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「麻原の三女」と呼ばれ続ける女性の苦悩を知っていますか

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「麻原の三女」「アーチャリー」と呼ばれて

現在38歳になった松本麗華さん
現在38歳になった松本麗華さん

松本麗華さんは、いわゆる地下鉄サリン事件や松本サリン事件等、オウム真理教に関連する事件で、(判決によれば首謀者とされた)故・松本智津夫氏の娘である。

彼女は、現在にいたるまで裁判において、あるいは、マスメディアにおいて「麻原の三女」「アーチャリー」「正大師」と呼称されてきた。

氏名は、その人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格を表し、誤った呼称を使われることで、その人の社会的評価を低下させることがある。松本麗華さんがそうであった。

氏名を「その人が個人として尊重される基礎」であると考えたとき、彼女を「松本麗華」と呼ぶのではなく、また、書くのではなく、「麻原の三女」と呼んだり書いたりすることはおかしくないだろうか。「麻原」という呼称には、オウム真理教に関連する事件との関係で、その人格に対する否定的な評価がもたらされるからである。

松本麗華さんは、「麻原の三女」と呼ばれることによって、「普通の」日本人が「普通に」できていること──銀行口座の開設や海外旅行、就職、あるいは、「普通の」小規模事業者なら誰でもできるLINEPAYの開設を拒否されてきた。さらに、裁判所さえ彼女に対して偏見を持ち、裁判において相手方も主張していない内容を不利益事実として認定した。

これらの背景にあるのが、彼女が「麻原の三女」「アーチャリー」「正大師」と呼ばれ、そしてそう扱われてきたという問題ではないかと思う。

そのことを知っていただくために、今回、彼女に関する二つの裁判と、その結果について紹介したい。

ぜひ見比べてほしい

まず、次の二つの裁判所の判断(の一部抜粋)を見比べてみていただきたい。

Aは、松本麗華さんが大学の入学試験に合格し手続きをした後、大学側が入学を取り消したことに対し、彼女が「取り消しには効力がなく、入学手続をした以上、依然として学生の地位はあること」を訴えた訴訟の、裁判所の判断である。

Bは、ある雑誌記事に対する名誉毀損訴訟だ。

いずれも、松本麗華さんと父親との関係、及び松本麗華さんの過去と現在の境遇に関する判断をここでは挙げておく。

二つの判断は、彼女の呼称を「松本麗華」とするか、「麻原の三女」とするかによって、事実の扱い方がまったく異なったものとなっているのだ。

A 大学入学拒否処分に対する学生の地位を仮に定める仮処分決定(2004(平成16)年4月28日付け)

(1)父親である故松本智津夫氏と松本麗華との関係

故松本智津夫氏と債権者(筆者注:松本麗華さんを指す)との関係について裁判所は、「父松本智津夫母○○○○(筆者注:この文章では母親の氏名については関係がないので省略した)との間に三女として生まれた。松本智津夫は、平成16年2月27日に東京地方裁判所において殺人等被告事件により死刑判決を受けた」と指摘し、「5歳のころから父松本智津夫が主宰していたオウム真理教の道場で暮らし、教団内では『アーチャリー』という宗教名で呼ばれていた」

(2)松本麗華の過去と現在(過去と現在の関係)

「債務者(筆者注:大学入学取消処分をおこなった大学)は、債権者がかつてオウム真理教内で『アーチャリー』と呼ばれ、次期後継者と目され、正大師にあったことを法律行為の要素と主張する(筆者注:法律行為の要素と主張するとは、入学許可を出したことに勘違いがあったので、入学許可は効力がないと主張すること)。しかしながら、上記事実は法律行為の要素と解することは出来ない。

当時11歳であった債権者が上記のような地位にあったことは債権者自ら望んでなったものではなく、債権者が松本智津夫の子として生まれた故に逃れられなかった事実であり、日本国憲法の精神を体した教授研究を標榜する債務者が、現在の債権者の姿に目を向けず、債権者の逃れられない過去を理由に錯誤無効を主張することは、出自による差別であり憲法14条に反し許されないといわなければならない」

ちなみに、この裁判の結論はどうなったか。松本麗華さんは、学生の地位が仮にではあるが認められ、学内で学生としての活動をすることを学校は妨げてはならない、と判断した。この判断後、彼女は「仮に」ではなく無事入学できたことはいうまでもない。

