費やした年月10年超!研究者が突き止めた「かわいい」の正体
「かわいい」は世界を救う!
レディ・ガガがキティちゃんの大ファンだったり、モスキーノが2020年秋冬コレクションで『ベルサイユのばら』のイメージプリントをドレスに取り入れたり。今や「Kawaii」は日本が世界に誇るポップカルチャーの代名詞といえるだろう。だがそれは「かわいい」の本質ではなく、単なる枝葉に過ぎなかった!?
実験心理学の見地から10年以上も「かわいい」の研究を続ける入戸野宏先生に、「かわいい」の正体を聞いた。

欧米人には理解できなかった“キモかわいい”“ブサかわいい”
まずは2017年。入戸野先生のもとに届いた『ナショナルジオグラフィック』誌からの、こんな問い合わせを紹介しよう。
「フクラガエルやカエルアンコウのような醜い動物をかわいいと感じるのはなぜか、という内容でした。それは果たして正しい感情なのかと疑問に思ったようです。
なぜ戸惑うのかというと、かわいいのは赤ちゃんであったりペットであるという思い込みがあるからです。そこで、日本には“キモかわいい(creepy cute)”という言葉があるのだと説明しました」(入戸野宏先生 以下同)
日本人ならすんなり受け入れられる感情も、国が違えば理解し難いものになるらしい。この問い合わせ内容は後に『ナショナルジオグラフィック』のネットニュースでも「This Is Why We Find ‘Ugly’Animals Cute」というタイトルで紹介され、今では理解できる感情になったようだ。
「かわいいかどうかを最後に決めるのは自分であるというのが“かわいい”の面白いところ。これからの時代の“かわいい”には、さらに多様性が出てくるはずです」

意外と最近!「かわいい」が定義づけられたのは2009年
「キモかわいい」に「ブサかわいい」、きれいとかわいいの間には「きれかわいい」なんていうのもある。英語の“cute”には、そのテの変形ヴァージョンは存在しないのか?
「日本語の“かわいい”は非常に複雑です。そもそも英語の “cute”と日本語の“かわいい”は、同じものではありません。
“cute”というのは対象の《性質》を表す言葉ですが、“かわいい”は“cute”と同じように対象の性質を表すこともあるけれど、それに対して引き起こされる《感情》も表しています。
また、一般的にはその範疇には入らないけれど、自分の気持ちとしてかわいいと思うこともあり、日本語の場合はそのあたりがごっちゃになっているのです」
入戸野先生が研究を始めた当初、海外では「Kawaii」と「cute」の違いをなかなか理解してもらえなかったという。日本人特有の文化論として論じられることはあっても、人間の心理や行動との関係をまともに扱った人がいなかったからだ。
入戸野先生は2009年、その複雑さを科学的に整理した論文を発表。それによって「Kawaii」の定義は広く知られるようになった。

世界には「かわいい」に相当する言葉がない国も
「かわいい」という感情は、対象に対して優しい気持ちになる部分がとても重要だ。
「例えば英語だと“cute”がありますが、スペイン語には“cute”に直接相当する言葉がありません。なので“わぁ、赤ちゃんかわいいね!”などという場合は“tender”に近い言葉、つまり“優しい気持ちになる”という言葉を使うようです。
“cute”は対象の《性質》ですが、スペインの人は自分の気持ちを表現する《感情》の言葉をあてているので、そういう意味では日本語の“かわいい”に近いと言えます」

“あざとい”が、“あざとかわいい”に変わる訳
日本で「かわいい」が発達した背景には、島国で外敵が少なく、農耕民族だったことも関係しているようだ。
「村社会で外部と接触することがないと、どうしても内向きになり、仲間内の顔色を観て暮らすようになるわけです。“かわいい”にはそういうことも関係していて、自己主張をするよりも、周りの人と仲良くやっていくことが求められてきたという背景があるかもしれません」
若者が「かわいい」を連発するのは語彙力が低いからだと言う人もいる。けれどそこには口論をして誰かを傷つけたくない、仲良くしたいという感情も働いている。昔は「ぶりっ子」などと言われていた対象も、今は「あざとかわいい」と言われたりする。
「あざといだけの人は、やはり今でも嫌われます。でも “あざとい”を演じていることがわかれば、そういうことをするところがかわいいなと思えるので、それは“あざとかわいい”になります。“実はこういう子なんだよ”という裏情報を知ると、自分は勝手な思い込みで嫌っていたのかと気づきますよね。ちょっとしたニュアンスで感情は変わるのです。
日本語の“かわいい”が面白いのは、みんなが楽しくなるところにあります。“かわいい”は自分だけで味わうものではなく、周りに向けられた感情。常に外を向いていて、他のポジティブな感情と比べても、社会的に受け入れられやすいものだという気がしています」

何に対しても「かわいい」と思えたら、それは無敵!
SNSの発達によって、自分をいかにかわいく見せるかは、主に女子にとって重要な問題となった。自己肯定感の低い子は他人と自分を見比べて、ささいなことで傷つくこともあるだろう。
「かわいいというのは、もちろん見た目も重要です。見た目だけで“かわいい”と思われやすく、得をする人もいます。けれどそれだけではありません。主体がかわいいと思ったら、それがたとえオジサンであっても“オジサンかわいい”になるわけです。その仕組みがわかったら、自分に対しても優しい気持ちを向けることができます。
自分はかわいくないと思い込んでいる自己肯定感の低い子は、ペットや赤ちゃんや自分のお気に入りに対して感じる“かわいい”という気持ちを思い出して、それを自分にも向けてあげてほしいです。“自分はダメダメだけど、でもやっぱりかわいいところもあるよね”と。すると今度はそれをエネルギーにして、肩の力が抜けるし、笑顔になって周りの人にも優しい気持ちを向けられるようになると思うんです」
また、「かわいい」の定義の一つに、「その対象が自分にとって脅威を与えるものではないと思える」というものがある。
「敵や嫌いな子というのはかわいくないですよ。なぜなら自分に危害を加えるんじゃないかと思ってしまうから。逆に危害を加えないことがわかったら、かわいいと思えるわけです。何に対してもかわいいと思えるようになったら、それはもう無敵ですよね。脅威を感じる対象がないというのは、すごいことだと思います」
「かわいい」は連鎖していく。世界中が「かわいい」に包まれたら、喧嘩も諍いも戦争も、みんななくなってしまうのではないだろうか。

入戸野 宏(Nittono Hiroshi)1971年横浜市生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は実験心理学、心理生理学。認知・感情・動機づけといった人間の心と行動の仕組みについて幅広く研究している。「かわいい」に関しては商業的な価値よりも、その感情がいかに人の心を豊かにし、どのように周りに連鎖していくのかを中心に研究を続ける。著書に『「かわいい」のちから 実験で探るその心理』(化学同人)、『シリーズ人間科学3 感じる』(大阪大学出版会)などがある。
取材・文:井出千昌
フリーライター。情報誌・ウェブなどジャンルはさまざま。自身の「かわいい」の好みに関しては、どう見ても人間としか思えない変形したダイコンなど、「ちょっと情けない感じがするもの」に魅かれる傾向がある。
写真:アフロ