大手メディアも伝えた「コロナ・武漢研究所流出説」の深層 | FRIDAYデジタル

大手メディアも伝えた「コロナ・武漢研究所流出説」の深層

情報分析の専門家が解説「メディアから流れる刺激的な仮説」の背景と読み方

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「情報」をどう読むか。

新型コロナが世界を襲ってから、科学分野の記事を目にすることが多くなった。国内だけでなく海外の情報に触れる機会も飛躍的に増えるなか、真偽が定かでない「情報」も多くなった。海外メディアの「情報」を十分な検証、咀嚼することなく「ダダ流し」ているメディアも、残念ながら少なくない。それに踊らされることは不幸でしかない。

「インテリジェンス(情報収集・分析)」の手法に詳しい軍事ジャーナリストの黒井文太郎が、その「読み方」を解説する。

2020年はじめ、中国・武漢で感染者が確認された新型肺炎。当時は情報も少なく「市場が発生源」とも言われたが…  写真: ロイター/アフロ
2020年はじめ、中国・武漢で感染者が確認された新型肺炎。当時は情報も少なく「市場が発生源」とも言われたが…  写真: ロイター/アフロ

アメリカの新聞が報じたことの正しい「意味」

6月7日、米有力紙『ウォールストリート・ジャーナル』が、関係者の話として

「米国のローレンス・リバモア国立研究所が2020年5月に、新型コロナ・ウイルスが武漢研究所から流出した可能性にも説得力があるとの報告書を作成していた」

と報じた。

この記事をロイター通信などが「そのまま」伝えたため、日本のメディア各社も大きく報道したが、ひとつ注意が必要だ。

このニュースだけ見ると、あたかもそれが「事実」であるかのような印象だが、実際は、そうではない。あくまで「一研究機関が、かつてそうした報告書を作成していた」というだけの話であり、しかも何か新たな科学的発見があり、専門家の世界で認められたというような意味ではないことに留意しなければならない。

米国では今、新型コロナ・ウイルスの最初の発生源に関して、「これまで信じられてきた自然界での変異ではなく、実際は中国の武漢ウイルス研究所から流出したのではないか?」という疑惑が浮上し、一部のメディアで大きく取り上げられている。

たとえば今年5月14日、権威ある科学専門誌『サイエンス』で、18人の研究者が共同署名で「中国での充分なデータが得られるまで、自然界と実験室の両方の起源仮説を真剣に考えるべき」とする書簡を発表した。これは今年3月に世界保健機関(WHO)が中国側の主張にほぼ沿ったかたちで「研究所流出の可能性はきわめて低い」との報告書を発表したことに対し、調査が不充分だと批判したものだ。

また、バイデン政権は5月26日、米情報機関に対し、武漢研究所流出の可能性も含めてコロナの起源に関する再調査を行い、90日以内に報告するよう指示したことを公表した。

他にも、一部の米メディアでは、「2019年11月に武漢ウイルス研究所の研究員3名が体調を崩して治療を受けたらしい」とか、「武漢ウイルス研究所ではコウモリのコロナ・ウイルスを遺伝子操作して人間への感染力をつけさせる機能獲得実験と呼ばれる研究を行っていたようだ」とか、さらには「米国のウイルス研究者の間では、武漢ウイルス研究所の機能獲得実験に米国から資金が出ていたことを隠すために、研究所流出説はタブーにされたらしい」とか、さまざまな疑惑が報じられた。

こうした流れから、ネットの一部などでは「自然発生説よりも研究所流出説のほうが優勢」になっているかのような論調も見られる。仮にそれが事実なら、世界中に大混乱を引き起こし、多くの人々を死に追いやった直接の責任が中国当局にあることになり、世界情勢はいっきに緊迫するだろう。一部メディアとネットでは、その真偽をめぐる論争が過熱している。

科学者たちは、冷静だ

しかし、それに対して、ウイルス専門家などの科学者サイドは、比較的冷静だ。たとえば、前述したサイエンス誌への書簡の共同署名者たちも、べつに研究所流出説を支持しているわけではない。実際、その一人であるノースカロライナ大学のラルフ・バリック教授は『ザ・ニューヨーカー』(電子版5月27日付)で「ゲノム配列自体は野生動物からの自然起源を示している」と語っている。

米紙『ロサンゼルス・タイムズ』6月3日付も、他の著名な研究者たちに取材している。たとえばスクリプス研究所のクリスチャン・アンダーセン教授は、どちらのシナリオも可能性はあるが、その度合いは同じではなく、「前例、データ、その他のエビデンスから、科学的には自然発生の可能性が高い」としている。他の専門家の間でも、あくまでどの仮説も証明されていないことを前提に、それでも自然的な変異の可能性が圧倒的に支持されている。

「THE NEW YORKER」で、ある科学者は、ウイルスは「ゲノム配列自体は野生動物からの自然起源を示している」と語っている。いくつかの仮説のひとつを「唯一の真実」のように扱う危険を知っておきたい(画像:「THE NEW YORKER」5月27日版より)
「THE NEW YORKER」で、ある科学者は、ウイルスは「ゲノム配列自体は野生動物からの自然起源を示している」と語っている。いくつかの仮説のひとつを「唯一の真実」のように扱う危険を知っておきたい(画像:「THE NEW YORKER」5月27日版より)

「可能性を否定しない」というのは「肯定」ではない

つまり、これまでは研究所流出説がほとんど軽視されてきたことに対して、科学界からはすべての可能性が否定されていないことが指摘されているが、かといって研究所流出説を支持する声が強まっているわけではないのだ。

