屈辱の予選敗退を「お詫び」7人制ラグビー主将・松井が味わう試練 | FRIDAYデジタル

屈辱の予選敗退を「お詫び」7人制ラグビー主将・松井が味わう試練

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キャプテンの松井千士は2日間でチームトップの3トライと気を吐いたが、世界の壁はあまりにも厚かった(©写真 JMPA)

リオ五輪で4位だった男子7人制ラグビー日本代表。地元開催の東京五輪で、今度こそ悲願のメダル獲得を目指したが、予選プール3連敗してしまい下位トーナメントにまわりメダルを逃してしまった。

初戦のフィジー戦では80mを走り切ったが…

日本代表のキャプテン松井千士(キヤノン)は「2年前の15人制のラグビー日本代表がしたように、日本のラグビーを盛り上げるという使命を持って臨んだが、それができず悲しい。初戦で(前回金メダルで優勝候補の)フィジーに(19-24で)敗れたが僅差だったので、それがチームに誤った自信を与えてしまったのかもしれない……」と唇を噛んだ。

それでも前回のリオ五輪ではバックアップメンバーだった松井は、その悔しさを晴らすかのようにフィジー戦では80m独走してトライを挙げるなど2日間でチームトップの3トライを挙げて意地を見せた。

今でこそ細マッチョなラグビー体型の松井だが、兄・謙斗(豊田自動織機)も在籍した大阪の強豪・常翔学園(元・大工大高)に入るまでは体重は70kgもなくガリガリで、さほど足も速くなかった。ただ、試合に出るために、練習場のある淀川河川敷にある土手の階段でトレーニングしたことが功を奏してスピードが一気に大幅にアップしたという。

高校2年時に花園でベスト4に貢献し高校日本代表に選ばれ、高校3年時は見事に決勝トライを挙げて同校の5度目の優勝し大きく貢献した。さらに、同志社大に入学し大学2年の2014年に初めてセブンズの代表に選ばれると、大学3年でエディー・ジョーンズヘッドコーチ(当時)率いる15人制ラグビー日本代表でもプレーするなどスター街道を突き進んでいたが、東京五輪出場までの道のりは決して平坦ではなかった。

持ち前のスピードが買われて、2016年リオデジャネイロ五輪の予選で9トライを挙げて、大会直前まで14人の選手団の一人に選ばれていた。しかし、松井は直前で12名の代表入りから落選し、1つ上の藤田慶和(パナソニック)とともにバックアップメンバーとしてブラジルまで帯同した。ただ選手村に入ることはできず、ベスト4に入ったチームを観客席で試合を見るだけで、1秒たりとも試合に出場することもかなわなかった。

唯一の大学生選手で大会直前にはイケメンとして女性誌にも取り上げられていた松井は「メディアにもたくさん取り上げてもらって浮足立っているところがありました。リオ五輪の時はあと一歩までいきましたが、お客さんと一緒の立場で試合見ていて、(それまで)21年間、ラグビーをしていて一番悔しかったですし、今も鮮明に覚えています」と唇を噛んだ。

リオ五輪で落選後、左足の指4本骨折の大けがも乗り越えた

ただ、松井は大学を卒業すると、ポジション争いの激しい、チャンピオンチームだったサントリーサンゴリアスに入団。サラリーマンとして働きながらも補食を1日2~3回するなどして、70kg台だった体重を85kgほどまで上げて1年目から先発で出場しレギュラー争いに加わり存在感を見せた。

しかし、2017年10月、対面WTBに福岡も出場していたパナソニックワイルドナイツ戦で、前半25分までに2トライを挙げたが、タックルを受けたとき、左足の親指以外の4本も脱臼骨折をする大ケガを負ってしまう。

本格復帰まで8ヶ月ほどかかったが、その直後に転機が訪れる。2018年8月、岩渕健輔ヘッドコーチに「力を貸してほしい」と再びセブンズの代表に招集されたのだ。アメリカで開催されたセブンズのワールドカップに出場も果たした。ただ、その後は、肉離れを3~4回するなどなかなか調子は上がらなかった。

それでも決してめげることはなかった松井は、ベンチプレスが145kg上がるほどまで鍛えるなどトレーニングを続けたことが功を奏し、社会人1~2年目ですっかり体つきが変わって現在では87kgとがっちりした体格へと変貌した。それでも、スピードはチームトップクラスの時速35kmを超える数字をたたき出したており、あの福岡堅樹に「自分より速い」と言わしめたほどである。

「スピードの部分は体重が増えてもまったく変わらず、何よりもフィジカルがついてウィークポイントがなくなって、世界と絶対戦えるっていう自信が付いて、よりいっそう自分のスピードを100%出せるようになった」とプレーに自身がつくと、エースとして頭角を示すようになる。

さらに松井は、サントリー時代は働きながらラグビーをしていたが、2020年に入るとプロ選手としてキヤノンイーグルスへ移籍する。すべては東京五輪でメダルを獲得するため、ラグビーに集中するための決断だった。「フィジカルもより伸びましたし、何よりのメンタル部分で、あの(リオ五輪で落選した)経験があったからこそいろんなことに動じなくなった」と振り返った。

またプロのアスリートとして、15人制ラグビー日本代表のキャプテンFLリーチ マイケル(東芝)が立ち上げた「JINZプロジェクト」にも参画する。「リーチさんは、日本だけでなくアジアのラグビーに目を向けたり、モンゴル人を(母校の)札幌山の手に留学させたりしている。僕は大きなことはまだできないが、リーチさんの姿を見て僕も貢献したいと思い、小さいことから初めてみようと思いました」(松井)

松井は、ブラインドラグビーの選手たちにトライを取った数だけラグビーボールを寄付する活動を始めた。「プレッシャーではないですが、オリンピックでもどんどんトライを取れば寄付できるので、トライを取っていきたい」と意気込んでいた。

無観客で行われたが、自慢のスピードを武器に、松井は東京五輪では2日間で3トライを挙げて、TVで応援しているファンに、この5年間の成長の跡を見せた。だがキャプテンとしてチームを決勝トーナメントにさえ導くことができず、「日本のファンの期待に応えることができず申し訳ありません」と肩を落とした。

松井にとって、初のオリンピックは大きな悔いの残る大会となった。だが、松井のラグビー人生はまだまだ続いていく。この経験を糧に、今後は15人制の舞台でもさらなる輝きを見せてほしい。

  • 取材・文斉藤健仁

    1975年生まれ。ラグビー、サッカーを中心に、雑誌やWEBで取材、執筆するスポーツライター。「DAZN」のラグビー中継の解説も務める。W杯は2019年大会まで5大会連続現地で取材。エディ・ジョーンズ監督率いた前回の日本代表戦は全57試合を取材した。近著に『ラグビー語辞典』(誠文堂新光社)、『ラグビー観戦入門』(海竜社)がある。自身も高校時代、タックルが得意なFBとしてプレー

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