水谷隼の母が明かす「卓球のためにすべてをかけていた」息子の覚悟 | FRIDAYデジタル

水谷隼の母が明かす「卓球のためにすべてをかけていた」息子の覚悟

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小学6年生のときの水谷。色紙にかいた「卓球一筋」を有言実行した
小学6年生のときの水谷。色紙にかいた「卓球一筋」を有言実行した

中国というあまりにも高かった壁を越えて頂点へ。日本卓球界に初の金メダルをもたらしたのが、静岡県磐田市の同じ少年団出身の水谷隼と伊藤美誠の混合ダブルスだった。

水谷の母・万記子さんにとって、幼少期から知る2人が組んでの金メダルは感慨深いものがあった。こう当時を懐かしむ。

「美誠さんも私のところの少年団で、小さい頃から一緒にやってきて。お母さんの美乃りさんと、家族ぐるみで一緒に盛り上げてきました。美誠さんは娘ではないですけど、同じ家族のような感覚でずっと2人を応援してきた」

万記子さんと共に「豊田町スポーツ少年団」で二人を指導したのが、水谷の父・信雄さんだ。しかし信雄さんは、小さな頃から息子に英才教育をしてきたわけではない。信雄さんは以前、本誌の取材にこのように答えている。

「卓球を始めた頃の準は、まったく素振りができなかった。でも最初からボールを打ったり、コートに入れるのは上手だった。何も教えてないのになぜかラリーができたり。不思議なんですが(笑)。練習時間は週2回、1回90分ほど。とてもオリンピックを目指す練習量ではなかったと思います。

教育方針としては、卓球を頑張ればゲームや遊びの時間がもらえる、新しいゲームのソフトが買ってもらえる、という感じでした。そういったアメとムチを使いつつ、五輪という夢を準に託した部分もありました」

中学時代の水谷。地元・静岡を離れ強豪・青森山田中学へ進んだ
中学時代の水谷。地元・静岡を離れ強豪・青森山田中学へ進んだ

その後、水谷はドイツ留学などを経て、17歳で全日本選手権を初優勝。全日本では前人未到の10度のシングルス優勝を記録するなど、トップ選手へと上りつめていく。五輪には’08年北京、’12年ロンドン、’16年リオと連続出場。リオ五輪ではシングルスで銅、団体では銀メダル獲得の立役者となった。だが、リオ後に目の異変が起き、慢性的な腰痛にも悩まされるなど、決して万全の状態で東京五輪を迎えたわけではなかった。

五輪前、母と息子の間で交わされた会話がある。その中には、今大会にかける水谷の強い想いが滲んでいた。

「隼はもともとトレーニングをしないと太りやすい体質で。『それがやっと絞れて、今いい感じの状態になった』と大会前に話していました。コロナの影響で思うようなトレーニングができず、特に体を作る面では難しさがあり、そこは苦労したんだと思います。全日本の前も、痛み止めの注射を打って出場いていましたから。

メデイアに出たり、試合を見てもらえないので、『男子卓球がまた薄れていってしまうのが怖い』とも言っていましたね。『東京五輪でメダルを取れないとまた以前のようになってしまう』『やっぱりスポーツ選手は試合がないとアピールできない』と、危機感を募らせていました」

水谷は、丁寧なメディア対応を行うことでも知られている。ミックスゾーンでは誰よりも長く記者の質問を受け、そのひとつひとつに真摯に向き合っていく。時には卓球を取り巻く環境など、大局的な視点で競技全体について言及することも珍しくなかった。

万記子さんの言葉を借りれば、「性格的に人前に出るのは得意でない」という。それでも、リオ五輪後は、積極的にテレビなどのメディア対応をこなしてきた。今ではスポーツバラエティ番組などで、水谷以外の男子選手が出演することも珍しくなくなったが、その先駆けとなったのが水谷だった。そこには男子卓球をより普及させたい、というメダリストとしての強い責任感があったのだろう。万記子さんが続ける。

「負けた後の世間の反応を、あの子は痛いほど理解しているんです。勝ち続けないと何も変わらない、ということを本人が一番わかっている。リオのメダルは、卓球に関心がなかった人にも目を向けていただく契機となった。東京で金メダルを獲ったあとには、また違う色の景色が見られるかもしれない。それがどんなものか、本人は楽しみにしているのかもしれません」

東京五輪の混合ダブルス準々決勝のドイツ戦。最終ゲームでは、最大6ポイント差奇跡の逆転勝利を収めた。準決勝では世界ランキング1位の台湾ペアを撃破し、決勝では最強・中国を接戦の末破ってみせた。伊藤との阿吽の呼吸で見事金メダルを決めた水谷は、こう言葉を紡いだ。

「本当に中国に今までたくさん負けてきて、東京五輪で今までの全てのリベンジができた」

今大会を最後に現役引退することも、水谷はたびたび公言してきた。万記子さんは愛息の引き際をどう感じているのだろうか。

「私にもメデイアの方と同じようなことも言いますけどね(笑)。五輪が終わってその景色がどうなっているか、自分がどうしたいのか。親としては怪我なく五輪で精一杯やって、その後は自分の気持ちと相談して、悔いのない選択をして欲しいです」

今回の五輪で水谷は、8月1日から始まる男子団体戦で再び登場する。前回のリオ五輪で銀メダルを獲得したことで、男子卓球を取り巻く環境は変っていった。その重みを誰よりも知る水谷の照準は、すでに団体で再びメダルを掲げることに絞られているはずだ。卓球界を牽引し続けた不世出の天才の勇姿を、目に焼き付けたい。

  • 取材・文栗田シメイ競技写真JMPA

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