”普通じゃない”体感映画『ファーザー』が見逃せないワケ | FRIDAYデジタル

”普通じゃない”体感映画『ファーザー』が見逃せないワケ

アカデミー主演男優賞&脚色賞受賞 「自分の記憶が信じられない」体験ができるかつてない傑作

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『ファーザー』 5月14日(金)TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー
『ファーザー』 5月14日(金)TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー

2021年4月26日(日本時間)に行われた第93回アカデミー賞授賞式の最大のサプライズは、間違いなくこの“事件”だろう。『羊たちの沈黙』(91)のハンニバル・レクター役で知られるアンソニー・ホプキンスが、『ファーザー』(5月14日公開)にて史上最高齢(83歳)の主演男優賞に輝いたのだ。

従来であれば、アカデミー賞は最後に作品賞を発表するのがセオリーだった。だが今回は、作品賞→『ノマドランド』、主演女優賞→フランシス・マクドーマンド(『ノマドランド』)と来て、主演男優賞が最後に発表される流れに。

となれば、皆が予想するのは2020年に43歳の若さで亡くなったチャドウィック・ボーズマン(『マ・レイニーのブラックボトム』)の受賞だ。マーベル映画『ブラックパンサー』の主演俳優としても人気が高く、彼の受賞を発表するため、最後に持ってきたのだろう――。そうした空気を一変させたのが、ホプキンスの受賞だったというわけだ。

ただ、驚きがあったとしても、ホプキンスは決して候補者の中でダークホースだったわけではない。英国アカデミー賞では主演男優賞を受賞し、ボーズマンやリズ・アーメッド(『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』)、ゲイリー・オールドマン(『Mank/マンク』)、スティーヴン・ユァン(『ミナリ』)と共に、しのぎを削っていた。実際に本編を観ると、認知症に苛まれる主人公を震えるほど見事に演じ切っている……のだが、本作で彼が果たした功績は、それ“だけ”ではないのだ。

そこについて語る前に、もう1点注目いただきたいポイントがある。それは、本作がアカデミー賞脚色賞も受賞しているということ。脚色賞というのは、平たく言えば“原作”がある作品が該当するもの。オリジナルの企画に関しては、脚本賞に区別される(余談だが脚本賞を受賞した『プロミシング・ヤング・ウーマン』も他に類を見ない傑作。7月16日の日本公開を楽しみにしていただきたい)。

『ファーザー』は元々、作家・脚本家フロリアン・ゼレールによる戯曲だった。世界各国で上演され高い評価を得ており、日本でも『Le Père 父』のタイトルで、橋爪功主演で上演されている。同作品を今回、原作者のゼレール自身が監督・脚本を手掛ける形で映画化したため、脚色賞に分類されたというわけだ。ちなみに、ゼレールはホプキンスと組むにあたり、主人公の名前や年齢、誕生日などをホプキンス本人にそろえた。いわば“当て書き”の要素を加えたのだ。

こうしたエピソードから匂い立つかもしれないが、『ファーザー』は「現実感」にかなり重きを置いている。ただそれは、ドキュメンタリー的に客観的に認知症の人物を描いていくのとはまるで違う。むしろ、本作は超・主観で構成されており、それが衝撃的な作品だ。端的に言えば、観る者が「認知症を体感する」つくりになっている。日本版の予告編などを観ていると闘病ものの感動作のイメージが強いように思えるが(その要素は確かにあるにせよ)、実際に作品を観ると、その斬新な仕掛けにぶっ飛ばされるだろう。この映画、極めて“普通”ではない。

アカデミー賞脚本賞を獲得したのも納得の、斬新な映画である『ファーザー』。ここからは、ネタバレを避けつつその中身について紹介したい。

〈あらすじ〉
舞台は英国・ロンドン。独居老人アンソニー(アンソニー・ホプキンス)のもとに、娘のアン(オリヴィア・コールマン)がやってくる。介護人を断る父の様子を見に来たのだ。アンから「パリで暮らす」という話を聞いたアンソニーは驚くが、それは始まりに過ぎなかった。見知らぬ男性が自宅に突然現れ、アンの話は食い違い、つけていたはずの腕時計が無くなり――。一体全体、何が起こっているのだろうか?

まずは、先ほどに述べたアンソニー・ホプキンスが同名・同年齢の人物を演じるという“前提”で、現実と物語(虚構)の境界が曖昧に。そこから動き出すのは、「記憶の混濁」であり「現実と妄想の融解」だ。

開始直後から、「生活空間をあえて引きのカメラで撮り、その中に人物をぽつんと置く」というやや不気味な雰囲気に意表を突かれるだろうが、その後の展開も不穏なものばかり。訪ねてきた娘のアンに対して「介護人が腕時計を盗んだ」と告白するアンソニーの主張には一貫性がなく、思い込みも激しい。認知症という前提を知っている観客にとっては、彼が作劇法でいうところの「信頼できない語り手」である、という予感が浮かぶだろうが、その後事態は急転する。

