「二人はずっと夫婦だった」想田監督と柏木Pが敗訴でも笑顔の理由 | FRIDAYデジタル

「二人はずっと夫婦だった」想田監督と柏木Pが敗訴でも笑顔の理由

「夫婦別姓裁判」東京地裁で、画期的な判決が出てしまった…

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

「主文。本件訴えをいずれも却下する。原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」

裁判長の読み上げる判決を聞いて、3人の記者がぱっと席を立ち、法廷を飛び出した。ドラマみたいだ。

ドキュメンタリー映画『精神0』など国内外で高い評価を得ている映画プロデューサー柏木規与子さんと監督の想田和弘さんは、1997年にアメリカ・ニューヨーク州で、別姓のまま結婚した。以来23年、これまでに10本の映画作品を制作しているパートナーでもあり、日米と往復しながら活動をしてきた。新型コロナの影響で、今は日本で暮らしている。

ふたりは「婚姻関係の確認、別姓での結婚」を求める裁判を起こし、東京地裁がそれを事実上認める判決を出した。

映画監督の想田和弘さんと、プロデューサー柏木規与子さんは結婚23年。今回の判決で「夫婦であること」が確認された。記者会見にオンラインで参加したふたりはずっと、笑顔だった
映画監督の想田和弘さんと、プロデューサー柏木規与子さんは結婚23年。今回の判決で「夫婦であること」が確認された。記者会見にオンラインで参加したふたりはずっと、笑顔だった

裁判所が「ふたりは夫婦」と認めた

判決から一夜明けたふたりに話をきいた。

「晴れ晴れとした気分ですね。形式としては『敗訴』だけど、実質的には、ほしかった判決をいただいたので。昨夜は友人からおめでとう!の連絡がたくさんあって、遅くまで起きてたんですが、朝、すっきり気持ち良く目が覚めました」

と柏木さん。

満面の笑みで、想田さんが言う。

「ぼくらはずっと、夫婦として生きてきました。日本以外の国では、法的にも社会的にも100%夫婦。でも日本では、夫婦は同じ姓にしないと結婚届が出せず、戸籍が作れない。だから、事実婚みたいに扱われてきた。

裁判のなかで国側は『夫婦ではない、相続もできない』と主張していたのが、判決で私たちは『夫婦である』と認められたんです。うれしかったし、ほっとしました」

「米国での婚姻は日本でも有効」というこの画期的な判決があった4月21日、ふたりは岡山にいて、弁護士からの電話でそれを聞いた。

10秒か5秒くらいのめちゃめちゃ短い電話でした。『請求は退けられましたが、夫婦であるという認定はされました』って。あ、そうですか、すばらしい!と。僕らの裁判は『夫婦別姓確認訴訟』といって、別姓だけど法律的な夫婦であることを認めてほしい、という訴えですから」(想田さん)

「柏木の名前で活動をしてきたので、この姓を変える気はない。ニューヨークでは別姓婚がふつうの選択肢としてあるので、問題なく過ごしてきました。でも日本に帰ると『想田さん』『奥さん』と呼ばれることが多々あって、なんだか自分じゃないような気がしていたんです」(柏木さん)

2020年2月、ベルリン国際映画祭で。想田さんが監督し、柏木さんが製作した作品『精神0』が正式招待され、エキュメニカル審査員賞を受賞した
2020年2月、ベルリン国際映画祭で。想田さんが監督し、柏木さんが製作した作品『精神0』が正式招待され、エキュメニカル審査員賞を受賞した

アーティストとして、市民として

社会派といわれる作品を多く発表してきたふたりだが、

「映画で社会的メッセージを訴えることはしません。映画は何かのための道具じゃないから。アーティストとして、映画では、映画そのものの楽しさ、面白さを追求して作ります。

今回の裁判は、市民として、日本の人口『1億2000万人分の2』の責任を果たすつもりで、できることをしたいという思いからです。自分のことは自分で決められる社会のほうが、生きやすいじゃないですか。同姓がいい人もいれば、ぼくらのようにそれぞれの姓のまま、別姓で夫婦として暮らしたい人もいる。それを選べるようにしたいですよね」(想田さん)

判決では、訴えそのものは斥(しりぞ)けたものの、婚姻関係を認めた。また、別姓のまま結婚していることを「戸籍に記載できない」とは判断していないし、それは「家庭裁判所に申し立てることが適切」と示唆している。

報道各社の「誤報」が相次いだ

わかりにくい判決だったため、主文読み上げの直後に法廷を飛び出した記者はもちろん、ニュースや翌日の朝刊など、判決の内容を誤読した報道が相次ぐというアクシデントもあった。

「選択的夫婦別姓」の議論が高まるなか、注目の裁判だった。傍聴席は満員、会見場には記者があふれたが「誤報」が相次いだ
「選択的夫婦別姓」の議論が高まるなか、注目の裁判だった。傍聴席は満員、会見場には記者があふれたが「誤報」が相次いだ

判決の正確な意味は、こうだ。

「別姓のまま海外(の法律に則って)で結婚した日本人同士の夫婦の場合、ふたりが名乗る氏(姓)を定めるまでは、暫定的な状態として、日本法の下でも夫婦と認める」

つまり、どちらかの氏に決めたら届ければいい、ということだ。氏を決められなくて届出が遅れても罰則はない。つまり事実上期限がない。ただこの場合、それまでは戸籍への記載ができない(と、国は考えている)ため、現状は、国として「結婚していること」を把握できない、つまり戸籍制度が機能しないことになる。

「判決を細かく見ると、おかしなこと、不満な点もあります。でもなにより別姓でも夫婦と認められたことは、選択的夫婦別姓制度の法制化を目指すうえでは前進だし、素直にうれしい」

と想田さん。

自分で「選べる」ことの尊さ

1993年にそれぞれ渡米、94年、日本に帰る飛行機のなかで知り合ったというふたり。友人の期間を経て交際が始まり、97年12月、ニューヨークのシティホールで結婚式をした。それから23年半。今回の判決で、23年前のその日から「ふたりはずっと夫婦だった」と認められた。

2007年『精神』を撮影しているころのふたり。映画制作のパートナーとしても高い評価を得ている(写真提供:山本真也氏)
2007年『精神』を撮影しているころのふたり。映画制作のパートナーとしても高い評価を得ている(写真提供:山本真也氏)

「だいたいのことは意見が割れるけど(笑)、この裁判に関しては、つねに一致してましたね」(柏木さん)

取材のあいだ、ふたりは大きな声で笑い、話してくれた。今、ふたりで作った映画『牡蠣工場』や『港町』の舞台になった岡山県牛窓の、目の前に瀬戸内海が見える家で暮らしている。

「去年NYに帰れなくなって、一時、緊急事態宣言下の東京に閉じこもって暮らしてたときは苦しかったです。ここにきて、ほんとうにのびのび浜辺で太極拳やってます」(柏木さん)

「海岸を走ったり、野良猫と遊んだりしながら、撮影済みの作品の編集作業を進めています。生活費はNYや東京の半分もかからないんですよ。

視野を広げてよく見ると、逃げ場というか、選択肢ってけっこうあるんじゃないかな。民主主義の基本って自分で『選べる』ことだと思うんです」(想田さん)

画面越しに、窓からの景色を見せてくれた。話はつきない。やりとりが止まらない。結婚23年半。公私ともにパートナーとして生きてきたふたりは、来年の12月には銀婚式を迎える。結婚したふたりが「同じ姓」を名乗らなければならない国は、世界で日本だけだ。

Photo Gallery4

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事