磁石がM-1の螺旋を降りて知った「漫才の本当の楽しさ」 | FRIDAYデジタル

磁石がM-1の螺旋を降りて知った「漫才の本当の楽しさ」

ネタ番組の裏で起きたディレクターとのぶつかり合い…磁石が語る「M-1」「エンタの神様」の裏側

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『賞レースで栄光をつかめなかった男たち』磁石

『エンタの神様』(日本テレビ系)をはじめとする数々のネタ番組に出演し、「M-1グランプリ」「THE MANZAI」といった賞レースでも好成績を残しているお笑いコンビ、磁石の佐々木優介と永沢たかし。とくに2000年代は大活躍したイメージだが、その内実は想像以上に過酷なものがあったようだ。 

「磁石」の佐々木優介(左)と永沢たかし(撮影:スギゾー)

ネタ番組の裏で起きたディレクターとのぶつかり合い、M-1戦士としてのストイックな数年間と準決勝の壁――。彼らはこうした試練に立ち向かい、本当の意味で「漫才の楽しさ」を勝ち取った。今、振り返る「あの頃の景色」とはどんなものか。

改めてコンビ結成から激動の時代までを語ってもらった。 

日本映画学校でコンビ結成

――お二人は日本映画学校(現・日本映画大学)で出会われたそうですが、もともと芸人志望だったんですか?

佐々木:そもそも僕は高校生の頃からお笑い芸人をやっていたんですよ。それで広島から上京して、お笑いをやりたいなと。ただ、学校も行かずに上京するのは親も心配するだろうなと思って、何かしら口実になるものを探したんです。 

いくつか大学も受けたんですけど全滅して、受かった中の一つが日本映画学校。調べるうちにウッチャンナンチャンさんのことも出てきたし、漫才実習があるっていうのもわかって「興味のない分野の専門学校に行くよりはこっちだろう」と思って入った感じですね。 

永沢:僕は、とにかく東京に行きたいって気持ちが大きくて。大学も受けたんですけど落ちて、親に「浪人させるお金ないから専門学校に行きなさい」って言われたんです。それで、本屋さんで専門学校の雑誌を立ち読みしてたら、「ウッチャンナンチャン」って出てきて(笑)。 

もともとお笑いが好きだし、ウッチャンナンチャンさんも好きだったから受けてみようと。芸能系の専門学校ではあるんですけど、僕自身はそこまで高い志があって入ったわけじゃないんです。当時は芸人になろうなんて思ってなかったし、役者をやりたいってことでもない。「テレビ出たいな」ぐらいの軽い感じです。 

初舞台はザブングルとの対決

――学校の授業がコンビ結成のきっかけだったんですよね。

永沢:学校の発表会みたいなのがあって、そこでコンビを組むことになりました。実際にやってみたら、僕らの漫才がけっこうウケたんです。それで「うまくいったし、じゃあやってみようか」みたいな感じにはなりました。 

佐々木:手応えはありましたね。その時は僕がネタをつくったんですけど、「あこがれ」とかベタなテーマだったと思います。「あこがれてるものって何?」「こんなことやりたい」みたいなやり取りの中でボケてツッコんで、「ほかに何かあった?」みたいな感じのブロックをつなげていくっていうような漫才です。 

永沢:そうだね、10分ぐらいのネタ。コンビを結成した当時、東京では漫才やってる人がぜんぜんいなかったんです。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)が始まったばっかりの2000年前後って、おぎやはぎさんにしろ、スピードワゴンさんにしろ、みんなコントだった。まだ漫才は大阪の芸人さんばっかりだったから、目立つと思って「漫才やろう」って話したのを覚えてます。

――初舞台は、人力舎主催の「バカ爆走」の若手勝ち抜き戦コーナーだったそうですが、これは在学中のお話ですか?

