ドンファン元妻は何を食べるか…伝説の刑事が語る「取り調べメシ」
取調室でカツ丼はもう食べられない
世間を騒がせた「紀州のドン・ファン怪死事件」。4月28日早朝、和歌山県警は亡くなった資産家・野崎幸助氏(享年77)の元妻・須藤早貴容疑者(25)を東京・品川区の自宅マンションで、殺人などの容疑で逮捕した。早貴容疑者は身柄を和歌山県へと移送され、和歌山県警内で「取調べ」を受けることになる。はたして和歌山県警が早貴容疑者からどのような供述を引き出すのかが注目される。
事件解決のキーとなるのが「取調室」。ここで逮捕された早貴容疑者は拘留期間中に何を食べるのか? また担当刑事たちはどんな食事をするのか?
取調室の周辺について解説をしてもらうのは拙著『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文藝春秋)の主人公である、“伝説の刑事”大峯泰廣氏だ。元警視庁捜査一課理事官で、多くの殺人犯を「完落ち」させた大峯氏のテクニックについては拙著を参照してほしい。本稿では知られざる「取調べと食事」について論じていきたい。
「おう、カツ丼でも食うか?」「母親が泣いているぞ」
取調官の刑事が語りかけ、机に丼をドンと置く。容疑者は涙ながらにカツ丼をかきこむ。刑事ドラマでお馴染みのこうしたシーンは、実は現在の取調室では存在していない。警察庁が容疑者に食事を提供して自白を誘導するような「便宜供与」を厳しく禁止しているからだ。
「刑事がカツ丼を奢るというのはもってのほかで、便宜供与と見なされる。取調室で出せるのは水かお茶くらいなのです」(大峯氏)
一説によると1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」で、犯人の自白を引き出すために取調室でカツ丼が出されたという逸話が、取調室=カツ丼のイメージを定着させたと言われている。まだ貧しい時代だった当時、カツ丼は大変なご馳走であり、容疑者は喜んで食べ、そして自供したといわれている。
カツ丼だけではなく、かつての取調室では、容疑者がステーキを食べたり、紅茶、ブランデーを飲むといった豪勢な食事を取ることが許されていたことも。
しかし、そうした行為は癒着とみなされ、取調べを巡る不祥事が相次いだことで厳しく取り締まられるようになった。現在は、カツ丼はもとよりペットボトルの飲み物やチョコレート、ガムなどを容疑者に与えることも前述のように「便宜供与」にあたるとして禁止されているのだ。
「いまは容疑者を取調室で食事させることもありません。容疑者は留置所で食事を取ることになります。食事には警察署が支給する『官弁』と、容疑者が自腹で注文する『自弁』の二種類がある。だいたいの容疑者は官弁を食べているのではないでしょうか」(同前)
では、いま容疑者が食べている「官弁」はどのようなメニューなのか。官弁は警察署が契約している弁当屋が作るもので、朝昼晩提供されるという。メニューは弁当屋によって違うが、「飯と質素なおかず、薄いみそ汁に、漬物というパターンが多かった」(同前)という。
「自弁」は容疑者が代金を払って好みのものを食べることができるシステムである。ただ自由といってもウーバーイーツで好きなメニューが頼める訳ではなく、警察署に出入りしている業者のメニューの中からしか選べないという制限がある。
「だいたいの署では、蕎麦屋や中華料理屋の出前メニューから選ばせるということが多い。よく食べられていたのはカツ丼、親子丼、カツライスなどだね。質素な官弁に飽きてしまうということがあるだろうし、取調べ=カツ丼のイメージもあるせいか、容疑者はガッツリと食べたいという気持ちになるようだ」(同前)
前述のとおり容疑者が取調室で食事を取ることはなく、一時間ほどの昼休み時に留置所に戻り食事を取る。ただし、大峯氏はこうも言う。
「ホシが落ちそうなときはメシを食わせないときもあった。それは飢えさせるという意味ではない。ホシは心理的に追い詰められたときに自供する。その追い詰められたタイミングで、食事に戻ってしまうとか、トイレに行く、水を飲むだけでも心理的に一息つけることになる。そこで全てを飲み込んでしまう、ということがある。それを避けるために、メシを食べさせないということもあった」
一方で刑事たちは食事に対するこだわりを持つ。ジンクスを重んじるのだ。犯罪捜査は運に左右されることがままあるからだろう。
「犯人が逮捕されるまでは、蕎麦やうどんなどの『長い物』を食べなかった。麺類は手早く食べられるメリットがあるものの、そのフォルムから『捜査を長引かせる』ともされていたからだ。ゲンが悪いと避けていた」(同前)
現役時代、大峯氏は食堂の定食や寿司やうな丼、外食するときは日替わりランチやカレー、弁当を選ぶことが多かったという。捜査中はいつ緊急連絡が入るかわからない。素早く提供されて、手っ取り早く食べられるものを好む刑事が多い。
実は酒に対するこだわりもある。大峯氏の同期で、元マル暴刑事として鳴らした市原義夫氏が語る。
「刑事はサッポロビールを飲む人が多かった。サッポロのラベルの星マークにあやかって、『ホシを飲む』とゲンを担ぐのです。サントリーの酒はトリーという言葉が『取り逃がす』に繋がる、キリンビールはマークから『逃げ足が速い』を想像させる、アサヒは『朝日が昇るとホシ(星)が見えなくなる』と敬遠されていました」
「紀州のドン・ファン怪死事件」はこれから本格的な取調べが始まる。早貴容疑者はどんな思いで和歌山の“官弁”を食べるのかーー。

取材・文:赤石晋一郎
南アフリカ・ヨハネスブルク出身。「FRIDAY」「週刊文春」記者を経てジャーナリストとして独立。日韓関係、政治、事件など幅広い分野で執筆を行う。新著『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文藝春秋)