リオ五輪ラグビーで落ちた「元・怪物少年」はなぜ目覚めたか | FRIDAYデジタル

リオ五輪ラグビーで落ちた「元・怪物少年」はなぜ目覚めたか

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リオデジャネイロ五輪の落選から5年。屈辱を晴らすためにメダル獲得を目指したが、最下位を免れるのがやっとだった(©写真 JMPA)

福岡堅樹と立場逆転

若くしてスターダムにのし上がり、日本ラグビー界の「ワンダーボーイ」「怪物」と呼ばれていた選手がいる。男子ラグビー日本代表の藤田慶和(27)だ。前回4位に入賞した2016年リオデジャネイロ五輪で最後の14名まで選ばれたが、最終メンバーの12人に残れずバックアップメンバーとなり、「ラグビー人生で一番の挫折」の屈辱を味わってから5年、東京オリンピックの舞台での活躍を誓っていた。

メダル獲得を狙った東京五輪で、藤田は初戦のフィジー戦からスターティングメンバーに名を連ね、正確なキックオフから味方のトライをアシストしたシーンもあったが、世界の強豪の前になかなか持ち味であるダイナミックなランを見せることができずノートライに終わった。チームも3連敗でメダル獲得どころか下位トーナメントに回り、最終戦の韓国に勝利するのがやっとで12チーム中11位で終えた。

藤田は自身のSNSで「リオオリンピックで人生最大の挫折をしてから5年!やっとオリンピックの景色を見ることが出来ました!夢舞台は素晴らしく輝いていたし僕の人生の中でも最高の経験でした。でも結果は残せなかった現実は凄く悔しい…」と振り返った。

藤田と言えば、東福岡時代は日本の高校相手に3年間無敗で、「花園」こと全国高校ラグビー3連覇を達成し「怪物」と称された。さらに高校時代から7人制ラグビー(セブンズ)日本代表に選出、早稲田大学に入学してすぐの5月、18歳で、エディー・ジョーンズHC(当時)が率いる15人制ラグビーの日本代表に最年少で選出され、6トライでデビューを飾った「ワンダーボーイ」だった。

その直後、大学の練習試合で左膝靱帯断裂する大ケガを乗り越えて7人制、15人制の両方で活躍を続けて、大学4年時の2015年、15人制のワールドカップ(W杯)の日本代表に最年少で選出、アメリカ代表戦ではトライも挙げた。そしてW杯後、リオ五輪を目指しセブンズの代表に復帰し、アジア予選などで活躍。当時、パナソニックのチームメートでのちに2019年の日本開催のW杯で脚光を浴びた福岡堅樹と比べても、藤田の方が注目度はかなり高かったが、リオ五輪の7人制に選ばれたのは福岡で、藤田は最後の最後で落選してしまった。

結局、藤田は、今回のチームで主将を務める松井千士(当時同志社大4年)とともにバックアップメンバーとしてブラジルに帯同したものの、オリンピックの舞台に立つことはかなわなかった。

リオ五輪の男子ラグビー日本代表は初戦で優勝候補のニュージーランドを撃破するなど快進撃を続けて、メダルこそ獲得できなかったが4位に入賞を果たした。一般の観客と同様にスタンドから見ていた藤田は、グラウンドを一周し手を振るチームメートに笑顔で手を振って返すこともできなかったという。

当時、自分のことばかり考えていたという藤田はこう明かす。

「リオ五輪時は、客観的にみて、いい態度をチームにできなかったと思います。悔しさが先行してしまってその時の感情は何も覚えていません。チームにとって申し訳なかったし、ダメな態度を取ってしまった」

リオ五輪を境に、藤田と福岡の注目度は逆転していく。福岡堅樹がトップリーグ、サンウルブズ、日本代表で結果を残す中、藤田はパナソニックでもなかなかレギュラーを勝ち取ることができなかった。当然、15人制では日本代表の座から遠ざかっていったが、その一方で7人制日本代表は身長184cmの藤田のダイナミックな走りに期待した。15人制と7人制では求められるスキルは異なる。

15人制で勝負していた藤田だが、2019年W杯イヤーになると、日本代表候補にもサンウルブズにも名前がなかった。そこで2019年W杯で日本代表の参謀で、当時、サンウルブズの指揮官も務めており、藤田とはパナソニックで旧知の仲だったトニー・ブラウンに直談判。自費でサンウルブズの合宿に練習生として参加しアピールしたが、結局メンバーには残れなかった。今後、どうしたらいいのかとブラウンに相談すると「セブンズに行ってこい! セブンズで世界レベルと戦いつつ、フィットネスを上げておいてほしい。もし何かトラブルがあったら呼ぶから」という声に背中を押されて、「吹っ切れた」と話す。