永沢:そうです。学校と関係ないところで初めて出たのが「バカ爆走」だったんですよ。最初に戦ったのがザブングル。彼らも東京にきたばっかりで、お互いオーディションライブみたいなのに受かって対決しました。 

佐々木:つい最近解散しちゃいましたけど、ザブングルとはかなり早くから出会ってるんですよ。 

永沢:佐々木は高校生からやってたみたいですけど、僕が初めてやったのは仲間うちの学生の前じゃないですか。本当に知らない人の前でネタを見せるのは「バカ爆走」が初めて。もう緊張で真っ白になって、あんまり覚えてないです(笑)。 

「絶対に間違えないように」ってことで、ライブの1週間前ぐらいから佐々木の家に泊まりに行ってずっと練習してました。だから、実際に舞台に出ても、緊張はしてるけどセリフは勝手に出てくる状態。結果的には、ザブングルにも勝ったし、けっこう勝ち抜いたと思います。 

佐々木:「10連勝したらそのライブのレギュラーになれます」みたいなコーナーで、6~7連勝して負けたんです。ただ、その時に「バカ爆走」を仕切っていた方が僕らを気に入ってくれて、月1レギュラーになれたんですよ。そこが我々のスタートですね。

『エンタの神様』出演にあたっての裏事情

――2000年代はライブシーンが盛り上がりを見せた一方で、ネタ番組ブームでもありました。当時、『エンタの神様』に出るかどうかで芸人さんたちの方向性を分けたようですね。

永沢:『エンタ』のお話をいただいた時に「漫才は視聴率が取れないからコントをやってくれ」と言われて、佐々木と「どうする?」って話し合って。まだネタ中にテロップもバンバン出ていた時期だったんですけど(苦笑)、最終的に「ゴールデンの番組だし、出ようか」って決まった感じですね。 

けっこう漫才にこだわってやってたんですけど、サンドウィッチマンさんと同じで僕らのネタってコントの要素が大きいんですよ。それで、もともと漫才だったのをコントにして出たりしました。 

佐々木:やっぱり芸人界隈では、「漫才をコントに変えられる」とか「万人にわかるつくりにされる」っていうのがネックだったんですよね。ぶっちゃけた話、我々も何度かディレクターさんと揉めたこともあります。明らかに面白くないものを「やってくれ」と言われることもあって。 

永沢:内情を話すと、総合プロデューサーの五味(一男)さんがいて、その下にディレクターさんが何人かいるんですよ。オレらはそのディレクターさんと打ち合わせをするんですけど、「僕らはこれが面白いと思います」「それは通らないと思うよ」の堂々巡り。「ここでやり取りしても仕方ないから1回五味さんに投げてくれよ」って思うんだけど(苦笑)、「でも違うんだよな」とかって言われちゃう。 

佐々木:あとは「これをやってくれたら次回も収録に呼ばれるよ」みたいな話を持ち掛けられたりもして、いつも自分たちの中でメリットとデメリットを天秤にかけていました。人によっては「あー磁石、腕落ちたな」って思うかもしれない。でも、『エンタ』は視聴率も高いし、ほかの仕事につながるかもしれない。 

最終的には「出よう」となって何度か出させてもらいましたけど、毎回ちょっと嫌な気持ちになってました(苦笑)。実際に評価を受けるのは我々ですから。 

永沢:「これ絶対面白いしウケるのに」って思うネタが通らないっていうのがね。そこは「やってみてダメならカットすればいいのに」って思いがありました。『エンタ』に出ていたほかの芸人に聞いても、やっぱり同じようなことがあったみたいだし。 

ただ、東京03さんとその話をした時に「え、うちぜんぜんないよ」って返ってきて。「うわ、特別待遇されてる!」って思いましたけど(笑)。

「売れっ子にしてやるからほかに出るな」

――そんな裏事情があったとは(笑)。

佐々木:ただ、我々って五味さんには気に入られていたところがあって。当時、僕らがネタをやっているところをビデオテープに収めてたんですね。それをすでに出演が決まってる芸人さんとか、オーディションで呼ばれた芸人さんに対して見せるんですよ。 

後輩ならまだしも、先輩にも見せたりするから僕らとしては複雑で。トータルテンボスさんから何度も言われましたよ、「この間、お前らのネタ見させられたよ」って(笑)。後輩のネタで勉強しろってそんな失礼な話ないじゃないですか。 

永沢:僕らも見させられましたよ、お手本みたいなテープを。「ゴールデンでコントをやるっていうのはこういうことだぞ」みたいな(笑)。しっかりボケて、しっかりツッコむネタ。つまらないとかじゃないんですよ、まさにサンドウィッチマンさんのネタとかってそうじゃないですか。芸風に合致してるなら問題はないんです。 

佐々木:僕らって早めに『オンエアバトル』に出させてもらったりもして、けっこう調子よかったんですよ。その間に『エンタ』が入ってきたんですけど……番組側から「半年後に売れっ子にしてやるからほかに出るな」と言われて。 

