77歳妻が72歳夫を包丁でメッタ刺しした悲痛な「殺害動機」 | FRIDAYデジタル

77歳妻が72歳夫を包丁でメッタ刺しした悲痛な「殺害動機」

ノンフィクション作家・石井光太が重大事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第16回

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画像:ロイター/アフロ

その老老介護殺人事件は、息子家族が同居しているはずの二世帯住宅で起きた。

2階には息子家族が暮らし、1階には70代の両親が介護生活送っていた。その1階の部屋で、77歳になる元看護師の妻が、5歳年下の夫の介護に疲れ、包丁で30ヵ所以上もめった刺しにして殺害したのである。

後の裁判で、同居していた長男は震える声で言った。

「私が母のことをもっと見ていれば、こんな事件は起きなかったと思います。同じ家に暮らしながら、深刻なものだとは感じていなかった。私自身、反省すべきところがあまりに多いと思っています」

介護が原因で起こる殺人事件は、年間に20~30件にも及ぶ。

なぜ元看護師の女性は、息子家族と同居しながら、殺人事件を起こすまでに追いつめられたのか。私は、日本で起きている介護殺人をはじめとする親族間の殺人事件を『近親殺人――そばにいたから』(新潮社)というルポルタージュにまとめた。その中から、老々介護殺人事件の事例を紹介したい。

社交的な妻と慎重な夫

事件が起きたのは、千葉県の住宅街にある2階建ての庭付きの一軒家だった。

この家の主は、事件の当事者となる内城日出美(仮名、以下同)と夫の勉。同じ病院で、日出美が看護師、勉が医療事務職として働いてきた関係で知り合った。日出美は20代で別の男性と結婚して息子を出産していたが、32歳の時に勉と再婚。以来、公私ともに支え合ってきた。

二人を知る医療関係者は語る。

「日出美さんは看護師さんらしく社交性があって、何でも自分で決めて動けるタイプです。勉さんの方がどちらかといえば性格的には慎重でした。日出美さんは、年上だったし、連れ子を抱えていたこともあって、勉さんのことを大切にしていました。責任感のつよい年上女房という印象です」

日出美と勉は60歳を過ぎて病院を退職。幸せな老後を過ごすはずだった。

しかし、2009年、勉が脳出血で倒れた。一命を取り留めたが、左半身に麻痺が残り、一人では立って歩くことさえできなくなった。要介護3で、移動はもとより、入浴の際も介護が必要だった。

日出美は、夫に良くなってもらおうと、24時間にわたって献身的に介護をした。その間、彼女は周りに「つらい」とか「嫌だ」と口にしたことはなかった。むしろ、それが当たり前という姿勢で、夫の介護に励んだ。元看護師という責任感もあったのだろう。

そんな彼女にとって数少ない相談相手が、ケアマネージャーの友田秋子だった。友田は次のように語る。

「デイサービスの利用は週2、3回で、それ以外は夜もずっと日出美さんが介護をしていました。トイレへ行く時も一緒でした。

日出美さんは自分でいろいろと調べて、自宅でできるリハビリ方法など良いと思ったことを実践していました。自分の手で勉さんを良くするんだという思いが強かった。勉さんも日出美さんを信じて、希望を持ってリハビリをしていました」

日出美の献身的な介護のおかげで、脳出血で倒れてから4年、勉は杖をつかえば近所へ買い物に行けるくらいまでに回復した。要介護度も一段下げられて2になった。それを聞いた時、二人は手を取り合って喜んだそうだ。

再び訪れた試練

2013年6月、こんな二人に再び試練が訪れる。勉がリハビリを行っている最中に激しく転倒し、左大腿骨を骨折したのだ。今度は、寝たきりの生活を余儀なくされた。ベッドで寝ている間に、4年のリハビリで鍛えた筋肉はみるみるうちに落ちて、見る影もなく細くなった。要介護度は2つ上がって4になった。介護なしでは生活が営めないレベルだ。