また、研究所流出の可能性を否定しないとしても、機能獲得実験により武漢ウイルス研究所が作ったとする仮説を支持する研究者は少ない。

たとえば米ニュース解説サイト「VOX」6月7日付は、やはり前述したサイエンス誌の書簡の共同署名者であるブロード研究所のアリーナ・チャン研究員の次の言葉を紹介している。

「機能獲得実験で誕生したと考える研究者はごく少数で、再調査を求める大多数の研究者は、自然変異のウイルスが事故で流出した可能性を調べるべきだと言っています」

米国の一部メディアは、とくにこの機能獲得実験の疑惑を重視しているが、今のところ専門家サイドの見方では、その可能性は小さいようだ。

もっとも、専門家たちが研究所流出の可能性を否定していないのは、これまでとなんら変わりはない。あえて違いを挙げれば、昨年は「ウイルスの起源は証明されていないが、自然変異の可能性が高い」との前提のうえでの議論だったのが、現在は「ウイルスは自然変異の可能性が高いが、その起源はまだ証明されていない」に比重が移っていることだ。議論の注目点は変化しているが、内容は同じだ。

それに、昨年、研究所流出の可能性の低さが強調されたことには、もうひとつ理由がある。当時、「これが大手メディアが伝えない真実だ!」などと大々的に一部メディアやネットに出回った武漢研究所流出説、とくに恣意的人工ウイルス説や生物兵器説などの論考では、その論拠のほとんどが科学界で否定された雑なものだったからだ。

「誤分析」と「陰謀論」は、拡散パターンが似ている

しかも、その誤分析の語られ方も、ほぼQアノンなどの陰謀論の拡散のパターンと共通していた。これに関しては、筆者自身、それらの誤情報拡散の「仕組み」を検証した記事をいくつも書いている。

筆者の場合は「情報の取り扱い方」という観点から記事を書いたが、実際のところ、高度なサイエンス領域は第一線の専門家にしかわからない。そこで私たちメディア側がこうした情報を評価する際には、専門家の議論をフォローすることが必須となる。仮に興味深い仮説を目にしても、すぐに飛びつかずに、まずは専門家たちの反応を確認することが重要なのだ。

これは今回の研究所流出説をめぐる議論に限らず、コロナ関連報道全般にも言えるが、内外のメディア報道の中で第一線の専門家たちの議論とは離れた医療・科学分野の論者の論考が採用され、政治的なバイアスの効果によって拡散される例が散見される。未証明の論考でも注目に値するものなら報じることに異論はないが、報じ方は重要だ。メディア側のリテラシーが問われる局面と言っていいだろう。

米メディアの議論は「科学的ではなかった」

最後に、この議論の過熱ぶりを懸念する科学サイドの声を紹介したい。権威ある科学専門誌「ネイチャー」が6月4日に発表した「不確実性と研究所流出説」と題するポッドキャスト配信の音声解説だ。

そこでは、この問題を追っている同誌のエイミー・マックスメン記者(進化生物学博士。元MIT科学ジャーナリズム課程フェロー)とノア・ベイカー同誌マルチメディア編集長が、この問題をどう扱うべきか語り合っている。印象に残った言葉は以下のとおりだ。

「(ウイルスは)自然界から来ているというのが現在のエビデンスからは優勢です。しかし、その経緯はまだわかっていない」(マックスメン記者)

「この件に関してたくさんの記事が書かれていますが、実際には新しい証拠があるわけではありません。たとえば、数週間前にサイエンス誌に掲載された書簡には18人の科学者が参加し、『研究所流出の可能性も除外できない。さらに調査をする必要がある』と書かれていました。(中略)これは科学者たちが研究所流出をより重視していることの表れだと受け取られましたが、この書簡に書かれていることは、まったく違います」(同)

「今、この話をしている理由の一つは、米国のメディアがこぞってこの問題を取り上げているから。そして、科学者が騒動に巻き込まれ、多くの科学者が不必要に感じている議論の両サイドに身を置くことになっているからです」(ベイカー編集長)

「科学における不確実性をどのように伝えるかについて、研究者の間で意見の相違があります。たとえばカリフォルニア工科大学のデイビッド・バルチモア教授はウイルスのあるコードを指して人工の可能性を示す証拠だと発言しましたが、他の研究者から異論が出たので本人に質問したところ、『自分は両方の可能性があると言いたかった』とのことでした。でもメディアや世間では先の一部発言だけが取り上げられて流れています」(マックスメン記者)

「科学者がある問題について考えたり表現したりする方法と、一般の人々のそれにはある種の断絶があると思います。(中略)そうすると、そもそも科学界では小さな話だったものが、大きな話になってしまうことがあります」(ベイカー編集長)

「悲しいのは、政治的な目的のために、いずれかの側の証拠とは関係なく操作されてしまうことです」(マックスメン記者)

「この数カ月の議論は科学的なものではありませんでしたが、科学者も参加していたので、人々は科学的なものと受け取っていたのだと思います」(ベイカー編集長)

繰り返すが、この問題はまだどの仮説も証明されてはおらず、さらなる調査は必要だ。今後新たな科学的知見が出てくれば、仮説の順位が変わることもあり得る。

しかし、科学界でコンセンサスが得られないうちは、刺激的な仮説がまことしやかに流布したとしても鵜呑みにしてはいけない。あくまで査読前論文のようなものにすぎず、専門家たちの間で科学的に支持されたわけではない。情報分析の言い方ならば、「未確認情報」に留まるのだ。

サイエンス分野では、世界の第一線の専門家たちの議論を必ず確認すべきだろう。それが「情報を読む」際に必要な基本的な手順である。

  • 取材・文黒井文太郎写真ロイター/アフロ

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