永沢:昔ってけっこうそういうのがあったんですよ。(桜塚)やっくんとか小梅太夫とかも、「『エンタ』に出てる間はほかのネタ番組に出ないで」って囲われてましたから。 

佐々木:ほかでもある話だとは思うんですけど、オレらはそう言われて「そうか、半年後にスターか」と思って。それまでお世話になった番組からのお誘いを全部お断りしました。そもそも多くはないんですけど、断腸の思いで「すみません」って。それで半年後、「あれ?」って(笑)。スターも何も収録に呼ばれなくなったぞ……「え、ほか断ったけど」みたいな。もちろん、その時には断った番組に出られるはずもなく。 

永沢:そんなにすぐ呼ばれなくなってはないよ(笑)。頻繁じゃなくて、ちょこちょこ行く感じになったぐらいです。気に入ってはくれていたんですけど、なかなかネタが通らなくてけっこう大変でした。 

僕らっていろんなネタ番組に出てはいるんですけど、ぜんぜん波に乗っている感じはなくて。浜辺でピチャピチャやりつつ、あとから柳原可奈子とか狩野英孝とかがやってきて波に乗るところを眺めてました。 

M-1準決勝でイチウケも落選した過去

――一方で、M-1グランプリは2003年から2010年まですべて準決勝に進出。ただ、最終的に2015年のラストイヤーまで決勝に届かず終了となりましたが、どんな思いで大会に向き合っていたんですか?

佐々木:う~ん、きつかったですねー(苦笑)。 

永沢:とくに2004年の準決勝でめちゃくちゃウケたんです。ルミネの舞台袖でネタを見ていたダイノジの大谷(ノブ彦)さんからも「絶対行ったよ」「今日、イチウケは磁石だった」って言われるぐらい。 

ちょうどその日に決勝進出者の発表で、全組が終わったらロビーに集合する流れだったんです。ロビーへの移動中、トータルテンボスの藤田(憲右)さんが僕をトイレに呼んで「永沢、お前ら行ったっぽいよ」って言うんです。「え、何で知ってるんですか?」って聞くと「いや、まぁちょっと知り合いにさ……」みたいなリアルな反応だったから「え、マジすか!?」って驚いて。 

ただ、いざ実際にロビーに行ったら、まったく僕らは呼ばれず。むしろ、トータルテンボスさんが決勝に行ったんですよ(笑)。藤田さんが泣いて喜んでて。 

佐々木:二人で抱き合ってやんの(笑)。 

永沢:先輩だけど、「こいつら何なんだよ」って(笑)。ただ、大会自体がそれぐらい内密だってこともわかりましたね。 

佐々木:あと、そう感じるぐらい僕らのネタがウケたってことですよね。藤田さんからそれを聞いても冗談だと思わないぐらい。だからこそ、「じゃあどうすりゃいいんだよ!」って気持ちにはなりました。

永沢:これでも通らないのか……っていうのがね。その後、「M-1は正統派よりも『自分たちの型』を持ってるネタをやんなきゃいけない」って言って、二人でいろいろ試行錯誤しましたね。 

佐々木:M-1って「新パッケージ発表会」ってイメージなんですよ。 

永沢:新しい漫才のパッケージを見せるっていうね。それがハマるとミルクボーイとかぺこぱみたいになる。僕らもそのラインを目指して、ずっとM-1に向けて調整してました。今思うと、その頃ってあんまり漫才を楽しんでなかったなと思います。あの頃は本当にもう「競技」に参加しているような感覚だったので。 

佐々木:アスリートみたいな感じだよね。 

永沢:そうそう。あの頃は「ここ外せば10秒削れる」とか「これウケないから、このボケに差し替えよう」とかって話し合いながら、ずっとライブで試し続けるって感じ。実際に反応を見て、「どうだった?」「じゃあもう1回別のライブで試すか」って言って、「ダメだな」「じゃあ、そこ10秒削って」みたいなことの繰り返しでした。 

佐々木:それと、大きくウケるところは「もうちょっと後半にズラしたほうがウケた印象が強くなる」とかね。 

永沢:それこそ本当に競技漫才でしたよ。 

「​戦いの螺旋から、オレは降りる」

――周りの期待値も高くて、「優勝するぞ」よりも「負けられない」って気持ちのほうが大きくなりそうですよね。

永沢:それもちょっとあるんですよ。2回戦、3回戦あたりのプレッシャーがエグい。準決勝とか1ミリも楽しくないし、すごい緊張するし。ただ、僕らってM-1は準決勝で全部敗退したんですけど、その後に「THE MANZAI」で決勝に行くんです。 

それってM-1で決勝に行くためにつくったネタだったし、決して無駄ではなかったなと思いました。とはいえ、やっぱり1回はM-1決勝の出囃子でネタやってみたかったですけどね。

――やっぱりM-1とTHE MANZAIは違うものですか?

