57歳で社会的に抹殺された元京都府議が明かす「地獄の3年間」 | FRIDAYデジタル

57歳で社会的に抹殺された元京都府議が明かす「地獄の3年間」

どれだけ潔白を訴えても訴えても…

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日本維新の会時代、京都府議として駅前で活動していた谷川俊規氏(右)と京都維新の会代表、森夏枝・衆議院議員(提供:谷川俊規氏)
日本維新の会時代、京都府議として駅前で活動していた谷川俊規氏(右)と京都維新の会代表、森夏枝・衆議院議員(提供:谷川俊規氏)

3月26日、地方紙の片隅に170文字に満たない短信記事が掲載された。見出しは「政活費返還訴訟 大阪高裁が逆転判決」。日本維新の会に所属していた元京都府議の谷川俊規氏が2016年度の政務活動費で不適切な支出を行っていたとして、市民団体「京都・市民・オンブズパーソン委員会」が府知事を相手に政務活動費96万円を谷川氏に返還するよう求めていた訴訟の控訴審判決についての記事だ。

3月25日、大阪高等裁判所は全額返還を求めた一審の京都地方裁判所の判決を取り消し、原告側の請求を棄却したのだ。

一見、小さな問題に見えるが、谷川元府議はこの件で日本維新の会から除名され、妻とも離婚。社会的に抹殺された。3月末で無職になった谷川氏は今、何を思うのだろうか。

所属した日本維新の会から突き放された…

「私は政務活動業務と非政務活動業務をしっかり分けて考えていましたし、事務員の方と共通認識を持てていたという自信はありました。判決で私の政務活動費の使用に関して間違いがなかった、ということを司法がきちんと認めてくださったことはすごくうれしいです。

2018年5月末に、今回の公金横領の疑いに加えて、不倫、DV疑惑があるという内容の報道が出て以来、あたかもそれが事実であることを前提に物事が動いてしまい、私が『事実と違う』と訴えても通じませんでした。あったことを証明することは簡単ですが、なかったことを『ない』と証明することがどれほど難しかったか……」

大阪高裁で逆転勝訴した8日後の4月2日、京都府庁で記者会見を開いた谷川氏。取材に来たのは7人ほどで、テレビカメラは1台もなかった。45分ほどで終えた会見の最後に谷川氏は「今日は(報道陣に)時間をとらせてしまった。本当にありがとうございました」と頭を下げた。

事の発端は2018年5月下旬に週刊新潮に掲載された記事にさかのぼる。日本維新の会から京都府議選に立候補し、初当選してから3年が経過していた谷川氏のことを取り上げた記事で、谷川氏の事務所で働いていた山内凛子さん(仮名、以下同)の証言をもとに書かれたものだ。タイトルは「愛人鉢合わせ事件、DV、公費流用…呆れた『京都府議』に費やされる税金」。

この報道の後、京都府に住む男性が、「公費流用」の報道をもとに谷川氏に約100万円の政務活動費を返還させるように京都府に監査請求。却下された後、住民訴訟を起こす。一審では請求通り全額の返還を求める判決が出たが、今年3月、大阪高裁は原告側の請求を棄却した。

高裁は、谷川氏と山内さん2人の間で、政務活動補助業務と非政務活動補助業務について「峻別」すること、つまりきびしく区別して考えなければいけない…という共通認識は持っていて、「山内さんは、雇用契約に基づいて非政務活動補助業務に従事したことはない」と認定。その判断に至る根拠を7項目あげている。

つまり、谷川氏の逆転勝訴となったのだ。

京都府の議会で発言する谷川俊規氏
京都府の議会で発言する谷川俊規氏

谷川氏は当時の報道をきっかけに、精神的な不調に陥って入院するなど、大変な目に遭っていた。この時、手を差し伸べてほしかった所属先の日本維新の会からも、突き放されるような出来事が起きた。森夏枝・衆議院議員が代表をつとめる京都維新の会から入院中の谷川氏に対し、「(報道で書かれた)政務活動費使用について会見で説明するように」と求められたのだ。

しかし、谷川氏は体調不良で記者会見に出られないため、入院先から文書でA4版4枚にまとめて京都維新の会に提出。だが「説明責任を果たしていない」という理由で、報道から約4か月後の2018年10月、党から除名された。ちなみに、森議員とはFRIDAYデジタルが「前代未聞! 日本維新の会衆院議員が『怪文書作成』バレて謝罪へ」の中で紹介した、同僚への怪文書を作成していた衆院議員のことだ。

2018年12月、京都府議会は、谷川氏から騒動に対する謝罪を受けて「責任は問わない」というスタンスをとった。それだけに、京都維新の会の冷徹さが際立った。

その後、谷川氏は妻とも離婚。2人の子供とも離れ離れになった。生活費を稼ぐために、コンビニエンスストアの店員をつとめた時期もあった。時給の高い朝の時間帯を選んだが、先輩店員に嫌がらせを受けるなど、新たな生活も順調ではなかった。谷川氏が明かす。

