東大でも人気上昇!若手プロ代表格が語る「日本ポーカー界の未来」 | FRIDAYデジタル

東大でも人気上昇!若手プロ代表格が語る「日本ポーカー界の未来」

パチンコで家計を救い、看護士経験もある小原順プロに聞いてみた

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2015年11月、ポーカー世界シリーズを制したアメリカ人プロポーカープレーヤー、ジョー・マッキーヘン。当時24歳で日本円にして9億4000万円以上を獲得した(写真:アフロ)
2015年11月、ポーカー世界シリーズを制したアメリカ人プロポーカープレーヤー、ジョー・マッキーヘン。当時24歳で日本円にして9億4000万円以上を獲得した(写真:アフロ)

昨年から続くコロナ禍にあっても、変わらない光景がある。

その一つが、毎年4月から5月にかけての大学の学生サークルだろう。大人数での活動や歓迎会などの飲み会は、まん延防止等重点措置などもあいまって、開催困難な状況が続く。だが、学生生活への期待に胸をふくらませて入学してきた新入生たちが、学業以外のサークル活動に興味を持ち、実際に入会する姿は昔も今も大差がないはずだ。

4000円が2億7000万円に変わる世界

ただ、大きく変化していることもある。

近年、若者を中心に人気急上昇中のカードゲーム「ポーカー」である。大学生ポーカーサークルが、全国各地に誕生。大きな盛り上がりを見せているのだ。

最高学府・東京大学の「東大ポーカー同好会 Big Slick」は2014年設立。「他の人に迷惑をかけない範囲ならばどんなメンバーでも歓迎します」という運営ポリシーのもと、およそ140人が登録している。2019年には東大文化祭に初出展するなど、学内での認知度を高めている。

同好会代表の薙野眞斗さん(工学部4年生)はこう語る。

「全国的に大学ポーカー同好会の盛り上がりは感じます。都内で一番盛り上がっているのが、東京工業大学。他には北海道大学や京都大学も盛り上がっていると聞きます」

コロナ禍以前には、東大駒場キャンパス内にある学生会館でポーカーをプレー。もちろん、日本において金銭をかけたプレーは法律で禁じられているので、純粋にプレーそのものを競う「競技」と「遊び」の範囲内での活動だ。学生同士の交流戦も活発に行われていた。

そんな活動の中から「将来はプロポーカー選手になりたい」という東大生も増えているというのだ。事実、彼らの目線の先には日本におけるプロポーカープレーヤーの代表的存在とも言える、木原直哉氏(東京大学理学部卒)の背中も見えているのだろう。

ポーカーブームを作り出したとされるクリス・マネーメーカー(写真:アフロ)
ポーカーブームを作り出したとされるクリス・マネーメーカー(写真:アフロ)

ところがそもそも、「プロポーカープレーヤー」は、本場アメリカでは「若者がなりたい職業ランキング」で上位に位置するほどの人気を博している。その端緒となったのが、2003年の世界最大のポーカートーナメント『World Series of Poker(ワールド・シリーズ・オブ・ポーカー、WSOPと略称される)』である。

このメインイベントで、クリス・マネーメーカーという若者が優勝。賞金250万ドル(現行レートで約2億7千万円)を獲得したのだ。本来ならばエントリフィー(出場費)だけで1万ドル(約108万円)もかかるところだが、マネーメーカーはアメリカでは合法のオンラインポーカーで予備予選に出場。そこで出した金額はわずか40ドル(約4300円)。

つまり、「ある日突然、20代の若者でも実力次第で4000円を2億7千万円に変えられる」ことが世界に知られるところとなり、一気にポーカーブームが到来。そのわずか2年後、オーストラリア人のジョー・ハッシャムが同じメインイベントで優勝した時は、エントリー数増加により優勝賞金は750万ドル(約8億1千万円)にまで跳ね上がっている。

コロナ禍で昨年のWSOPはオンライン主体の限定開催だったが、今年の秋から復活予定だ。コロナ禍以前の直近の数年の実例を考慮すれば、優勝賞金は日本円にして10億円前後と予想される。