永沢:THE MANZAIの決勝はちょっとお祭り感ありましたね。ただ、予選はM-1と同じようにピリついてましたよ。 

佐々木:M-1とは別のシステムで緊張感ありましたね。M-1の決勝を経験したことないから比較はできないですけど、THE MANZAIはデッカいネタ番組だなって感じでした。

――2015年にM-1のラストイヤーを迎えましたが、その時はどんな心境でしたか?

永沢:2010年に一旦M-1が終了して、復活した年にラストイヤー(15年目)っていう。そこで「あぁもう出られないのか」って気持ちになりながらも、どっかうれしかったですね。 

佐々木:解放感みたいなね。 

永沢:(漫画『バカボンド』の)宍戸梅軒じゃないですけど、「​戦いの螺旋から、オレは降りる」っていう。けっこうプレッシャー含めてしんどかったですからね、M-1に出ている時期はずっと。「今年は行くんじゃないか」って周りからの期待もあったし。 

佐々木:下馬評にずっと名前は出てたから、手を抜くわけにはいかないしね。 

永沢:毎年新しいネタを出して、1年かけて調整するって作業は本当にしんどかった。今はもう二人ともただニヤニヤしながら漫才やってる(笑)。戦いの螺旋から降りてからは、楽しくネタができるようになりましたね。

ここからは楽しい仕事しかしたくない

――やり切って「勇退」した感じですね。ネタ番組や賞レースでのたたかいを終えて、今後こんなことをやっていきたいというようなビジョンはありますか?

永沢:僕らって単独ライブに一番力入れてるんですよ。そこに向ける思いって、東京03さん級にあるんじゃないかな。並々ならぬ気持ちで毎回挑んでるから、去年はコロナ禍の影響で中止になって本当に悲しかった。だから、とりあえずは単独を無事開催することですね。 

それと僕は『アメトーーク!』みたいな大きい番組が楽しめないんですよ。「これで爪痕残せたら売れるかもしれない」って考えが脳裏に過ぎって、事前にシミュレーションを何回もやるから1週間ぐらい生きた心地がしない。もちろん番組に出れば反響も大きいしうれしいけど、それ以上に楽しめないんです。 

本来は大きなプレッシャーを超えた先に栄光があるんでしょうけどね。結局、僕は楽屋でしゃべってるのが一番楽しい。今後は肩の力を抜いて、楽しい仕事をやっていけたらって思います。 

佐々木:僕はいい年齢になってきたので、健康を第一に考えて仕事がしたい。20歳とかなら「もっと頑張れよ」って言葉でしょうけど、もうここからは楽しい仕事しかしたくない(笑)。これまで僕なりには精一杯頑張ってきたと思っているので。 

そのうえでライブもやりたいし……若い頃、プレッシャーに感じてた番組に出てみるのもありですね。「失敗しても別にいいんだ」って気持ちの余裕が出てきたので、今なら怖がらずにできる気がします。あとはせっかくですから、ハンバーグ師匠の弟子「ミートボールボーイ」とか僕が2回離婚してるとかってキャラが浸透してくれるとうれしいですね。 

永沢:佐々木は、かまいたちの濱家(隆一)くんみたいになれそうな気もするんですよ。イジられるツッコミみたいな感じで。ただ、周りになかなか気付いてもらえないんですよね。 

佐々木:濱家くんもなかなか気付いてもらえなかったみたいだもんね。けっこう体がデッカくて怖そうだし、ちゃんとしたツッコミもできちゃうから。 

永沢:サンドウィッチマンさんとかは「佐々木がやべぇ」って気付いてくれてる。そういう先輩が増えるといいんですけどね。 

佐々木:やっぱりわかってくれてる方との仕事は、僕も伸び伸びできるし楽しいですよ。僕がどこまでのポテンシャルを発揮できるかわからないですけど、いい感じにイジってもらって楽しく仕事ができたらと思います。 

  • 取材・文鈴木旭

    フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。4月20日に『志村けん論』(朝日新聞出版)が発売された。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」更新中。http://s-akira.jp/

  • 撮影スギゾー

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