では、つづいて二つ目の裁判の判断についてみてみよう。

B 松本麗華に対する名誉毀損事件の一判決(2021年2月24日付け)

(1) 父親である松本智津夫と松本麗華との関係

裁判所の判断の冒頭で行った、松本麗華を「本件(筆者注:松本麗華が提起した訴訟のこと)は、いわゆる松本サリン事件や地下鉄サリン事件を引き起こした宗教法人オウム真理教(以下「オウム真理教」という。)の教祖麻原彰晃こと松本智津夫(以下「麻原」という。)の三女」(2頁)と紹介し、そのような原告である「三女」の事件であると紹介する。そして、松本麗華を、「麻原の三女であり、オウム真理教において『アーチャリー』というホーリーネーム(麻原がオウム真理教の出家信者に与えた名)を有し、正大師の地位にあったもの」と紹介。

次に、松本麗華さんの著作である「止まった時計」(講談社刊)をして「麻原の三女として生まれた原告の生い立ちから成人までの出来事が時系列に沿って記載されているほか、アーチャリーとして麻原の後継者と目されていた原告と教団の関わりについて記載されている。」と紹介する。

(2) 松本麗華さんの過去と現在

そして、松本麗華さんが出演した演劇(イベント)に関し、そのポスター(リーフレット)について「平成29年12月13日、『アーチャ語り 親子~重たいドアをあけて道はでこぼこ~』と題するイベントにゲストとして参加した。同イベントのリーフレットには、麻原と思われる人物が子供と手をつないでいる挿絵が描かれている」と指摘。

そして、そこで言う松本麗華さんの過去と現在に関し、「イベント」の内容に関する説明で「原告が、オウム事件の首謀者として死刑判決を受けて執行された麻原の三女であり」「オウム事件当時から、オウム真理教において『アーチャリー』というホーリーネームを有する正大師の地位にあったものであり」「現在もアーチャリーとして教団関係のイベントに出席するなど、実名や顔を公表して活動している」と判示している(ちなみに、このような裁判所の認定は、この裁判の判決書の21頁、22頁、25頁、30頁、31頁等この裁判で問題になった点について裁判所が事実認定をする前提としてほぼ間違いなく登場する。)。

さて、この訴訟がどうなったか。簡単に結論と問題意識を持った点についての裁判所の判断を一つ示しておきたい。結論は松本麗華さんの敗訴。雑誌に書かれた記事は名誉を毀損していないとの結論が下された。上述の裁判所の判断が影響を与えたと思われる一つの点は、名誉毀損の要件の一つである松本麗華さんに対する社会的評価の低下があるかどうかという点。

「原告(筆者注:松本麗華さんのこと)が麻原の三女であり、オウム事件当時から、オウム真理教において『アーチャリー』というホーリーネーム有する正大師の地位にあった者であり、現在もアーチャリーとして教団関係のイベントに出席するなど、実名や顔を公表して活動していることに照らせば‘(中略)その摘示(筆者注:雑誌記事を指します)によって新たに原告の社会的評価が低下すると言うことはできず(後略)」

……遅れましたが、若干自己紹介をさせていただきます。私は28年、弁護士として仕事をしてきました。そのうち21年以上、松本麗華さんとの「お付き合い」があります。「お付き合い」が始まる端緒は次のとおりです。

弁護士に成り立ての頃は、いわゆる少年事件が好きで、日弁連や第二東京弁護士会の少年事件にかかわる議論にも参加してきました。そのためもあって、普通の弁護士の中では少年事件に触れる機会が多かったと思います。

そのような事情もあり、松本麗華さんが、自分の日常生活に用いる荷物が置いてあり、時々出入りしていた家に入ったことを住居侵入罪に問われ、捜査そして少年審判を受ける際に、弁護人(捜査をしているときには成人と変わらない扱いを原則的に受けているのが実際で、その際には刑事事件の弁護人として活動します)、附添人(少年法上そう言われますが、誤解をおそれずに言えば、刑事事件で言う弁護人に当たります)になることの依頼を知り合いから受けました。2000年でした。そのとき初めて松本麗華さんに出会いました。

ちなみに、その時16歳だった松本麗華さんは、住居侵入罪で逮捕され警察署に勾留され、その後、鑑別所に身柄を拘束されていました。本来なら受験をして高校進学の夢を果たしたいと思っていたはずの時期ですが、このために受験の機会を逃してしまいました。