では、東大生ですら憧れるポーカー界だが、日本においてはどのような盛り上がりを見せているのだろうか。

日本人賞金ランキング18位の小原順プロに話を聞いてみた。

「もともと、僕がポーカーを始めたキッカケは、当時住んでいた池袋にあった、アミューズメントカジノだったんです。知人に誘われて行ったら、いきなりトーナメントに参加することになって。たしか100人くらい参加した大会でしたかね。で、その日に『これは一生かけてプレーすることになるな』と直感的に思いまして。そこから、ポーカーの世界にハマっていきました。こんなに面白いゲームがあるのか、と。そこから調べまくって、職業に出来るのではないかという結論に至りました」

今年33歳の小原プロがポーカーに染まったのは、今からおよそ6年前。「海外で職業として認められているのであれば、最悪海外に行けば良いと思いました。自分の人生は、これで行こうと」

ポーカーにかける熱い思い語った小原順プロは5月7日に33歳の誕生日を迎えた(撮影:村田克己)
ポーカーにかける熱い思い語った小原順プロは5月7日に33歳の誕生日を迎えた(撮影:村田克己)

小原プロがポーカーをはじめるにいたった「壮絶な過去」

いま、東京都内を中心としてポーカー主体のアミューズメントカジノが急増している。もちろん法律で禁じられているために、お金をかける場所ではない。参加費を支払い、トーナメントで勝ち抜くと様々なプライズ(例えば海外のトーナメント渡航費補助)がついてくるというシステムだ。そういった場所が急増しているという背景には、おのずと競技人口が増えている事実がある。

小原プロはこう明かす。

「日本でポーカープレーヤーが増えていることについては、ユーチューバーの『世界のヨコサワ』こと、横澤真人さんに感謝ですよね。彼のおかげでこれまで行けなかったカジノの実際の姿が見られて、なおかつポーカーを海外でプレーするとはどういうことなのかということが、全国何十万人もの皆さんに認知されたわけですから」

4月30日時点での『世界のヨコサワ』のYouTubeメインチャンネル登録者数は57.9万人。前述の東大ポーカー同好会でも「ヨコサワさんの影響もあり、こちらから勧誘活動をしなくても、新入生の方が調べて入会してくるケースが増えました」(薙野代表)という。

これまで国内には合法カジノが存在せず、従って合法的な賞金が得られるトーナメントも存在しない。つまり、日本におけるポーカー界のこれまでは、ごく一部の興味ある人々が海外でプレーするという、マイナー中のマイナーな世界だった。トーナメントなどは拘束時間も長く、トンボ帰りの海外旅行では済まない日数を要する。よほどお金と時間に余裕がある人でなければ「手が届かない世界」だった。

その狭い世界が変わりつつある。

学生サークルが増え、アミューズメントカジノでプレーする人数も増え、『世界のヨコサワ』に触発されるかのようにポーカー系ユーチューバーも増えている。

小原プロは「日本においてはIR(カジノを含む統合型リゾート)が出来る、出来ないは関係なしに、ポーカーは独自の発展を遂げていくと思います。僕個人がそうです。海外のカジノでトーナメントやキャッシュゲームやるのは、もちろんプロですからそれが生活ですが、日本のアミューズメントカジノで実質的に何のお金がかかっていない大会でも、真剣に楽しく取り組めますから。これからも、そういう日本のプレーヤーがどんどん増えていくはずです」

とはいえ、裾野が広がればおのずと世界で戦える人材も増えるのではないだろうか。その結果、世界の頂点に立てる――WSOPメインイベントを制する――日本人プロが出てくるのではないか。そんな質問をぶつけてみると、世界との
大きな「壁」が見える回答が待っていた。

「これまでトーナメントで対戦してきた海外のプロとも多数交流があるのですが、彼らから言われることは、日本人はとにかく『弱い』ということです。日本人は、国民性としてポーカーに向いていないと思っています。人と全く違うことをするのが、ポーカーなんです。人と違うことをすればするほど、利益が出るのがポーカーなんです。

