女性誌で話題沸騰!わずか10分で完売する「幸せの青い器」とは | FRIDAYデジタル

女性誌で話題沸騰!わずか10分で完売する「幸せの青い器」とは

独学で陶芸を学び、好きなことだけにこだわり続けた男の半生!

萩原将之さん
萩原将之さん

女性ファッション雑誌に関わるスタッフの間で、ここ数年話題に上がっているのが陶芸作家の萩原将之(はぎわらのぶゆき)さんが作る“青い器”。ターコイズブルーを中心に、彼が創る作品は全て青。ただこの器、インターネットでもなかなか購入をすることができない。コロナ禍などどこ吹く風と言わんばかりの人気ぶりと、なぜ青にこだわり続けるのかを、直接ご本人へ聞くことにした。

華やかな世界から、突然の陶芸家への転身。そして……

緊急事態宣言が発令されている静かな5月のある日。普段は群馬県に工房に身を置く萩原さんが、東京都内に個展のため上京していた。こじんまりとしたスペース内には、彼が納得をする“青い器”が並べられている。鮮やかなターコイズブルーの作品とは、点と線が結びつかない穏やかな風貌の萩原さん。話し声も同じく静かだった。

でもそんな雰囲気とは一転。ここから始まるのはたった一色に魅せられて、そして生涯を捧げ、図太く生きる男の半生である。

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――陶芸家になる以前は、化粧品ブランドでメイクアップアーティストとして働いていたと伺いました。今から約20年前というと、男性の美容部員さんは稀有な職業でしたよね。

「本当はフリーランスでヘアメイクとして働きたかったんですけど、専門学校を卒業したばかりの若僧を採用してくれる事務所もなかったんです。なので、フィットする事務所を探しながら、勉強も兼ねて化粧品ブランドに入りました。大きな会社だったから、社内コンテストがあったんです。そこで“グラデーション”を認められて何度も賞をもらった経験もあるんですよ……でも……販売が全然ダメで……苦手で……向いていなかったみたいです(苦笑)」

――そこから陶芸家の世界へ転身されるわけですよね。何かインスパイアされたものがあったのでしょうか?

「本当にたまたまなんですけど、テレビで樂吉左衞門の特集を放送していたんです。その様子に影響されて、陶芸を習いに行ってみたんです。実際に土に触れて作ってみたら『これだ!』とひらめきましたよね。もうそこからメイクの仕事をしているのに、気持ちは上の空というか、脳ごと陶芸に持っていかれたような感じでした。で、退職をして力仕事をはじめました。独立をするための資金作りです」

――ごめんなさい、大変勉強不足なんですけど、陶芸家さんとして活動するためにはスタート時にどれくらいの資金が必要なのでしょうか?

「窯を作るためには200〜300万円くらいだったと思います。都内ではとてもできないので、妻の実家がある群馬へ拠点を移して、窯のスペースを確保しました」

――その頃はまだ“青い器”を作っていたわけではなく?

「全然違ったんですよ。誰かに弟子入りもしてないし、すべてが独学。でも土っぽい感じで作りたい器のイメージだけは新人なりに(笑)固まっていたんです。それでも毎日続けていくうちに自分の出したい色が出てきたんですよ」

――全く縁のなかった世界へ飛び込んで、陶芸家として生計を立てると決めて。たった1〜2年間の出来事とは思えないスピードです。

「でも大きなトラブルがありました」

――え、何が……。

「大雪で窯が倒壊してしまったんです」

「両親が病気を心配したほど、幼少期から青オタです(笑)」

――窯が倒壊してしまったら、何もできなくなってしまいますよね。それから再建の資金のメドも心配です。

「再建は当然ですけど資金がなかったですし、陶芸だけという生活は一旦あきらめました。家族がいましたから、食べさせていかなくてはならないと工場勤務に仕事を切り替えて、陶芸は趣味になりました。ちょうど電気窯を購入していたので、そこでできる範囲で細々と続けているような感じでしたね」

――悔しかったでしょうね。

「窯は自分の家の庭にありますから、潰れた状態を毎日目にするんですよ。お金があれば、なんとかなるのに、と思いながら仕事に行っていました。キツかったですね。でも僕には親としての責任がありましたから、生活費を稼ぐのは当然のことですし、子どもにはやりたいことを諦めさせたくないですから。でもちょうどその時に、青にこだわるようになりました。陶芸も趣味だけの範囲でやることなら、自分の好きな色にしたいと」

――それです、青色! 萩原さんはなぜ“青い器”ばかりを作られるのでしょうか?