捜査の時に弁護人、少年審判の時に附添人についた私は、まだ諦めないで、という意味を込めて通信制高校の入学案内の「差入」をしてきました。この裁判は結局、保護観察処分が言い渡され、彼女は家に帰ることが出来ました。裁判で私は身元引受人となることを約束し、その後、未成年後見人にもなっています。

松本麗華さんに限らず、故松本智津夫氏の子どもたちは、義務教育を拒否され、住民票を受理されず、地域で排斥運動を受け、ゴミの収集を拒否され、学校でいじめに遭い、中高一貫教育を行う学校において受験に合格したにもかかわらず入学を拒否される等、ライフラインさえ遮断されるような扱いを受けてきました。私は、そういう事実を目の当たりにしてきたのです。

ところで、一般の社会人が裁判に関わることは、人生で1回あれば多い方です。ましてや、自分が裁判の依頼人になるなどということは、人生で一度もないことの方が当たり前だと思います。裁判をしてまで争わなければならないことは、そうそう訪れるものではありません。

しかし、松本麗華さんは、救済を求めるところが司法しかなかったこともあって、「普通の」社会人ではほとんど経験しない、裁判という場に助けを求めざるを得ませんでした。その精神的苦痛たるや想像を絶するものです。私は、「新聞にこんなことが書かれていた。どうやって生きていけばいいんだろう。助けてほしい」と言われれば、――時々は「これはダメよ」と言って諦めさせることもありましたが――裁判手続きを行う等援助することにしていました。

裁判ばかりでなく、とくに印象に残っているのは、高校入学のために彼女が信頼する知人といくつかの「学校回り」をして彼女の境遇を話し、試験に合格すれば受け入れてくれるか等を交渉したことです。試験に合格しても彼女の父親のことが発覚すれば入学を拒否される恐れがあったためです。その他様々な相談にも乗ってきました。そうして、先に指摘したように21年間もの間「付き合って」来たのです。

今回皆さんに考えていただきたいのは、「普通では」考えられない過去を有した彼女が、氏名や過去、現在をどう扱われてきたかを裁判所の対応を例にとって、裁判所は当事者の過去、現在、そして近しい人との関係をどう扱うべきなのか。また、司法は彼女を、あるいは裁判に関わらざるを得なくなった人について「逃れられない過去」があるときに、現在がそれとは違った状況になっていても「逃れられない過去」に縛り付けることをしていいのかという点なのです。

問題点はどこにあるのか

さて、話を元に戻そう。松本麗華さんと父親との関係及び、彼女の過去と現在に関するBの指摘について、皆さんはどう感じられただろうか。

私は、大部分の方は次のように感じるのではないかと推測する。「松本智津夫? あ~、麻原、麻原彰晃ね!あ~あの事件の首謀者か。あ~その三女か、あ~オウムか!昔、アーチャリーって言われていたんだよね? 今もそう呼ばれているんだよね? ふ~~ん、今も教団活動しているんだ。ホントなの? じゃあ、いろんなところで教団と関係ないとか言っていたのは嘘ってことか? 結構図太いじゃん、この間新しいブログ始めたって聞いたけど、じゃあ、教団の広告塔か?  でも、ブログ読んだけど、ちょっと違うよ、まあ、嘘書いているかも」

ちょっと想像するだけでもこんな感想が聞こえそうである。

しかし、上述した裁判所の判断について、いくつか問題点を指摘してみたい。そもそも、Bが指摘している「現在もアーチャリーとして教団関係のイベントに出席し」「活動している」などという事実は存在しない。つまり、裁判所は「過去が『麻原の三女』『アーチャリー』『正大師』と呼ばれていた、だから現在の彼女の社会生活も同じような境遇だろう」と、「松本麗華」の現在の事実に目を向けることなく予断と偏見で事実を作り上げ、それをあたかも存在する事実として認定してしまった。しかし、そもそもこの認定にはそれを裏付ける証拠がないのだ。

Bの裁判所の判断では、Aの裁判所の判断でいう「逃れられない過去」…要するに「松本麗華」が世の中で「極悪人」と呼ばれる「麻原」の子として生まれ育ったという逃れられない過去について、その親子の関係からは、現在でも「逃れられない」ことを指摘している。まさに、「現在の松本麗華」に目を向けることを拒否している。

