夢が突然消えた…元タカラジェンヌが葛藤を経て辿り着いた境地 | FRIDAYデジタル

夢が突然消えた…元タカラジェンヌが葛藤を経て辿り着いた境地

「東の東大、西の宝塚」永遠のフェアリーたちのセカンドキャリア

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撮影:長濱耕樹

すべてを賭けてきた夢と目標が、ある日突然になくなる…。宝塚歌劇団86期、月組の城咲あいさんにとって、在団中の一番の事件だった。中学卒業後、宝塚音楽学校に一発で合格し、タカラヅカ伝統の男役スターと並び立つ「トップ娘役」を目指した。

その実力で「次の最有力候補」と認められ、トップにあがるのではないかと関係者、ファンの間でも囁かれたが、2008年、歌劇団の演出方針で目指していた「トップ娘役」が置かれないことが決まった。

当時の城咲さんは簡単には受け入れられなかったが、26歳で退団後、結婚、出産も経て今は育児をしながら、振付や宝塚音楽学校に生徒を送り出す先生として後輩の育成をしている。笑顔で振り返れるようになるまでの葛藤の12年を聞いた。

小学校4年生から目指してきた夢だった…

「『トップ娘役』をなくします、という決定を突然、劇団から言われました。夢が叶わなかったのではなく、なくなってしまったんです。会社の決定ですから、悔しがっても何をしても変わらない。大階段をヒロインの娘役として最後に降りることはできましたが、『それでよかった』という風にはずっと思えなかった。ただ、自分らしい終わり方だったかもしれない、とも思います」

宝塚歌劇団OGの話を総合すると、通常、まずは男役のトップを決め、その相手役としてトップ娘役が選ばれる。実力が判断基準になるのは言うまでもないが、そこに加えて、宝塚歌劇団がお客様にどう見せたいかなどの意向が反映されることもあり、それに見合う人材がいない場合はトップ娘役は置かれない。城咲さん以外にも、過去に数例あったというが、数はとても少ないという。

「東の東大、西の宝塚」と言われるほど、宝塚歌劇団への最初の関門となる音楽学校の入学試験は難しい。応募資格は14歳から18歳。通常3回ある面接が重視され、定員は40人ほどの狭き門に、全国から1000人近くが将来のタカラジェンヌを目指してチャレンジをする。毎年、合格発表の際には全国ニュースになるほどだ。

音楽学校に入れば1日レッスン漬けだ。厳しい規律の中で、城咲さんも「来ていただくお客様に喜んでもらいたい」と必死に稽古を積んだ。劇団に上がってからも、台本を読んで役柄について悩み、稽古を積んでもイメージになかなか近づかない時は「なんでできないんだろう」と自分自身についても悩んだ。時には夜中の2時まで稽古し、睡眠時間が2〜3時間ほどの生活が続いても、不思議と倒れたことはなかった。それは「トップ娘役になる」という幼少期から追い求めた夢があったからだ。

退団後、7、8年前から、宝塚音楽学校を目指す生徒のためにダンスを教えるようになった。城咲さんが続ける。

「最初は『他人の人生の岐路には立ち会えない』と気がすすまなかったんです。でも、いつも助けてもらっている後輩がたまたまレッスンができなくなり、その臨時の代講としてレッスンに行ったのがきっかけです。

彼女たちは、まだ幼いながらに夢を叶えようと一生懸命頑張っている。ならば、こちらとしても『何としてでも入れてあげたい』と必死になるうちに、言いたくない事も言うようになりました。

音楽学校をめざす彼女たちにとって、高校3年生が最後の受験チャンスです。念願かなって合格できるのか、叶わないか…。初めて味わう人生の岐路でもあるんです。教えた生徒全員が合格できるわけではないので、毎年立ち会うのが辛いし、本当に悔しい。今、2か所で受験スクールのお仕事をさせてもらって、今年は9人合格することができたのですが、毎回どうしても、受からなかった生徒のことが心に残ります。必死に頑張ってきたからこそ、気持ちをすぐには切り替えられないですから」

今年は城咲さんが教える生徒に、高校3年生の受験生が多かった。残念ながら、宝塚の世界に足を踏み入れられないことが決まった生徒たちに対して初めて、今まで秘めていた話をしたという。

「私も小学校4年にバレエを始めた頃から宝塚歌劇団の『トップ娘役』になることだけが夢だった‥けれど私の場合は夢そのものがなくなってしまった。本当に辛かったという話をしました」

けれど在団中、もし念願かなってトップ娘役になっていたら今でも舞台を続けていたかもしれない。そうなれば、「教える仕事はしていない」「結婚もしていない」「子供も産んでいない」かもしれしれない。だからこそ、縁があって出会いながらも、音楽学校に入学できなかった生徒には伝えたかった。

「『誰もが二つの人生は歩けない。あの時こうだったら、と思うこともあるけれど。でも私が教える仕事をしていなければ、皆には出会えなかった。だからいつか、宝塚に合格できなかったから、この人に出会えた、こんな仕事に出会えたと思えることが、必ずみつかる』そう話しました。私自身、今の自分の人生をすごく気に入っていますから。

