジアムにいたんですが、会場が45000人以上のファンで埋め尽くされて……ほとんどが日本代表のファンですよね。あの光景を見たときに心のわだかまりがスーッととれて、『日本代表がすべてチャラにしてくれたな』『苦しみながらもやってきてよかった』と感じたんです。

エディ・ジョーンズさんがヘッドコーチとして率いた日本代表が発足した2012年からリーダーの一員にしてもらい、『日本代表を憧れの存在にしたい』と思ってやってきた様々な活動が2019年の日本代表にも引き継がれて、ようやく実を結んだ気がしました」

そのわずか1年3カ月後、五郎丸は引退会見を開いた。シーズン前という異例の時期に開いたのも、「ファンの方に対する心苦しさ」が背景にあった。

「2015年のW杯から2019年のW杯にかけて、先ほど話をしたファンの方を裏切ってしまったのではないか、という苦い思いを、自分の引き際の場で繰り返したくなかったんです。

ラグビーでお世話になった方は多すぎるぐらいにいます。ただこのコロナ禍では感謝の気持ちを伝えるにも、会うことも簡単ではない。お客さんも試合に見に行くことに制限があります。他の選手にならって引退発表をシーズン終了後にしたら『あの試合、観に行けばよかった』と後悔させてしまうこともあるかもしれない。今まで応援してもらっている身として、ファンの方をがっかりさせてはいけないと思ったんです。『最後、観ておこうか』という方たちに納得してもらう形をとりたかった、というのが一番の思いでした。

最初にチームに相談した時は引退そのものを反対されました。監督の堀川(隆延)さんからも選手兼コーチとして残れないか、というお話もいただきましたが、2019年W杯で日本代表の頑張りによってラグビー界が再び盛り上がった反面、自分自身が目標を見つけられないまま続けることがしんどくなりました。会見の時期についても、最終的にチームに了承してもらいました」

引退を公表してのぞんだシーズンは、子供の頃のように純粋にラグビーを楽しむ感覚が戻った。チーム方針により、メンバーから外れることもあったが、悔しさや苛立ちの気持ちは湧かず、メンバー外が行うハードな練習を楽しめた。だから、負けた時点で現役生活が終わってしまうクボタ戦の前に、負傷の影響でメンバー外になっても、不思議と割り切れた。

「ラグビーは一番、自分を表現できる場でした。どの所属チームでも副キャプテンをやらせてもらいましたが、リーダーとしては言葉数が多いほうではなかったと思います。でもその分、身体で表現しながら引っ張ることができた。それも、ラグビーのよさだと思います。

2019年のW杯はチケット販売率が99%を超えて、あれだけのお客さんを集められた。ラグビー界の未来は明るいと思うんです。ただ発信がまだ十分にできていないだけです。その発信の部分で何かお手伝いできることがあれば、とは思っています」

ラグビーをはじめ「日本代表になりたい」「ワールドカップに出てみたい」という目標ははるか遠くにあった。しかし実際は、南アフリカに勝ち、ラグビー界の環境を変えることにも貢献した。自分の想像をも超えてきた五郎丸は、新しいステージに対して何を想像し、どう超えていくのだろうか。

2004年、早大1年の夏にイングランド代表の名キッカー、ウィルキンソンから直接指導を受けた(右から3人目、紺色のTシャツの選手が五郎丸、写真:アフロ)
早大2年時の2006年2月、日本選手権でトップリーグの強豪、トヨタ自動車を撃破。この試合の前に出場した学生東西対抗であごを骨折していたが強行出場した。当時、大学と社会人の差がどんどん開き始めていたため、この試合の勝利も「ミラクル」と称された(写真:アフロ)
2015年、日本代表のW杯開幕戦となった南アフリカ代表戦でトライを奪い、喜びを爆発させる。この試合の34得点のうち24得点をひとりであげた(写真:共同通信)
2015年W杯では58得点をあげ、大会ベスト15に選ばれた。
お馴染みとなったこのポーズ(写真:アフロ)
2015年W杯期間中のパブリックビューイングでは、応援に来た女の子が真似をし出した(写真:アフロ)
2015年W杯後に首相官邸を表敬訪問。安倍晋三首相(当時)にパスをした(写真:時事通信)
2015年W杯から帰国後、ヤマハ発動機・清宮克幸監督(当時)から花束をもらう。五郎丸の成長にはなくてはならない恩師だった (写真:アフロ)
2016年、豪州のレッズからフランス・トゥーロンに移籍。「両センターがNZ代表のノヌーとフランス代表のバスタロー、両ウイングが南アフリカ代表のハバナと豪州代表のミッチェルと各国代表のスター選手ばかり。同じピッチで一緒に試合に出られて幸せでした」
2018年8月、岩手県釜石市の釜石鵜住居復興スタジアム オープニング DAYで子供たちとタグラグビーをプレー。ラグビーボールが当たり前にみられる環境をこれからも作りたい、と考えている(写真:アフロ)
学生時代とは顔つきが随分変わった。「最近、柔らかくなったね、と言われるようになりました」(撮影:谷本結利)
撮影:谷本結利
  • 撮影谷本結利

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