テーブルに8人いたとして、7人が同じ戦術をとっていたとします。残り1人が違う戦術で相手を攻め続けると利益率が高まる。それがポーカーの基本的な考え方なんです」

ところが、日本人の大多数は「周りがそうだったら、自分もそうしようかな」という同調性の強い思考(言い換えれば、ムラ社会における共同体的思考)を基本として生きてきた。それゆえ、「日本人はとにかくリスクを取らないと、世界のポーカー界ではそう見られています」と小原プロは説明する。

「日本人は真面目で良い人が多いと思われています。でもそうした国民的美徳は、戦いの場であるポーカーテーブルにおいて、海外のプロたちからすれば“つけ入る隙”でしかないんですよね」

小原プロ自身、プロ契約してまだ2年目とプロの世界ではニューフェースであり、チャレンジャーだ。 だが、その半生は大多数の日本人的生き方とは異なるものだった。

岩手県のジャム加工工場で働く父と、専業主婦の母との間に結婚23年目に生を受けた。子供の頃はお笑い芸人を目指し、地元の学校の学祭で一人漫談をしたこともある。

小原家は、一家そろってパチンコ好き。満を持して合法的な年齢となり、パチンコ屋に通える前までに、クギ目を読むことができ、店の想定期待値を弾け出すことができるようになっていた。高校3年生の時に父親の工場が定年をあと1年残して倒産。持ち家のローン支払いの大半は、退職金を当てにしていたこともあり、家を失う危機にあう。

「実業家になろう。そのためには人生の保険として、看護士免許を取ろう」と決意し、実際に看護学校に入学。学費や父親のローンの一部は、人生をかけたパチンコで補っている。

看護士2年目の東日本大震災(2011年)の時には、同じ岩手の沿岸部の被災地にボランティアとしてかけつけた。そこから一年間バイクで日本一周を行い、古物商の道へ。秋田県で開業後に上京し、ポーカーと出会っている。

父親の会社の倒産。パチンコでの危機脱出。看護士として震災に直面。全国放浪の日々。切った張ったの古物商業参入。そこからの成功を捨ててのポーカー道へのコミットメント。その人生はどこか歪んでいるようにも見えて、眼鏡の奥の目は常に冷静だ。

「まずは今年のWSOPを目指します。プロの中には、海外のカジノに行ってキャッシュゲームだけやっていれば一生食っていける、という考え方の人もいます。でも、トーナメントには夢があるんです。ポーカープレーヤーとしての夢が」

小原順は真面目で良い人の典型的な風貌である。だが、ポーカーテーブルにおいては「常に人と違うこと」を試み、「リスクを取り続ける」はずだ。

◆小原順(おばら・じゅん)

インタビューに応じた小原順プロ。2年目の期待のホープだ(撮影:村田克己)
インタビューに応じた小原順プロ。2年目の期待のホープだ(撮影:村田克己)

小原 順(オバラ ジュン)
1988年生まれ、岩手県出身。盛岡市立高校、岩手看護学校卒。DHPS所属プロポーカー選手。SuperBrainポーカーアカデミー主宰。生涯ライブトーナメント獲得賞金額 475,090米ドル

【個人ランキング】
Hendon Mob Poker Database算出 日本ランキング18位・世界ランキング4604位、Global Poker Index Ranking 世界1,090位(ランキングは全て2021年4月30日時点)

  • 取材・文鈴木英寿

    実業家・経営者、スポーツジャーナリスト。1975年生まれ、宮城県出身。東京理科大卒。音楽雑誌記者、スポーツ雑誌記者を経て2005年にスポーツジャーナリストとして独立。複数のJリーグクラブの経営幹部を経て現在はフットサル施設運営や複数のベンチャー企業への出資・経営指南なども手掛ける。著書に『修造部長』(松岡修造監修、宝島社)、訳書に『プレミアリーグの戦術と戦略』(ベスト新書)など。

  • 撮影村田克己

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