リオデジャネイロ五輪では落選したものの、遠征には帯同。日本代表の快進撃をスタンドから眺めた(©写真 JMPA)

大事にしている言葉は「一日一生」

そこからは藤田はセブンズに集中する覚悟を決める。持ち前のランニングスキルとフィットネスを発揮し2019年11月にはニュージーランド撃破に貢献し、2020年2月にはワールドシリーズへの昇格大会の優勝にも寄与した。いい流れで東京五輪本番を迎えることができるはず……と思った矢先、同年3月、大会の1年延期が決まった。

コロナ禍の自粛期間中、藤田は実家の京都に戻り、「自分でコントロールすることに集中する」と桃山御陵の階段などでトレーニングを重ねていたという。昨年の夏からは、徐々に日本代表候補合宿が再開し、11月には候補選手同士のトレーニングマッチもあったが、出場することはなかった。日本代表候補選手たちは今年4月にはドバイで行われた国際大会に出場したが、藤田は国内に残ってトレーニングを続けていた。

選手への直接取材もコロナ禍で大幅に制限されたため、詳細はわからないが、ケガをしては復帰しての繰り返しだったという。そのため、藤田は6月に最終12名のオリンピック内定選手が決まる前は、「もし3年かけて(オリンピックに)たどり着けなかったらどうしよう……」と不安になり、経験したことのないプレッシャーを感じていた。

藤田は「コンティションが上がっていなかった部分もあり、正直つらかった。選ばれるかどうかわからず、自分に圧がかかっていて苦しかったですが、そこを一つ乗り越えることができたのは精神的に成長につながるし、大きな自信になった。ただスタートラインに立ったばかりなので東京五輪で何をするかが大事です。リオ五輪で落選して悔しい気持ちは忘れることができないのでオリンピックでプレーしてあのときの悔しさを晴らしたい」と意気込んでいた。

リオ五輪後から藤田が大事にしている言葉がある。「一日一生」だ。「東京五輪に挑戦するにあたって、前回、リオの五輪では先を見すぎていた。いっしょの失敗しないように『一日一生のように過ごす』。それの積み重ねがゴールにつながる」と語気を強めた。

7人制は15人制と比べると日本での地位は低く、知名度は高くないが、両方の競技において世界レベルで戦う藤田は、以前より、ファンにサインを求められれば一人ひとり丁寧に対応し、藤田は「セブンズやラグビーを盛り上げたい」という一心で、競技の楽しさが少しでも広まるように、SNSやYouTubeで発信する活動も積極的に行っている。

「2015年W杯で日本ラグビー界の歴史が変わり状況が一変したが、ラグビー熱が継続できなかった。2019年W杯でラグビーが盛り上がり、その熱をセブンズでも継続して加速させようとしたが、コロナで難しかった。東京五輪では、もう一度、たくさんの人を驚かせて『ラグビーっていいスポーツだね』『セブンズって素晴らしい競技だね』と言ってもらえるチャンスだと思う。その熱をもう一度僕たちから生み出したい」(藤田)

かつて「怪物」と称された少年は、ラグビー人生最大の挫折を糧に27歳の青年へと成長した。5年越しの思い、そして、ラグビーに対する溢れるような情熱を初のオリンピックの舞台にぶつけた。しかし、2019年W杯で15人制の日本代表や福岡堅樹が残したようなインパクトを与えることできず、リオ五輪とは違った意味で悔しい大会となった。

「もう一度、メダルを目指してみたい」とオリンピックやセブンズに未練を残しつつも「これから少し休んで、また一からスタートしたい」という藤田の次の目標は2023年の15人制ワールドカップとなろう。東京五輪での経験を糧に、来年始まる新リーグ「LEAGUE ONE」の埼玉パナソニック ワイルドナイツでの飛躍に期待したい。

2015年イングランドW杯・米国戦に先発。当時の輝きはもう一度取り戻せるはずだ(写真:アフロ)
  • 取材・文斉藤健仁

    1975年生まれ。ラグビー、サッカーを中心に、雑誌やWEBで取材、執筆するスポーツライター。「DAZN」のラグビー中継の解説も務める。W杯は2019年大会まで5大会連続現地で取材。エディ・ジョーンズ監督率いた前回の日本代表戦は全57試合を取材した。近著に『ラグビー語辞典』(誠文堂新光社)、『ラグビー観戦入門』(海竜社)がある。自身も高校時代、タックルが得意なFBとしてプレー

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