「もう単純に好きなんですよ。小学生の頃も手持ちの靴下は全て紺色。経年劣化で色が変わってくると『履かない』と言い出す。さすがに両親も病気を心配していたみたいです。今も必ずコーディネートのどこかに青はあります。一度だけ、そんな自分が恥ずかしくて黒コーデをしてみたんですけど、落ち着かないんです(笑)。苦労して作った窯も潰れたし、妙に吹っ切れたので、ここは一発好きな色に執着してみようと思いました」

――働きながら陶芸を続けて、そして今では販売開始10分で売り切れてしまうような人気の“青い器”になりました。このブレイクのきっかけはなんだったんでしょうか?

「3つほどあります。まずは『D&DEPARTMENT PROJECT/d47 MUSEUM』が主催している『NIPPONの47人』に選ばれて、作品が常設展に展示されたこと。僕、群馬県の代表だったんですよ。

それから美容家の神崎恵さんが女性雑誌『with』で、作品を紹介してくれたんです。これはすごく大きかった。

そして同級生が経営する人気ブーツブランド『THE BOOTS SHOP』で、取り扱ってくれたこと。じわりじわりと“青”に気づいてくれて……ありがたかったです。群馬県に移住したのが16年前で、直後に窯が壊れて、で、やっとこの10年間で生活ができるようになりました」

――他人から見たらピンと来なかったとしても、好きなことを貫く重要性を思い知らされます。

「貫くにはお金も必要です」

――きれいごとだけでは済まされないということですよね。

「そうですね。経済的な部分では一度、どん底を見ていますので収入の大事さは知っています。陶芸家が金銭的なことを言うのはあまり良くないとは思いますけど、生活がありますから。窯がダメになって一度は器を作ることをあきらめて、別の仕事をしていた時期、子どもから『お父さんはつまらない。いつも寂しそうな顔をしている』と言われたことがあるんです。そんな顔はもう二度と見せたくないので、お金に関しては多少うるさいかもしれません。ただ単純にケチるとかそういうことではなくて、生きたお金の使い方をしたい」

――生きたお金の使い方?

「例えばですけどスーパーで豆乳を買うときも、一旦は悩みたい。これが本当に必要かどうか、価格帯は合っているのか。考えることがたくさんあります。これだけだとケチ臭くなってしまうので、もうひとつ例を出すと、先日、大工さんにお願いをして工房で色々と作ってもらったんです。作品が作りやすいように整えてもらったのです。普通ならみんな、D I Yで済ませると思うんですけど、ここでプロにお願いすれば、大工さんの技術を残すことができる。そう思ったら、多少高額でも全然払います。これは夫婦の共通認識にしています」

――大変な時期を経て、今は萩原さんの作品を買いたいと待っている方がたくさんいらっしゃいます。例えば、なのですが、今後狙っている“青”はあるのでしょうか?

「陶器以外のガラスを使った青を出すことは考えています。いつか訪ねたいと思っている、中東の建築物やウズベキスタンの世界遺産……色々な青に影響されてイメージを重ねながら、自分の納得のいく青を出したい。弟子を取るとか、そういう予定はないのですが(笑)一人で制作できる範囲で、みなさんに行き渡るように今色々と販売システムも改良中です。お楽しみに」

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萩原さんの作品は今S N Sで、持つと良いことが起きる“幸せな青い器”と呼ばれている。なぜそんな呼び名がついたのかと疑問に思っていたけれど、彼の今日に辿り着くまでの話を聞くと、合点がいく。紆余曲折ありながらも、自分の好きなものとの関係性を常に良好にしていたことが、直の手によって器へ伝わっていたのだ。

こんな不調和な時代なので、熱意を避ける風潮もある。でも実はめちゃくちゃ大事なものだと、萩原さんは強い目力で教えてくれた。

この後、あなたの“好き”も振り返ってみては?

  • 小林久乃
  • 撮影松本時代

小林 久乃

小林久乃(こばやし・ひさの)/エッセイ、コラムの執筆、編集、ライター、プロモーション業など。著書に『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』(KKベストセラーズ)、『45㎝の距離感 つながる機能が増えた世の中の人間関係について』(WAVE出版)、『ベスト・オブ・平成ドラマ!』(青春出版社)がある。静岡県浜松市出身。X(旧Twitter):@hisano_k

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