突然文字が読めなくなった…NHK政治記者「失明の不安との苦闘」 | FRIDAYデジタル

突然文字が読めなくなった…NHK政治記者「失明の不安との苦闘」

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政治部記者時代の杉田氏。外遊先から帰国する政府専用機で小泉純一郎元首相と(画像:杉田氏提供)

モニターにあった文字が、突然視界から消えたーー。

一瞬、頭の中がパニックになる。慌てて手元にあった原稿に目を落とす。なんとか読み上げ、大事にはいたらなかったが、ショックは大きかった。07年5月。NHK夜の報道番組『ニュース7』、生放送中のできごとだった。

NHK「選挙プロジェクト」に所属する杉田淳氏(51)は、現在も緑内障による視野の欠損に悩まされている。同局で唯一の視覚障害を持つ記者だ。等級はもっとも重い1級。右目は光を感じる程度で、左目の視力は矯正して0.1に満たない。以前は簡単にこなせた仕事もできなくなり、一時は仕事を辞める覚悟もした。日々曇っていく視野に絶望し、悩みぬいた杉田氏は、いかにして立ちなおったのか。本人が振り返る、ハンディとともに生きる記者の半生だ。

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「学生(京都大学)時代は、入居者の半分が留学生という国際的な寮に入っていました。その影響で、当時から世界情勢に興味があったんです。就職はテレビ局を中心に受けましたが、民放は惨敗。なんとか受かったのがNHKでした」

杉田氏がNHKに入局したのは93年。宇都宮放送局(栃木県)に5年在籍した後、98年から政治部に所属する。

「外務大臣や国会議員に同行するなど、いろいろな国を取材しました。外国出張が多すぎてパスポートが税関のスタンプで埋まり、ページを増補したくらいです。

思い出深いのは、03年のイラク戦争終結直後に、自民党幹事長らによる訪問団に随行した時のこと。失脚したフセイン元大統領の肖像画が印刷された紙幣を手にした子どもたちに囲まれ、こうせがまれました。『ワンダラー』『ワンダラー』(米国の1ドル札『と交換してください』)と。政治は子どもたちの未来を左右し、翻弄するものだと実感しました」

「ここまで進行したか……」

政治部時代の杉田氏。防衛省からリポート(画像:NHK「取材ノート」より)

国内外の第一線で活躍していた杉田氏が、冒頭で紹介した異変に襲われたのは07年5月。政治部に配属され9年がたち、記者として自信が出てきた矢先のことだった。

「以前から視野がボヤけ、視力は少しずつ低下していました。最初に目の異常に気づいたのは、宇都宮放送局にいた入局4年目の97年ごろ。矯正したはずのメガネが、1ヵ月で合わなくなったんです。眼科医に診てもらうと、視野に見えないところ(死角)があることがわかった。診断結果は緑内障でした。

ただ日常生活や仕事をするうえで支障はなかったので、当時はそれほど深刻には考えませんでした。目薬や内服薬を服用し、対処していました」

だが、緑内障は杉田氏の目を徐々に蝕んでいった。視野が曇り相手に気づかず、同僚からこう言われたことがある。「廊下でスレ違ったのに無視するなんてヒドいじゃない」。広い道路では信号が見つけられず、ちょっとしたパニックになった。

「見えない部分が、少しずつ広がっていくのを自覚していました。決定的だったのが、『ニュース7』本番中のハプニングです。普段は難なくこなせていた、2分程度の原稿読みができない。『ここまで進行してしまったか……』と、ショックでしたね。

原稿を書いても、『。』と『、』、『た』と『だ』など、簡単な打ち間違いが多くなりました。自分で言うのもなんですが、それまでは誤字脱字が少なく、こうしたケアレスミスはほとんどなかったんです。異変に気づいた仕事仲間から、『大丈夫か?』と聞かれるのがツラかった……」

杉田氏は薬を服用し、すでに目の手術も受けていた。新たな有効治療などない。少しずつ視野が失われる現実を、受け入れるしかなかった。朝目覚めると、天井の壁の模様が見えにくくなり「また悪くなっている」と感じる。人が近づいてきても誰だか認識できず、資料を読んでも内容を理解するのに時間がかかる。心の中に広がる暗澹とした気持ち。杉田氏は08年夏前に、ある決断をする。38歳の時だった。

