紀州のドン・ファンが生前、新妻を「あの女」と呼んだ瞬間 | FRIDAYデジタル

紀州のドン・ファンが生前、新妻を「あの女」と呼んだ瞬間

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車に乗ってドン・ファンと出かけたこともあった須藤早貴容疑者。この写真は車内をしらべるために和歌山県警の女性捜査員と一緒に車に乗った場面(18年5月26日)
車に乗ってドン・ファンと出かけたこともあった須藤早貴容疑者。この写真は車内をしらべるために和歌山県警の女性捜査員と一緒に車に乗った場面(18年5月26日)

<2018年5月24日に亡くなった紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏と生前から交流があり、彼を取材し続けたジャーナリスト・吉田隆氏による「深層レポート」。今回は、ドン・ファンと須藤容疑者の知られざる私生活の一面を回想する。

「いやあ、参りましたよ…長い間この仕事をしていますが、その中でも一番モノが散乱していた」

和歌山県警の捜査関係者が苦笑していたことを、いまでも鮮明に思い出す。

2018年5月24日夜に遺体となって発見された、和歌山県田辺市の資産家「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏。殺人の疑いで元嫁の須藤早貴容疑者が逮捕されたが、私はドン・ファンと長い時間を過ごす中で、彼女ともそれなり以上の時間を過ごしてきた。彼女と親しい付き合いをしてきた友人や知人を除けば、彼女のことを見てきたほうだ…という自負もある。

彼女が今後何を語るのかには、私も注目しているが、ドン・ファンとの生活を見るなかで、私も彼女の言動に驚かされたことが多々あった。

冒頭の言葉は、ドン・ファンの葬儀が終わったあと、新宿区内にある早貴容疑者の自宅マンションに、和歌山県警の捜査員たちが捜索に入ったあと、関係者がもらした一言だ。取材の過程で県警の関係者とも交流していた私が、捜索後に「どうだったか」を聞いたところ、このような感想が漏れたのだ。

いくらドン・ファンと親しい付き合いをしていたからといって、私自身は早貴容疑者の部屋に入ったことはない(当然だ)。しかし、事件後に彼女の部屋に足を踏み入れた別の関係者は、県警関係者と同じようにこう話していた。

「ボクもびっくりしましたよ。部屋は足の踏み場もないほど散らかっていて、ゴミ袋が何個も置かれていました」

早貴容疑者はドン・ファン亡き後も田辺市のドン・ファン宅で生活していたが、寝起きしていたのはドン・ファンが亡くなった2階の寝室ではなくて、1階のゲスト用の部屋だった。

「私、一人でここに寝ているんです。怖いんですよ」

家政婦のKさんもいなくなった自宅で、彼女はこう本音を吐露したこともあった。Kさんがいたときには、彼女はKさんと一緒のベッドで寝ていた。キングサイズのベッドなので、大人二人が寝てもなんの問題もなかったのだ。

「いびきもかかないし、寝相はいいわよ」

Kさんは当時そう言っていたが、彼女の「私生活」には不満があるようだった。

「掃除とかかたづけをする感覚がまったくなくて、ちらかしっぱしなのよ。スゴいんだから」

彼女には掃除をするという感覚があまりなかったようで、たしかに彼女が暮らしていたゲストルームにはゴミが散乱していたのはもちろん、脱ぎ散らかした黒い下着が転がっている有様だった。下着を洗濯するという感覚もなく、後でゴミとして捨てていた…とKさんは話していた。

甘いものが好き

早貴容疑者は普段はまったくお酒を飲まなかった。タバコも吸わずギャンブルにも興味がない。波乱の人生そのものがギャンブルなのだろう。

彼女の好物は肉。肉を食べた次の日も肉、その次も肉…という「肉食系女子」である。焼肉が大好物で、ステーキも好きだ。〆にビビンバもしっかり食べていた。

デザートは欠かさない。ケーキはモンブランが好物で、それを知っているドン・ファンは新妻のために大阪の老舗ホテルでモンブランをお土産に持ち帰ることも少なくなかった。

ドン・ファンが住む田辺市には遊び場もなかったので、家の中ではスマホやタブレットでゲームに興じていた。ほとんど一日中ゲームをしていたのである。

2018年4月になって田辺で暮らし始めた彼女は、すぐに自動車教習所通いを始めた。もちろん費用はドン・ファンが支払った。一日中暇だった彼女は20日少しで免許を取った。

「一回も試験に落ちないで免許を取ったんやで。早貴さんは天才やろ」

ドン・ファンが嬉しそうにこう話していたことを覚えている。免許を取得した日に、ドン・ファンは彼女が運転する車に乗って、白浜町のリゾートホテルに食事に行ったという。ちなみにドン・ファンは彼女のことを機嫌のいいときは「早貴ちゃん」ではなく「早貴さん」と呼んでいた。機嫌の悪いときには「あの女」である。私生活のだらしなさには気を留めなかったようだが、彼女がしばしば東京に戻ったり、おカネの話でいざこざがあった時には「あの女」と呼ぶのを何度も聞いた。

二人が一緒に暮らしていた時期もたしかにあった。二人で一緒に食事に行っていた瞬間もたしかにあった。いま、ドン・ファンは彼女のことを「早貴ちゃん」と呼ぶのだろうか。それとも「あの女」と呼ぶだろうか…。

<大特集!「紀州のドン・ファン 知られざる壮絶生涯」はこちらをクリック

  • 取材・文吉田隆

    ジャーナリスト

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