日出美は、もう一度がんばろう、と自らを奮い立たせる。だが、その矢先、勉がまたも脳出血を起こして倒れ、高次脳障害になった。高次脳機能障害とは、脳に損傷を負うことで記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害が起こるものだ。

勉は情緒が不安定になって、些細なことで怒り狂って喚き散らした。一日のスケジュールを細かく決めて、「何時にご飯を出せ」「何時に歯を磨け」と日出美に求め、それがわずかでもズレると激高する。埃が落ちていたり、食器が汚れていたりするだけで、手に負えないほど暴れた。

中でも日出美を悩ませたのが、勉の脳出血による尿障害だった。昼夜を問わず、十五分ごとに激しい尿意を覚えるのだが、一人では移動できないので、日出美が車イスに乗せてトイレへ連れて行くことになる。

この時、勉は日出美が少しでも手間取ると、いら立って「早くしろ!」「グズグズするな!」と怒鳴った。トイレに連れて行ってもらっても、なかなか尿は出ず、その間日出美は何十分もドアの外で待たされる。結局排尿できないまま寝室にもどるのだが、またすぐに「トイレ!」という声で叩き起こされる。日によってはこれが夜通しつづいた。

2階で暮らしていた長男の成巳は、こうした状況に気づいていたはずだが、相変わらず手を差し伸べようとしなかった。それどころか、介護に疲れて日常のことが手につかない日出美に厳しく当たることさえあった。

たとえば、日出美は夜中トイレと寝室を行き来している間に、廊下の電気を消し忘れることがあった。成己は彼女を叱りつけた。

「電気をつけっぱなしにしたら無駄だろ! ちゃんと消して眠れよ!」

家の光熱費は二世帯で折半していたため、成己は母が無駄遣いをしているととがめたのだ。

成己は義父の勉と血のつながりがないとはいえ、幼い頃から面倒をみてくれた養父だ。日出美にしてみれば、息子の冷たい態度は容認しがたいものがあったはずだ。

「もう死んでしまいたい」

ある日、日出美は成己に言った。

「これからお父さんの介護が大変になる。家族が同居していると、国からの福祉の補助が十分に受けられないの。だから、今後は別々に住めないかしら。私としてはこの家を売って、お父さんを介護施設に入れる費用をつくろうと思う」

成己は「わかった」と答えながら、生活費の節約のためか、出ていこうとしなかった。

日出美が、介護の疲れからうつ病を発症したのは、この頃だった。急に涙が溢れて止まらなくなったり、1、2分前の記憶がまったく抜け落ちていたりする。体が痺れて動かなくなることもあった。

それでも自分がいなければ、夫の生活は成り立たないと考え、体にムチ打って介護をつづけた。それがさらに体調を悪化させる。主治医の記録によれば、2014年の秋から冬にかけて本人が自覚する以外にも、「希死念慮」「気力減退」「無価値観」「思考や集中力の減退」「決断困難」といった症状が現れていた。

中でも、日出美を追い詰めたのが希死念慮による自殺願望だ。介護に疲れ果てた彼女の脳裏には、いく度もこんな考えが過った。

――もう死んでしまいたい。そうすれば何もかも楽になる。

その度に、彼女は我に返って「ダメだ。がんばらなくっちゃ」と自分に言い聞かせるのだが、また少しすると同じように死にたいという気持ちにとらわれる。希死念慮は日増しに大きくなっていった。

2014年12月26日、日出美はこのままではいけないと考え、夫に一時入院してもらうことにした。その間に心身を休めようとしたのだ。だが、2週間後、日出美は病院から呼び出されて言われた。

「一週間以内に旦那様を退院させてください。うちではレスパイト入院(家族が休むための一時入院)は2~3週間と決まっていますので」

日出美のうつ病はまったく改善されていなかったが、「わかりました」と答えざるをえなかった。

病院から帰った勉は、1階の寝室のベッドで再び寝たきりの療養生活をはじめた。

日出美は夫に介護用おむつをつけさせることで、介護の負担を減らそうとしたが、家にもどってきた夫はトイレで用を足すことを望み、真夜中でも数十分おきに日出美を起こしてトイレへ行きたいと訴えた。高次脳機能障害によって感情を制御できず、怒鳴ってくることもあった。

