小林亜星さんが生前明かしていた『寺内貫太郎一家』に出演した理由 | FRIDAYデジタル

小林亜星さんが生前明かしていた『寺内貫太郎一家』に出演した理由

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TBSドラマ『寺内貫太郎一家98秋』の制作発表に樹木希林さん(右)と登壇した小林亜星さん(写真:共同通信社)

小林亜星さんが先月亡くなっていたことが明らかになった。亜星さんと言えば我々の世代はドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)を思い浮かべる人が多いだろう。パート1、今の言葉でいうならシーズン1が放送開始されたのはʼ74年1月だった。

1年後にパート2、その後は家族構成やキャストを変えて新シリーズや特別版が制作されている。時代は昭和、舞台は東京の下町。そこで石材店を営む一家とそれを取り巻く人たちの日常を描いた、今では少なくなった“ホームドラマ”だ。しかし、後述するがこのドラマは正統派のホームドラマとはちょっとばかり異なっていた。

「あんなドラマはそれまで見たことがなかったですね。人情喜劇というものもあるがそれともちょっと違う。もちろん台本はちゃんとありますがアドリブも多く、意味不明のシーンがあったり劇中でまじめにコントをやっていたり、ホームドラマという枠から大きくはみ出していました」(ドラマ制作会社プロデューサー)

こんな面白いドラマはないと、平均視聴率は31.3%を叩き出し、『時間ですよ』『ありがとう』と並び‘70年代を代表する国民的ドラマと称されたのだった。当時私は受験生だったのだが、毎週水曜日の放送時間になると勉強そっちのけでテレビの前に座ったものだった。

ドラマの主人公である寺内家の家長・貫太郎は曲がったことが大嫌い。短気でケンカっ早く、気に食わないことがあるとすぐにちゃぶ台をひっくり返す。そして、西城秀樹さん演じる長男の周平とつかみ合いのケンカになり、なだめようとする妻をぶっ飛ばし、最後は周平を庭に投げ飛ばす。

毎回お約束のようにこのドタバタが繰り返される。もはやコメディと見紛うほどなのだが、ホロッとさせられたりジーンと胸に迫るシーンもあったり、視聴者は時に目頭を押さえ、時にお腹を抱え、このドラマに引き込まれていったのだった。

その貫太郎を演じていたのが亜星さんだった。私が亜星さんに初めて会ったのは今から7年前、彼が82歳の誕生日を目前にした時だった。

ドラマでの頑固おやじのイメージが焼き付いていたため、気難しい人なんじゃないかと会う前は不安だったが、そんな心配は杞憂だった。最初こそ緊張している感じだったが、話をするうちに“リアル貫太郎”からインテリジェンスと優しさ感じ取ることができたからだ。

音楽家として数多くの楽曲を作っていた亜星さんは『寺内貫太郎一家』が俳優デビューだった。「なんでまたドラマ出演を?」と尋ねたら、

「デブの役者が欲しかっただけじゃないのかな。冗談じゃないよと思ったよ」

と笑いながら答えてくれた。いまは“デブタレ”というジャンルが存在するが、当時は役者といえばスターだ。主役を張るような役者はすらっとした二枚目が多く、亜星さんのような太った役者は確かに少なかった。高木ブーさんやフランキー堺さんにもテレビ局から打診があったようだが、スケジュールが合わず断られたらしい。最後に亜星さんに声がかかったのだという。

ドラマ放送当時の身長は169cm、体重は115kgあったという。115kgは驚きだがテレビ画面を通してみると、背丈がもっとあるように見え、巨漢という言葉がぴったりだった。お芝居とはいえ亜星さんと取っ組み合う西城さんもたまったものではなかっただろう。実際に投げ飛ばされた西城さんが腕を骨折した話は有名だ。

また亜星さんといえば貫太郎と同じあの丸刈り頭が印象的だったが、「実はドラマ出演のためにあのヘアスタイルにしたのだ」と。話を聞くまで知らなかったのだが、それまではロン毛で、前髪をたらし、銀縁眼鏡をかけていたという。だが丸刈りは長髪より楽なのでドラマが終わってもそのまま続けているとのことだった。

亜星さんは慶応大学経済学部の出身だが、入学したときは医学部だったという。父親の勧めで同学部に進んだのだったが、医者になるのがイヤで、また音楽サークルの活動にのめりこんでしまったことから、親に内緒で経済学部に転部したという。だが卒業時に親にバレて勘当されたということだった。こんなことを聞くのは失礼かと思ったが、“音楽サークルで活動する慶應ボーイ”はさぞかしモテたでしょうと、話を振ると、

「それほどでもないよ」

と謙遜はしていたがまんざらでもない様子。続けて、今でもモテたいですか、と聞くと

「年は取ったけど、ワクワクドキドキしたい気持ちはまだあるね」

と返ってきたので、

大丈夫です。まだまだいけますよ、と言うと、

「そうか!じゃあ頑張るか。ガハハハッ」

豪快に笑った顔は貫太郎に見えた瞬間だった。そして、亜星さんは、

「毎回暴力シーンのあるホームドラマなんてもう作れないと思うが、いまの番組はどれもこれも面白くないね。だからテレビはもう見ない。それに世の中も面白くなくなった」

と、テレビや社会状況を嘆いていた。「役者をもう2度とやりたくない」とも笑っていた亜星さんだが、『寺内貫太郎一家』で共演した俳優たちの多くは鬼籍に入っている。同ドラマの脚本を書いた向田邦子さんも、名プロデューサーだった久世光彦さんも。かの地で彼らに再会し、「またみんなで面白いドラマを作ろう」と言っているかも……。

  • 取材・文佐々木博之(芸能ジャーナリスト)

    宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。現在はコメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中

  • 写真共同通信社

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