娘を見送ったアンソニーの前には突然見知らぬ男(マーク・ゲイティス)が現れ、さらに買い出しから帰ってきたアンは別人。そればかりか、「ここはあなたの家ではなく、あなたは居候です」と言われ、アンソニーはパニックに陥る。そこからは、怒涛の展開だ。時系列が滅茶苦茶になり、10分前に交わされていた会話シーンが、別の会話とつながっていく。

同じ人物を名乗るが顔が違う人々、いつの間にか内装が変わっている家……。何が真実で何が幻想なのかわからなくなったアンソニーは、次第に狼狽してゆく――。

わかりやすい例を挙げるなら『メメント』(00)をはじめとするクリストファー・ノーラン監督作品や、マーティン・スコセッシ監督の『シャッター アイランド』(10)に似たエッセンスが入っており、「認知症をサスペンスとして描く」という点が新しい。

また、これまでの認知症を扱った作品の多くは、本作でいうところのアンの立場=介護者から描くものが多かったが、今回は患者と看護者の双方の視点をシームレスにつないでいくことで、どちらの混乱や困惑も克明に描いている。自分の記憶が信じられなくなり、現実と妄想がごちゃ混ぜになってしまった状態は、こんなに「怖い」のだ――。『ファーザー』を観ていると、そうした感覚に身震いさせられる。

それでいて、父娘の間にしこりを残す過去の出来事が紐解かれていくという、ある種の王道の親子ドラマの要素もカバーしており、実に老獪。何が正解かわからないスリリングで不安定なストーリーラインの中に、記憶がぐらついても消えない妄執に似たトラウマや愛を、しっかりと混ぜ込んでいるのだ。「アンソニーが絶対に忘れないこと」とは、果たして何なのか? それが明かされるとき、本作は前述の「感動作」としての強さを発揮し始める。

ゼレール監督はマスコミ用のプレス資料の中で「本作は認知症についてのストーリーですが、観客には自分事として見てほしいんです。認知症の症状の一部を自分で経験しているような立場でね。ストーリーは迷路のようなもので、観客はその中にいて出口を探さなければなりません」と語っており、「体感映画」であることを示唆。こうしたアプローチの面白さが、本作を傑作たらしめているゆえんだろう。

そして、ここで冒頭の「アンソニー・ホプキンスがアカデミー賞主演男優賞を受賞」に立ち返りたい。ここまで「計算し尽くされたカオス」を創り出した物語の中で、観客が「混乱しながらも観続けたいと思う」理由の一つは、間違いなくホプキンスの名演にある。困惑し、絶望し、もがき続けるリアルな“反応”が、他人事と思えない生々しさを生み出しているのだ。

一例を挙げるなら、自信たっぷりだったアンソニーが自らの間違いに気づき急に老け込むシーンや、観客の中にあるホプキンス=ハンニバル・レクターのイメージを逆手に取った「急に癇癪を起こすシーンの迫力が、どこか空虚に映る(妄想に取りつかれている可能性が常にあるため)」シーンなど、感情を牽引する立場としても、物語のフックとしても、見事に機能している。

ホプキンスは「大変だったのはセリフの暗記だけ」「認知症の兆候があった父を思い出しながら演じたので実に簡単だった」と語っているが、ここまで入り組んだ物語&演出に対する戦術理解度=読解力が並外れていることを、作品を観ると痛感させられる次第だ。

一見すれば、シニア向けの淡々とした終活映画に受け取られかねない本作。だがその中身は、脳みそを活性化させる超難解な脱出ゲームのよう。だが、飛び道具的な奇をてらったものに終わっておらず、介護のシビアな精神的・肉体的負担や、共感性の高い愛のドラマも内包している。いやはや、とんでもない映画が現れたものだ。

いま現在、国内は緊急事態宣言が発出されており、各地の映画館においては根拠ある説明もなく休業を強いられ、理不尽な状況にさらされている。そのような状況の中でも、覚悟をもって公開に踏み切った『ファーザー』は、見逃すには惜しい傑作だ。ぜひ、かつてない映像&物語体験に、身を浸していただきたい。


『ファーザー』
5月14日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー

監督:フロリアン・ゼレール (長編監督一作目)
脚本:クリストファー・ハンプトン(『危険な関係』アカデミー賞脚色賞受賞)
フロリアン・ゼレール
原作:フロリアン・ゼレール(『Le Père』)
出演:アンソニー・ホプキンス(『羊たちの沈黙』アカデミー賞主演男優賞受賞)
オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』アカデミー賞主演女優賞受賞)
マーク・ゲイティス(「SHERLOCK/シャーロック」シリーズ)
イモージェン・プーツ( 『グリーンルーム』)
ルーファス・シーウェル( 『ジュディ 虹の彼方に』)
オリヴィア・ウィリアムズ( 『シックス・センス』)

2020/イギリス・フランス/英語/97分/カラー/スコープ/5.1ch/原題:THE FATHER/字幕翻訳:松浦美奈
配給:ショウゲート
公式サイト:thefather.jp

© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020

  • SYO

    映画ライター。1987年福井県生。東京学芸大学にて映像・演劇表現について学ぶ。大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション勤務を経て映画ライターへ。現在まで、インタビュー、レビュー記事、ニュース記事、コラム、イベントレポート、推薦コメント等幅広く手がける。

  • 場面写真© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020

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