リオ五輪金メダリスト白井健三 父が息子に伝えた愛のメッセージ
6月16日、24歳での電撃引退発表 誰よりも悔しさを知る父 「健三、やりたくなったらまたやればいい」
「本当に幸せな体操人生でした」
6月16日、体操の白井健三(24)が電撃引退を発表した。世界選手権とオリンピックで6つの金メダルを獲得した〝ひねり王子〟は、「選手としての未練は一つもない」と晴れやかな表情で語った。
『鶴見ジュニア体操クラブ』で3歳から白井を指導してきたのが、父・勝晃(まさあき)氏(61)だ。抱えてきた苦悩から引退の背景まで、誰よりも近くで見守り続けてきた父だから知る、息子との20年を聞いた。
「3ヵ月前には、健三はすでに引退を決断していたのかもしれません。時々実家に遊びに来ては、何か言いたそうにしていました。私には直接言いづらかったのか、女房に相談していたようです。引退発表の2日前、一緒に食事をした際もあいつの口から『辞める』という言葉は出ませんでした。後で私が『小さいころから日本を背負い戦ってきて疲れているんだろう』と電話したら、『これですっきりした』と言っていました」
白井がその名を世に知らしめたのは15歳のときだ。中学生にして全日本選手権の床運動で2位に入賞。’12年のアジア選手権で優勝し、翌’13年の世界選手権では史上最年少で金メダルを獲得している。
当時の体操界では、オールラウンダーが重宝され、種目別のスペシャリストが代表に選出されることはなかった。突如として現れた新星・白井健三が、体操界の固定観念を覆した。
「中学時代の健三の演技を見た渡邊守成さん(現・国際体操連盟会長)は選考基準を見直した。種目別のスペシャリスト育成が、団体の金メダルへつながると判断したんです。以降、10代の代表選手が出てくるようになりましたね」
方針転換は成功だった。’16年のリオ五輪、内村航平(32)とともに体操界の顔となった白井は、アテネ五輪以来12年ぶりとなる団体での金メダル獲得に大きく貢献した。
だが、メダル確実と目された床運動ではミスを連発し、4位に終わっている。
「本人は『競技人生に悔いはない』と言っていましたが、間違いなく悔しさはあると思います。リオでは『ウサイン・ボルトよりも確実』と言われた個人の金メダルを逃(のが)したわけですから。我が家の一番目立つ場所には、13個のメダルではなく、五輪床4位の賞状をあえて飾っています。その悔しさをバネに現役生活を長く続けて欲しい、という家族の願いが込められていました」
リオ五輪翌年の世界選手権では床と跳馬で金メダルを獲得。しかし、’18年の世界選手権を境に世界の舞台で白井が表彰台に立つ機会は減っていく。採点ルールの見直しが行われ、演技の出来栄えを示す「Eスコア」が厳格になったからだ。高難易度にチャレンジする白井は、出来栄えの部分で減点されることが多くなった。さらに足首と腰の怪我の影響もあり、満足なパフォーマンスを見せられない日々が続いた。今年6月6日に行われた全日本選手権での床2位が、白井の現役最後の試合となった。
「主治医の先生に怪我の状態を相談したところ『休んでも良くならない』と言われた。それほど身体は悲鳴をあげていた。それでも健三は、怪我もコロナもルール変更も、一切言い訳にしなかった。それがあいつの生き方でもあり、金メダリストとしての意地だったんでしょう」
最後に父・勝晃氏は、こんな言葉を愛息に送った。
「体操しかしてこなかった人生ですからね。あいつから体操を取ったら小学生以下ですよ(笑)。今後は交友関係を広げ、いろいろ人生経験を積んでほしい。そして、やりたくなったらまた体操をやればいい。たぶんね、20年も続けた競技を離れたら、身体がムズムズすると思うんです。あいつの性格的に、華やかにパッと花を咲かせて、枯れる前に次へと考えたんでしょう。でも、かっこ悪くてもいいじゃないですか。1ヵ月でも1年でも休んだら、また健三は戻ってくるんじゃないか、とも思う。親としてはそんな姿を見てみたい」
父子の物語は、これからも続いていく。
『FRIDAY』2021年7月9日号より