田村正和さん 二枚目役者を超越し天才芸人に通じた「照れ」の魅力
最後まで、流儀を貫いたと思いました。
4月3日に亡くなった俳優の田村正和さんの生涯。弟で俳優の田村亮さんは公式サイトで
《何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います》
と兄の生き方をたたえました。
多くの追悼記事、評伝がメディアに掲載されました。共演者やプロデューサーら田村さんにご縁のある方々が人となりの一端を明かし、謎めいたとされている名優の横顔を少しだけ伝えてくれました。
二枚目俳優としてデビューしキャリアを積んだ後、40代になり田村さんは、二枚目からの脱却を結果的に工夫しました。ドラマ『うちの子にかぎって……』や『パパはニュースキャスター』(ともにTBS系)で三枚目的資質は開花し、その“おかしみ”は名作ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ系)の人物造形につながりました。
「喜劇役者・田村正和」と書いたら、おそらく突っ込まれることでしょう。ただ、成功した喜劇役者やお笑い芸人と田村さんの間には、ひとつの共通点が見えるのです。
それは「照れ」。テレビのインタビューや取材記者から耳にした田村さんの人となりに潜んでいた田村さんらしさは、紛いもなく「照れ」だと考えていました。
一連の追悼記事の中に、田村さんの「照れ」を伝える、実にいいエピソードがありました。ドラマ『ニューヨーク恋物語』を一緒に作ったフジテレビの石原隆さんが、朝日新聞のインタビューに明かしていた撮影中の出来事です。
極寒のニューヨーク、田村さんの代わりに撮影の立ち位置などを確認した石原さんに、田村さんは
「ご苦労さん。石原ちゃん、芝居下手だねぇ」
感謝の言葉の代わりにそう伝えたそうです。
これこそがまさに「照れ」。喜劇役者やお笑い芸人には、この「照れ」を武器にしている人がたくさんいます。
昭和の名優・三木のり平さんは極度の照れ屋だったそうです。のり平さんを師として慕った落語家の古今亭志ん朝さんも「照れ」の塊のような人でした。
ビートたけし、ダウンタウンの松本人志、爆笑問題の太田光が何か言った後、もしくは誰かに突っ込まれた時に見せる一瞬の「照れ」。それはとてもかっこよく、同時に、人を笑わせる喜劇役者やお笑い芸人にこの「照れ」という要素は、必須不可欠なものかと考えます。
田村さんのインタビューや演技に透けて見える「照れ」。だからこそ田村さんは、喜劇的なお役で、二枚目に収まらない、新たな地平を切り開けたと考えます。
ちなみに「古畑任三郎」の脚本家、三谷幸喜さんも「照れ」が全身の血流をめぐっているタイプです。
若いころ、田村さんは落語家の立川談志さんに心酔し、「落語は談志」と言い切っていました。談志さんも「照れ」の塊のような人でした。
田村さんの追悼番組、追悼記事に見るエピソードに触れ、あらためて田村さんには「照れ」があり、それが“おかしみ”をたたえる演技につながったと考えるに至りました。みなさんには、どう映っていたでしょうか…。
- 文:ワタベ・ワタル
- PHOTO:竹本 テツコ
夕刊紙文化部デスク、出版社編集部員、コピーライターなどを経てフリーランスのエンタメライターとして活動。取材対象は、映画、演劇、演芸、音楽など芸能全般。タレント本などのゴーストライターとして覆面執筆もしている