「(除名処分を下した)森議員は怪文書の件、そして昨年末にも明るみになった党費肩代わりの件で二度、日本維新の会の党員やメディアに虚偽の説明をしています。でも、彼女は今もなお党に残って仕事ができている。私は当時、党から求められたとおりに文書で返事を出し、今回の裁判でも『おかしいことは結局何もなかった』という判決が出ましたが、3年前に除名され、今は職がなくなった。整合性がとれていないと思いますし、自分の中でもまだ整理がつきません…」

逆転勝訴の判決が出た後の4月2日、記者会見を開いた谷川俊規氏(左)。右は村川昌弘弁護士
逆転勝訴の判決が出た後の4月2日、記者会見を開いた谷川俊規氏(左)。右は村川昌弘弁護士

理不尽な仕打ちが重なっても戦い続けた理由

谷川氏が政治家になったのは、正義感から来るものだった。大学卒業後、26年間は野球を中心に取材するスポーツ記者だった。50歳を機に記者を辞め、日本ボクシングコミッション(JBC)のスタッフになると、未公認だった世界タイトル公認団体(現在は公認)を公認する準備を進めていたことが就業規則に違反する、として懲戒解雇された(のちに円満退職に変更)。

当時、文部科学省の管轄にあったJBCで起きたことは、他のスポーツ団体でも起きているのではないか。「それを変えるためにはスポーツ界から外に出ないと変えられない」という気持ちが沸きあがり、政治の世界に身を投じた。

谷川氏はJR桂駅など、連日選挙区内のありとあらゆる駅に立ち、声を枯らした。開票は4月だったが、夜の京都は冷え込み、零度近くなる。その中でもコートも羽織らず、スーツ姿で終電間際まで立ち、頭を下げた。そんな谷川氏の選挙活動を頻繁に見ていた、あるコンビニエンスストアの女性店員が振り返る。

「ウチのお店に来たときはいつも同じホットの缶コーヒーを買ってくださいました。ただ寒い中、ずっと外にいらっしゃったので、手がかじかんで、財布からお金を出そうとしてもなかなかお金を取り出せない。そんなとき、谷川さんは後ろを何度も振り返っていました。自分のせいで、他のお客さんを待たせていないか、と気がかりだったのだと思います。当選後にもわざわざ来店されて、『おかげさまで…』と挨拶に来てくれました」

理不尽なことがこれだけ重なっても、谷川氏が戦い続けてこられたのは、なぜだろうか。

「まずは政治家の私ではなく、人として付き合ってくださる方々の存在、そして何より子供の存在が大きいです。特に長男は小さい頃、パパっ子でしたから。時間が不規則で休みも少ない記者の仕事の合間に、彼を助手席に乗せてドライブすることがホンマ、楽しかった。その長男が、報道を機に全く口をきかなくなってしまいました。

今回逆転勝訴しても、まだ直接話はできていません。そして何よりおそろしい、と感じているのは、勝訴の判決が出るまでに書き込まれた私に対する誹謗中傷の文言が今でもネット上から消えないことです。

逆転勝訴の記事がネットにあがっても、読者の書き込みの大半は『勝訴とはいっても、これほどの事態になったのだから何かあるはずだ』などと批判的なものです。一度ついたイメージを振り払うのはこんなにも大変なのか、と……。ですから、これからも身の潔白を訴え続けたい。そのために、まずは日本維新の会に『除名解除』をお願いしにいきます。除名のままだと、名誉が回復されません。そして、逆転勝訴した記事が、過去のマイナスの記事より検索上位にくるようにしなければ…」

報じられた「不倫関係」「DV(暴力的行為)」についても、谷川氏は「あり得ない。私としてはひとつひとつ反論していっています。少なくとも、私の周りにいてくれる方々には理解をしていただいています。今後も丁寧に説明を続け、報道内容と事実は違っている、ということを訴えていきたい」と語る。

大阪高裁で谷川氏が逆転勝訴した後、原告側が上告受理の申立てをしたため、判決の確定はもう少し先になる。57歳で社会的に抹殺された谷川氏は、この3月に還暦を迎え、それまで続けていた就労支援の仕事も3月末で契約満了となり無職となった。

安定した収入が見込めないが、谷川氏が今、欲しいのは生活に必要なお金ではない。愛する子どもに対して、「不祥事を犯した父親ではない」という最低限の威厳、そして「まだ、何か起きるのではないか」と怯えなくても済む日々を、取り戻したい。

そう強く願い続ける谷川氏の心の「霧」が消える日は、果たしてくるのだろうか…。

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