なでしこの窮地を救った同点弾 エース岩渕が「泣き明かした日」 | FRIDAYデジタル

なでしこの窮地を救った同点弾 エース岩渕が「泣き明かした日」

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同点ゴール後、笑顔を見せる岩渕真奈(左)と田中美南(写真:共同通信)

前半6分に先制を許し、重苦しい雰囲気のまま時間が過ぎていった初戦のカナダ戦。チームを救ったのは岩渕真奈の右足だった。1点を追う後半39分、右サイドの長谷川唯から供給されたロングボールに鋭く反応する。タイミングよく相手のディフェンスラインの間に抜け出すと、猛スピードで駆け上がりながらも相手GKの位置を落ち着いて確認する。トラップせずに右足を振りぬき、待望の同点ゴールがネットを揺らした。

「初戦の難しさがある中で、開始5分ぐらいで(先制ゴールを許し)面食らってしまった。でも勝ち点1につながるゴールがとれてよかったです。今日の以上のプレーを2試合目、3試合目できるように、悔いのないように全員で頑張りたいなと思います」

ゴールを決めた後、真っ先に駆け寄ってきたのは後半から投入された田中美南。後半開始早々、鋭い抜け出しでPKを誘い、自ら同点弾を狙ったが、カナダのGKラビに阻止され、絶好の同点機を逃していた。そのショックを少なからず引きづっているであろう田中を、岩渕は抱きしめた。身長は岩渕のほうが8㎝低いが、田中を包み込む背番号10は大きく見えた。

岩渕にとって東京五輪は、夢ではなくて目標だった。それも大きくふわっとした漠然としたそれではない。確実にその手で出場機会をつかみ、活躍し、できることならば自分のゴールで金メダルを獲得すること。これは、彼女にとってサッカー人生をかけた目標だった。

決断を迫られたのは2017年3月のことだった。当時所属していたドイツの名門バイエルン・ミュンヘンで岩渕は苦しんでいた。右膝の負傷が長引き、戦力になれずひたすらリハビリの日々を過ごしていた。その前年の2016年9月から始まったシーズンで、2017 年3月までに行われた国内リーグ、カップ戦、欧州チャンピオンズリーグ合計24試合のうち出場はわずかに3試合。そのうち先発が2試合で途中出場は1試合。トータルの出場時間はわずか132分にとどまっていた。しかも最後の試合出場は16年10月だった。

当時のトーマス・ヴェルレ監督は岩渕と話し合いの場を持った。

「今季はミュンヘンでずっとリハビリをしているけれど、君は幸せを感じられている?日本に帰りたかったり、寂しかったりするのではない?今、君は一番どうしたいの?」

クラブでリハビリを続けたいのであればそうすればいいし、日本に帰り代表スタッフに常に診てもらえる環境に身を置きたいのであればそれも選択肢だ。クラブとしては戦力として考えているという大前提での問いかけだった。

岩渕の答えははっきりしていた。

「私はこのクラブにいられることをとても幸せに思っている。でも、同時に日本代表を思う気持ちも同じようにある。日本代表では東京五輪という目標があって、そこへの思いは監督やみんなの想像よりも大きいと思う」

東京五輪はこの時点からすでに、岩渕の最大の目標だったのだ。

そう伝えてからほどなくして、クラブは岩渕の契約解除を発表した。負傷中でそのシーズンはプレーできないことがわかっている選手を置いておくのはクラブにとってはリスクだし、岩渕本人の目標は東京五輪だ。非情ではあるが、話し合いの上でもあるし、理にかなった判断だ。

そう頭ではわかっていても、形としてはクラブ側からの通告だ。岩渕は一晩泣き明かしたそうだ。当然ながら選手にとってみれば決して望ましい事態ではない。当時の岩渕も「抵抗があったし、かっこ悪いというか……、自分が“契約解除”なんていうことになる選手になるとは、サッカー選手になった頃は思いもしなかった」と無念を口にしている。

ただ、この時は帰国するほうが岩渕にとってもメリットは大きかった。まず、落ち着いてリハビリができるということ。もちろんミュンヘンでもリハビリはできるが、日本で代表のドクターやメディカルスタッフのほうが細かい感覚を理解し共有しあえる。当時の岩渕は右膝内側側副靭帯を痛めており手術が必要な状況だった。そのため、帰国直後に手術を行っている。また、その2年前には右膝外側側副靭帯も負傷しており(この時は2015年カナダW杯のため手術せず温存を選択)、一度全面的なリハビリやフィジカル的なメンテナンスを必要としていた。

東京五輪を目指す代表の活動を見ても、定期的に国内で合宿が行われており、毎度ドイツから帰国して参加するというよりは日本にいたほうが参加しやすい。身体への負担も軽減されるし、怪我のリスクも減る。総合的に考えて合理的な決断だった。

3月下旬というシーズン途中の契約解除だったから、所属チームが一旦なくなった。そのため、岩渕は右膝の手術を行い、JISS(国立スポーツ科学センター)でのリハビリに注力した。そしてこの年の6月、INAC神戸と契約した。

「このチームで活躍して東京五輪に行く。それまでは移籍しない」という決意の移籍だった。東京五輪後は海外でプレーすることは念頭にあった。

事情を変えたのは、昨年から始まったコロナ禍だ。東京五輪が延期になったことで、東京五輪が終わるまで封印していた海外移籍を考えざるを得なくなった。コロナ禍の状況によっては、五輪がなくなるかもしれない。だが、現役選手としては、海外のトップリーグで勝負できる時間は減って行く一方だ。そこで、2020年シーズン終了後の12月、東京五輪の半年前、イングランドスーパーリーグのアストン・ヴィラへの移籍を発表した。この時の決め手も、東京五輪だった。ポジション争いの激しい強豪ではなく、あくまで1部残留が目標というヴィラを選択することで出場機会が失われないことを優先した。無事に残留を決め5月にはアーセナルへの移籍を発表している。

岩渕は10代から世界で注目されてきた。フル代表では11年にはW杯優勝、12年にはロンドン五輪銀メダルも経験した。日本女子サッカーの歴史を知るが、主力として勝利に貢献できたわけではない。

今大会ではエースナンバー10を背負い、チームを牽引する。全ての経験を力に変えて、金メダルを目指す。

試合前の集合写真。前列左端が岩渕真奈(写真:共同通信)
  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住

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