紀州のドン・ファン事件 逮捕の元妻が語っていた「遺産のこと」
<2018年5月24日に亡くなった紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏と生前から交流があり、彼を取材し続けたジャーナリスト・吉田隆氏による「深層レポート」。今回は、葬儀の段取りの際に起こった「奇妙な出来事」について回想する。>
「遺骨はいりません」
4月28日に逮捕された「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)の元妻・須藤早貴容疑者。彼女が罪を認めるのか、それとも無実を主張するか、その動向に注目が集まっているが、野崎氏と生前から交流していた私は、早貴容疑者とも何度も会っていた。
野崎氏への愛情を見せることもあったが、「本当にこれが妻の振る舞いだろうか」と疑問に思う瞬間を数多く目撃したのも事実だ。
その最たるものが、野崎氏の葬儀における早貴容疑者の態度だった。
2018年5月24日の夜に亡くなったドン・ファン。その遺体は、同日深夜に田辺市の自宅から100キロほど離れた和歌山県立医大に運ばれて、解剖された。遺体は27日まで自宅に戻ってこなかった。
その間、通夜・葬儀の日程及び式次第の打ち合わせをするために、葬儀社の係員がドン・ファンの自宅を訪ねてきた。26日には自宅リビングに関係者が集まった。妻である早貴容疑者を筆頭に、家政婦だった木下さん、そしてドン・ファンの会社の番頭さん、経理の社員。長年ドン・ファンを取材してきた私も、訃報を聞いてドン・ファン邸に駆け付け、この打ち合わせに同席していた。
遺体がいつ帰ってくるのか分からなかったので、ひとまず葬祭場を仮押さえし、祭壇のランクをどれにするのか、遺影の背景のデザインはどうするか、などをカタログを見ながら決めていく。中心となって進めたのは、経理の女性と早貴容疑者だった。
二人の意見を中心に、祭壇は200万円台のクラスにすることが決まった。
「お寺、お墓はどのようにしますか?」
葬儀社の係員が聞いた。ドン・ファンのお墓は生前に用意されていないことが分かったので、どこに設けるのかなどの話題になった。
「早貴ちゃん、遺骨は東京に持っていってもええんやで。お世話ができる近いところにお墓を建てたらええんやから」
番頭さんがそのようにフォローしたが、このとき、早貴容疑者はうつむいたままだった。そして意を決したように口を開いた。
「私、遺骨は要りませんし、お墓も要りません。遺産を貰ったら東京に帰りますから」
「はぁ…?」
リビングに重苦しい空気が漂った。まさかの発言に誰も声を上げない。故人と親交があった私は、さすがに故人を偲ぶ態度ではないだろうと心の底から怒りが湧いてきて、それが口から飛び出した。
「君、何を言っているんだ。お墓も遺骨も要らないって、それが妻の言葉かい?それなら『遺産も要りません』って言って、東京に帰ればいいじゃないか」
私がこう一喝すると、彼女はふてくされたようにそっぽを向いたのである。
喪主ってなに?
しばしの沈黙を破るように、再び葬儀社の係員が葬儀についての話を進めた。
「奥様が喪主ですので、通夜の時にご挨拶をお願いします」
葬儀社の係員がそう言ったのに、早貴容疑者は全く反応しなかった。
「喪主?」
当時22歳だった早貴容疑者は喪主という言葉を全く知らなかったようだ。私たちが丁寧に説明した。そのうえで、
「ご挨拶のひな形がありますからそれをアレンジしていただければ…」
と、係員がカバンから挨拶のサンプルが記されたコピー用紙を取り出して早貴容疑者に手渡した。
「みんなで手伝おうか?」
私が助け船をだした。
「いえ、私ができますから結構です」
「遺産発言」を批判した私を恨んでいるのか早貴容疑者は断った。

結局、通夜と葬儀では早貴容疑者が「喪主」として祭壇の前で挨拶に立ったが、それはひな形のあいさつ文そのまま読み上げたもので、アレンジもされていない空虚なものだった。
逮捕から二日。これから彼女が語るのは「空疎な言葉」か、それとも私も知らない真実か――。
取材・文:吉田隆(ジャーナリスト)