誰がマラドーナを殺したのか…謎だらけの「英雄の死」その深層
突然の死去から6ヵ月 最後の主治医を起訴
マラドーナは死んだのではない、殺されたのだ――。
’20年11月25日に急性心不全でこの世を去ったサッカー界のレジェンド、元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ(享年60)をめぐって大騒動が続いている。
死因を捜査していたアルゼンチンの司法当局は、最後の主治医で脳神経外科医のレオポルド・ルケ医師ら7名を殺人容疑で起訴した。マラドーナが死ぬ危険性を知りながら、適切な治療を行わなかった疑いがあるという。
マラドーナに惚(ほ)れて、’09年にアルゼンチンに移住したブエノスアイレス日亜学院の日本語教師・右下(みぎした)量三さんが言う。
「亡くなった直後から治療体制に不備があったのではないかと国民的議論が巻き起こっていました。11月3日に硬膜下血腫の手術を受け、自宅療養に移っていたのに、突然亡くなったからです。国民の疑念を代弁したのが、マラドーナさんの娘たちでした。世論の高まりを受けて、アルゼンチン医学界の第一人者で組織された医療委員会が調査を行い、マラドーナさんは『見殺し』にされたとの結論を出したのです」
医師たちが起訴されただけでは国民感情は収まらない。マラドーナの代理人、モルラ弁護士に対しても批判の声が上がっている。右下氏が続ける。
「マラドーナさんの病院嫌いは有名でしたが、本来であれば、まだ集中治療室への入院が必要な状態だったそうです。退院を止めなかった医療チームも悪いですが、退院に同意してサインをした娘たちにも責任の一端はあるでしょう。病院からマラドーナさんを連れ去り、自宅で一緒に暮らしていた弁護士らの取り巻き連中も今後、責任が追及されるはずです。
彼らの音声データが残っていますが、これが本当にひどい。『疲れたから昼寝でもするか』『マラドーナはどうする?』『睡眠薬で眠らせておけ』と言って、睡眠薬を砕いて洋酒に溶かし、マラドーナさんに飲ませていたらしいのです」
どんなに騒いでもマラドーナは帰ってこない。アルゼンチンは悲しみに暮れている。’02年の日韓ワールドカップでマラドーナの通訳を務めたアルゼンチン在住の相川知子さんが秘話を明かす。
「アルゼンチンはマラドーナの国といっても過言ではありません。当初3日間の予定で、大統領府で開催された告別式はコロナ禍にもかかわらず初日から数十万人が殺到し、一日で打ち切られました。ブエノスアイレスはコロナの新規感染者が増加し、ロックダウンしていますが、その原因の一つがマラドーナさんの告別式だとしきりに報じられていました。
私が知るマラドーナさんは裏表がなく率直な人。そして心からサッカーを愛している人でした。’02年のワールドカップでのブラジル対ドイツの決勝戦。マラドーナさんにはVIPルームが用意されていましたが、普通のお客さんと同じようにサッカーを楽しみたいと、一般席で見ました。私が『ディエゴはどちらを応援するの?』と聞くと、小さな声で『ドイツ』と言って口をふさぐジェスチャーをしました。続けて『今は言わないでね!』と。周囲にいたブラジル人サポーターを刺激したくなかったのでしょう。
あのときのマラドーナさんの笑顔が忘れられません。 今頃、きっと空の上で、『また相変わらずみんな僕の話をしているよ』と笑っているような気がします」
『FRIDAY』2021年6月11日号より
- 写真:Abaca/アフロ AFP=時事