そもそも、Aの決定は、彼女の父親について「麻原」とは言っていない。父親については「松本智津夫」と述べている。「麻原」と認定し、呼称すれば、彼女がどう見られるかを認識していたのかもしれない。父親の事件及びそれに関する第一審の判決は、2004年2月27日で、その後も控訴審等裁判は続いており、Aの裁判所の判断は、父親の事件についての裁判がいわば「燃えさかっている」時期であった。そのさなかに出された裁判所の判断である。

父親に対する「殺してしまえ」「死刑にしてしまえ」といった特別な感情が世の中にあるなら、判断の時期を考えれば、Aの裁判所が松本麗華さんと父親の関係について、Bの裁判所の判断のような判示をしても不思議はない。AもBも松本麗華さんの裁判であり、父親である松本智津夫氏の裁判ではない。

この先、ずっと「麻原の三女」「アーチャリー」と呼ばれるのか

さて、私が問題意識を持った「氏名」について記しておきたい。彼女の氏名は松本麗華であって麻原麗華ではない。また、「麻原」の所有物ではないから麻原の三女と言われることには違和感がある。

まあ、この社会では、長男、次男、長女等呼称されることはごく普通なのかもしれない。しかし、そう呼ばれることが、呼ばれる当人にとっては怒りや、悲しみ、困惑等様々な否定的な感情を生じるきっかけとなることがある。それは、もしかしたら人格を否定するととられることさえあろう。

また、松本麗華さんが銀行口座の開設や就職といった、社会生活を送る上で必要なことができず苦難に遭っているように、裁判所は、人の呼び方、「松本麗華」「麻原」等という氏名に関する扱い方が、時に社会における差別的な扱いに通じることがあることを、十分知っておく必要がある。氏名は、単に個人を識別するためだけのものではない。

松本麗華さんの最近のブログによれば、Bの判決について、「現代日本では、誰もが平等で、社会的身分や生まれによって差別されないことになっています。しかし、裁判所まで「麻原の三女」としてわたしの生まれを理由にし、親の「身分」ゆえに置かれていた子ども時代の環境をもって、「今」を否定しました。」と言う。もっともなことである。

松本麗華さんは、ずっと麻原の三女、アーチャリー、正大師と呼ばれるのか。裁判所の判断は、誰もが裁判所で閲覧できる。また、そんなことをしなくも、もしかしたら、このご時世SNS等で直ちに拡散されるのかもしれない。そうすると、松本麗華さんに対し、裁判外でもそういう認識が固定されてしまうだろう。それは松本麗華さんにとって、社会生活を送る上で耐えがたいことなのだ。

ましてや、裁判で、議論になった点に関し、「麻原の三女」「アーチャリー」「正大師」を理由として事実が認定されるということになったら、出自によって事実が認定されることになると思う。名前一つの扱いによって、認定される事実が真逆になることさえある。

民事訴訟は、自由心証主義の原則の下で事実の認定が行われるという。しかしそれは何を意味するのか。裁判官が事実を認定する場合のフリーハンドを意味するのか。そんなことを認めたら、何のための裁判なのか、その根本が問われることになる。

ある民事訴訟法の学者は「自由と言ってもその認定は、論理的に裏付けられたものでなければならないから、判決理由中でどれだけの資料からどうしてその事実について確信を得るに至ったかの経路を、常識のある者が納得できる程度に示されなければならない」という。

Bが述べた松本麗華さんに関する認定は、まさに出自を根拠とする社会的評価の低下の認定である。こんなことが自由心証主義の下で許されるはずはないであろう。

松本麗華さんは生きている

松本麗華さんは生きている。過去に拘束されることなく生きていきたいと願っている。裁判でも自らの主張する事実は存在することを主張し、それを認定する証拠も提供した。しかし、なぜかそれは無視された。無視するだけの理由はあったのか。それが、「逃れられない過去」という事実であるとすれば、まさに、出自による差別である。

裁判所は松本麗華さんを「逃れられない過去」から解放するのではなく、縛り付ける役割を担ったのだ。

このようなことは、民事訴訟が裁判官の「自由心証」に任される以上、誰にでも──あなたにも、何らかの「逃れられない過去」に拘束させられ、そこからの解放が拒絶されることは起こりえることである。決して、松本麗華の特殊事情によるものではない。

  • 執筆松井武

    1956年生まれ、弁護士。第二東京弁護士会所属

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