そして、『今が終わりではなく、新しい人生のスタートだ』という話もしました。以前の私は『宝塚が終わったら人生が終わる』と思っていたけれど、退団後の人生の方がずっとずっと長い、ということに気づきましたから」

娘の夢生ちゃんと過ごすことによって価値観も変わってきた(提供:城咲あいさん)

心を奪われた「電車の中吊り広告」

退団した後、城咲さんは2本の舞台に出た。そこで在団中に気づけなかったことに気づいた。

「私は宝塚が好きだったんだな、と。あとは『あなたはこれから何がしたいの?』と聞かれたときにイメージがわかなかった。どんな役をやりたいのか、自分をどんな風に見てもらいたいのか。その時に思ったんです。宝塚時代、与えられた役柄の中で必死に表現をしてきたけれど、役としてではなく、『自分自身を打ち出す強さや自信』というものが、トップになっていく方達と違って足りなかったんじゃないかと…」

退団から約2年後、東日本大震災に見舞われた。そこが結果的に、人生の転機となった。

「あの時、池袋の地下の稽古場にいて、壁が崩れてきた時に『あっ、死ぬかもしれない』と一瞬思いました。

それまで、心のどこかで『いつかダンスの先生をやってみたい』という思いがあったのですが、人にモノを言うことが大の苦手で、私に教えたりすることができるのかなと躊躇していたんです。でも、どうせ死ぬんだったらやってみようと」

再び、扉が動いた。ダンスの仕事が縁となり、2015年にトップバレエダンサー、Kバレエカンパニーに所属する伊坂文月(ふづき)さんと出会い、結婚する。2年後、長女・夢生(むう)ちゃんも誕生した。ちょうどその頃、たまたま電車の中吊りを見た。軽井沢の教会の広告で、そのメッセージの内容に心を奪われた。

「産まれた時は《産まれたこと》をみんながおめでとう、と喜んでくれる。けれど成長していくと、人と比べて自分のできない部分に誰もが悩む。本当は生きているだけで素晴らしいのに…」という内容だった。城咲さんが続ける。

「主人と結婚して、すごく学んだことがありますし、娘が生まれて、さらに考え方も変わりました。私は子供の時から何か大きなものを目指して、一度決めたらそのための厳しい努力を続けなければいけない、と思いながら生きてきました。私も、母の常に努力を惜しまず前進する姿を見てきましたし。でも主人の家は少し違うんです。何か、1日1日をちゃんと幸せに生きる、ということを自然にやっているというか…。

私は宝塚時代、やるべきことをやり切ることしか考えていなくて、1日を楽しむなんて考えたこともなかったですし、毎日帰ったら反省ばかり。でも主人は違っていて、公演が終わって帰ってきたときに『今日はいい公演だった』と自ら言える。私は今までそんな日が1日もなかった。でもそんな姿が新鮮で、主人と出会ってからは宝塚のときみたいに、一人で思い悩む時間はなくなりました。

ですから娘に対しても、何かを目指して一生懸命戦うことも大事ですが、それ以上に、小さいことでも、ハッピーに生きる術みたいなことを学んでほしいなって感じています」

城咲さんが取り組む、宝塚音楽学校の受験生にダンスを教える仕事は軌道に乗ったが、ダンスレッスンというもの報酬は一般的にそう高くは設定できない。はじめた当初は生活を成り立たせるために生徒を集めなければならず、苦労もあったようだ。だが、今では1週間に15〜20クラス(1回45分から1時間半ほど)こなし、宝塚受験の間際になると、個人レッスンのオファーもあり、1日6クラスの日もある。

合間に愛娘・夢生ちゃんの保育園のお迎えやご飯を食べさせる家事もこなす。自分の身の回りにいる人の幸せを願って、一瞬に全力投球している感覚。だから将来の描き方は若い頃と大きく変わった。

「夢と言われると、それがないんですよね。大きい目標もない。もっと上手く教えられるようになりたい、というくらい。でも家族がいて、今の仕事、生活に満足しています。何の根拠もないのに『何とかなるよ!』といってくれる主人にも救われる。夢…90歳くらいになって、主人とゆっくり散歩でもしたいかな。緑の中を…。

今は毎日大変ですし、忙しいです。あっ、『大変』『忙しい』は、宝塚では言ってはいけない言葉でした。『自分より大変で、自分より忙しい人は必ずいるから』って、教わってきたのに…」

そうは話す城咲さんは、とびきりの笑顔だ。顔には「reborn」という文字が刻まれていた。

写真:共同通信社
笑顔で入学説明会に向かう宝塚音楽学校の合格者(写真:共同通信社)
喜ぶ宝塚音楽学校の合格者ら(写真:共同通信社)
撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹
撮影:長濱耕樹

撮影:長濱耕樹

  • 撮影長濱耕樹

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