日出美は、以前と同じ状況に逆もどりしたことに暗澹とした気持ちになった。心休まる時間はなく、うつ病の体にムチ打って介護をしても頭ごなしに罵倒される毎日。大声を上げられる度に、死んで楽になりたいという気持ちが肥大化していった。

おそらくこの状況を食い止める手立てがあったとすれば、介護を外部に委託することだっただろう。それについて、ケアマネージャーの友田は語る。

「勉さんが退院した後、私の方からショートステイの手配なんかを提案したのですが、日出美さんはサービスを受けることに消極的でした。今思えば、うつ病になって新しいことをはじめる意欲がなくなっていたんだと思います。

できれば、高齢者施設への入所の話も進めたかった。でも、高齢者施設はどこも受け入れに余裕がなく、入所までに時間がかかる上にかなりの費用がかかります。日出美さん自身が決断してくれない限り、こちらとしてできることは限られてしまうのです」

退院から4日後の1月17日の深夜、日出美は布団に横たわり毛布をかぶりながらも視線を暗い天井に彷徨わせていた。胸には「死にたい」という気持ちが破裂寸前まで膨らんでいた。これ以上、自分にできることがあるとは思えなかった。こんなに苦しみもだえるくらいなら、自らの手で幕を下ろすしかない。

――死ねば楽になる。でも、お父さんを一人残すことはできないから連れて行かなきゃ。

そんな時、またもや勉がむくっと起きて、大声で叫んだ。

「着替えさせてくれ!」

「まだ夜ですよ。着替えてどうするんですか」

「いいから着替えさせろ!」

「介護放棄できればよかった」

日出美は、またも地獄のような一日が幕を開けようとしている、と思った。もう耐えられない。

このあたりから日出美の記憶は途切れ途切れになっている。気がつくと、彼女は包丁を取り出し、夫の背中を刺していた。

ぎゃぁ、という声が響き、勉が床に倒れ込む。日出美は馬乗りになり、力いっぱい何度も柳葉包丁を振り下ろした。

後の死体検案によれば、背中よりも、胸や腹部に多数の包丁による刺し傷が残っていた。傷は背中に1ヵ所、胸腹に29ヵ所。その中には心臓を貫通しているものもあった。また、腕にも裂傷が2ヵ所残されており、これは勉が腕で防ごうとしてついたものと推測される。日出美の年齢や体力を考えれば、1分間以上はくり返し刺していたのではないか。

2階の部屋で眠っていた成己が、勉の悲鳴に気が付いて階段を駆け下り、凄惨な現場を目撃するのは、それから数分後のことだった――。

この事件は、元看護師の女性が、長男の家族と同居していたにもかかわらず起こした老老介護殺人事件として報じられた。

後の公判で、証人として出廷したケアマネージャーの友田は、次のように述べた。

「変な言い方ですが、事件が起きてしまったのは、日出美さんが介護放棄をするような人ではなかったからです。介護放棄すれば、行政などから救いの手が差し伸べられたでしょう。でも、彼女はそれをしなかったばかりでなく、もうこれ以上できないということを私にも、病院側にも言いませんでした。だからこそ、介護放棄できればよかったのかもしれないと思うんです。彼女の責任感みたいなものが事件を生み出してしまったのではないでしょうか」

夫に対する深い愛情、介護者としての責任感、息子や孫の代にまで負担をかけたくないという思い。そうしたことが事件を起こしたのだとしたら、あまりにも悲しい結末ではないだろうか。

実際の夫との詳しいやり取りや、長男の成己との関係については、『近親殺人――そばにいたから』を読んでいただきたい。

ただ、ここで言えるのは、この事件は数多ある介護関連事件のうちの一つでしかないということだ。殺人事件に至らなくても、その前に心身を病んで共倒れしてしまった者や、自死を選んだ人も大勢いるはずなのだ。

裁判官が、日出美に下した判決は次の通りだ。

――懲役3年、執行猶予5年。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。

  • 写真ロイター/アフロ

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