「上司に『政治部から離れさせてください』と申し出たんです。そのまま仕事を続けていても、同僚に迷惑をかけるだけですから。挫折感は大きかったですよ。将来の展望が見えず、マラソンランナーが途中棄権したような気持ちでした」

「救われた!」

「拡大鏡」で文字を読む(画像:NHK「取材ノート」より)

新しい職場が、現在の「選挙プロジェクト」。開票所での情報を事前に集め「当選確実」をイチ早く出す、選挙報道のノウハウを全国の記者に伝える、システムを発展させるーー。そうした仕事がメインの部署だ。

「『ムリをしないでくださいね』と同僚からは親切にしてもらい、締め切りに追われることもなくなりました。温かい言葉に感謝しつつも、喪失感が日ごとに強くなり悶々としていましたね。『もう二度と取材現場には戻れないのか』と」

緑内障はさらに悪化し、パソコン画面に顔がつくほど近づけないと文字が読めない。「この仕事を辞めなければならないのか」とまで考えていた杉田氏に、ある日、思いがけない光景が飛び込んでくる。

「パソコンの画面に、見たことがないほど文字が大きく写っていたんです。驚く私に、同じ部署の同期が声をかけました。『これ使ってみてもらえる? 調べたら便利そうだったから』。『拡大鏡』というパソコン用のアプリで、カーソルを合わせた部分が虫眼鏡を当てたように大きく見えます。拡大倍率は自由に設定できました。

『救われた!』。心底そう思いました。その同僚は普段とても静かで、私の病状など一度もたずねたことはありません。ただ、そばで私の様子を見て対策を考えてくれたのでしょう。今でも彼には感謝しています」

杉田氏は進行する目の病気に立ちすくみ、物事をマイナスにしか考えてこなかった。同僚の気遣いで、気持ちが変わった。絶望するには、まだ早い。できる努力が、もっとあるだろう。そう思えるようになったのだ。

「『拡大鏡』があれば企画書を出せる。できる記事を書こう、自分なりのやり方で仕事を続けようと、少しずつ前向きになれました」

杉田氏は、政治学を教えている大学教授たちと勉強会を重ねる。教授とのネットワークを利用し、大学生約1万人へ政治についてのアンケートを実施。「生活には満足、政治には無関心」という実態を取材し、番組で特集された。

19年の統一地方選前には、地方議員約3万2000人を対象にアンケートを行う。2万人近い議員から回答をえて、地方政治の実態を浮きぼりに。結果は1冊の本にまとめられ、『地方議員は必要か』というタイトルで出版された。

「現在は『拡大鏡』だけでなく、思いついたコトをスマホに話しかけると文章にしてくれたり、打ち込んだ文字を読み上げてくれるソフトも活用しています。生放送中に文字が消え絶望したあの日、取材結果を一冊の本にまとめられるとは予想できませんでした。

失明してしまうかもしれないという不安と隣り合わせなのは、今も変わりません。しかし、メソメソしていても物事は良い方向に向かない。知恵と工夫があれば、どんなに苦しい状況に置かれていても前に進むことはできるんです。ハンデキャップがあっても、自分なりのやり方で仕事はできる。もう『辞めよう』なんて思いませんよ」

記者として、政局や選挙情報を伝える「NHK政治マガジン」の作成で忙しい日々を送る杉田氏。視野は曇り視力は日々弱まっている。だが、表情に憂いはない。

「選挙プロジェクト」のスタッフ。中央が杉田氏(画像:NHK「取材ノート」より)
  • NHK記者杉田淳氏

    1970年東京都生まれ。93年京都大学経済学部卒業。大学時代は陸上競技部で長距離ランナー兼主務。同年4月NHK入局。初任地の宇都宮放送局で5年間過ごす。98年政治部に配属。小渕総理の総理番を振り出しに野党、与党、外務省、防衛省などを担当。08年、報道局選挙プロジェクト。現在副部長。

  • 写真杉田氏、NHK「取材ノート」提供

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