スペイン風邪流行下で開催…100年前の五輪に学ぶべきこと
スペイン風邪のパンデミックと戦争の大打撃。それでもオリンピックを開催した意味とは?
今から100年前。第一次世界大戦直後、スペイン風邪のパンデミックも収まりきらない中で開催されたアントワープオリンピック。それは東日本大震災復興とともに、コロナ禍で開催される東京2020と酷似している。
アントワープから学べることはないのか。東京大会が抱える問題と開催の意義とは? オリンピック歴史研究の第一人者、筑波大学の真田久特命教授に問う。


戦争と疫病からの復興を可視化してみせたアントワープ五輪
五輪旗を掲げ、選手宣誓があり、鳩を放つ。現在の開会式で行われる3つのセレモニーは、1920年のアントワープ大会から始まった。
「ベルギーの中でもアントワープはドイツにさんざん踏みにじられ、戦場となった地域でした。街は戦火の傷跡が生々しく、“こんな時にオリンピック? なにそれ”という意見はあったと思います。けれど戦争によって二つに分断されたヨーロッパが連帯していく、そのシンボルがまさにオリンピックでした」(真田久先生 以下同)
古代オリンピックの起源についてはさまざまあるが、第1回は紀元前776年という説が有力だ。実は疫病とオリンピックには、深い関わりがあるらしい。
「古代オリンピックの始まりも戦争と疫病からの復興なんです。1920年のアントワープでは、まさに原点に回帰したような問題が出てきた。そこでオリンピックの理念、オリンピズムを可視化する開会式が誕生しました」

東京2020の開催を希望するかしないか、感染者か非感染者か、今の世の中は二者択一だと真田先生は言う。まさに分断だ。
「そこに差別や対立が生まれる構図があります。同じ人間であるのに差別的な目で見てしまいがちな社会。それがコロナの恐ろしさです。人々が意識的、無意識的に分断している状況は、中国とアメリカの対立や中国と台湾に代表されるように、政治の世界でも広がっている。
こういう時こそ連帯の大切さを示す場が必要で、それはオリンピック・パラリンピックが果たし得るだろうと思います」

関係各所が連帯感をもって取り組み、進捗状況を国民に伝えてほしい
感染状況は予想がつかないといっても「安心安全な大会」をオウムのように繰り返す菅総理には「根拠! 具体策!」と突っ込みたくなる。ここまで日にちが迫ると開催権の返上もできず、まるで戦時中のように精神論で突き進めと言われている気がするのだが…。
「これまでもプロ野球やJリーグで少しずつ観客を入れていくなど、感染を防ぐための工夫はしてきましたし、そういう積み重ねがあるので、一概に“オリンピックはできない”というのは少し早計かなという気もします。
ただ、どうすればリスクを最小限にできるのかという議論が、もっと全体で起こってほしかったなとは思います」
政府と組織委員会、スポーツ委員会、医療界、国際的なところでも、それぞれやってはいるのだ。けれどバラバラ感が否めず、それが国民を不安にさせている。
「全体の話し合いの場をもっと頻繁にもつべきだったし、今回はそういうことをマネージメントしていく人物がいなかったのかな、とも思いますね。連帯をもって進めていかないと二者択一の分断を引きずり、日本社会に大きな傷跡を残してしまいます。
“今はこれに対してこう向かっている”と現状を伝えるだけでも随分違うと思うんですよ。プロセスをきちんと見せることは、今後こういうことがまた起こったときの教訓として非常に重要になります。今からでも遅くはないので、ぜひやっていただきたいですね」
本当の意味での異文化交流を実現させた、日本発の「ホストタウン」は次回のパリでも
選手は感染防止のため、競技の4日前に入り、終わったら2日後には出ろと言われているとも聞く。選手村云々といっても、それでどうやって文化交流ができるのか。
「感染対策を考えると、選手村での交流はしないという方向です。オリンピックはトップアスリートのためだけの交流で、自分たちには関係ない、どうせ東京だけだろうと思いがちですが、そうではありません。
今回のオリンピックでは北海道から沖縄の離島まで、全国528の自治体が、参加国のホストタウンとなっています。大会に参加する国や地域住民等がスポーツ、文化、経済など多様な分野で交流することで地域を活性化し、市民レベルで末永い交流をしていこうというものです。オリンピックでは人との交流が大事ですが、それを具体的に形にしたのがまさにホストタウンといえるでしょう。
これは史上初めての取り組みで、次回のパリ大会でも実施されます。多分、その後の大会にも繋がっていくのではないでしょうか」
ニュースでよく取り上げられたのは、群馬県前橋市だ。南スーダンのホストタウンとなり、内戦の影響で充分な準備ができない選手たちを2019年に受け入れた。大会の延期が決まってからも滞在は続き、前橋市はふるさと納税などを活用して費用を捻出。今や南スーダンの選手たちにとって、前橋市は第二の故郷となっている。
「彼らは市民や子ども、高齢者たちと、ずっと交流を続けています。コロナでホストタウンでの滞在を断念した国も“お互いに大変な時期を頑張ろう”とビデオメッセージを送りあったり、日本の中高生が有名な選手にオンラインで指導を受けたり。そのようなことをずっと続けていましたから、むしろ絆が深まっています。
これはすごいことなんですよ。ホストタウンは日本がつくり出した、新しいオリンピックムーブメントになり得ます」
無形のレガシーを残すことができれば、日本にとって大きな財産に
観客数は収容定員の50%以内で上限1万人。状況によっては無観客もあり得る。経済面でのプラス効果は望めないだろう。日本はこの大会に何を求めればよいのか。
「オリンピックは肥大化しています。これまでは拡大路線で、東京大会では最大の33競技になりましたが、経費もかかるし警備費も必要で、縮小しないといけません。一極集中型も再考の余地がある。 今回を契機として、変化は起こしやすいと思います。
また、IOCが大好きなパーティーなども一切なくなりましたから、そういう意味で東京大会は、簡素化されていると思います」
IOCはとんでもない集団だと報道されがちだが、収入の9割は難民選手団や世界の途上国を中心としたスポーツの発展のために還元していることも、一応付け加えておこう。
「いずれにしても大会が成功したとすれば、これをモデルとして今後はより簡素な大会になっていくし、テクノロジーや情報通信技術を導入すれば、映像を通して感動を届けるものにシフトしていくのではないでしょうか。
経済的な効果ではなく、こういう状況で開催する大会の未来図を示せるか。また、後世に無形のレガシーを残せるか。この大会が日本にとって大きな財産になるかどうかの分かれ目は、そこにあると思います」
「さすがは日本!」と言われるか、ズタズタの大会になってしまうのか。今回のオリンピックは、どちらに転んだとしても、間違いなく歴史に残る大会になると真田先生は言う。
「本当に大変な大会を引き受けてしまいましたが、運命的なものも感じるんです。アントワープから100年ということ、しかも古代のオリンピックから数えると第700回なんですよ。これはもう“歴史の節目”としか言いようがありません。だから再びオリンピズムの原点の問題が我々の目の前に突きつけられた。そう考えると、絶対コロナに負けてはいけないという気持ちになります」

真田久 1955年東京都生まれ。筑波大学特命教授。博士(人間科学)。オリンピックに関する歴史研究、嘉納治五郎の思想と行動に関する研究を進める。大河ドラマ『いだてん』ではスポーツ史考証を担当。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会参与、同組織委員会文化・教育委員会委員、日本オリンピック・アカデミー副会長、日本スポーツ人類学会会長を務める。著書に『逆らわずして勝つ! 嘉納治五郎物語』(PHP研究所)など。
取材・文:井出千昌