団体金メダルへ!石川佳純の父が明かす「苦しみぬいた5年間」 | FRIDAYデジタル

団体金メダルへ!石川佳純の父が明かす「苦しみぬいた5年間」

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地元に凱旋した際の1枚。久しぶりの父との再会に笑顔を見せた
地元に凱旋した際の1枚。久しぶりの父との再会に笑顔を見せた

「佳純にとって1年の延期はプラスに働いたと思います。代表争いで消耗しきった状態から自分を見つめ直す時間ができたことで、余裕が生まれ、表情も柔らかくなりましたね」

大会前、石川佳純の父・公久さんは、3度目の五輪に臨む娘の微妙な変化を感じ取っていた。

’16年のリオ五輪を期に、女子卓球界の勢力図は激変した。

女子卓球界のエースとして’16年まで全日本選手権を3連覇中だった石川だが、’17年からは「絶対的な存在」ではなくなっていった。伊藤美誠、平野美宇、早田ひなら才能豊かな’00年代生まれの世代が台頭してきたのだ。

前陣速攻の超高速卓球を繰り出す平野や、独創的なスタイルの伊藤の卓球は、時に中国すら凌駕する勢いを見せた。卓球は極めて技術の進化が早い競技でもある。石川は総合力の高さとラリーに特徴を持つ選手といえるが、時代はより早さを追い求めるようになっていく。平野や伊藤が中国選手を相手に金星を挙げていく一方、石川は思うような結果を残せない日々が続いた。

‘18年以降の世界選手権やワールドカップ、ITTFワールドツアーグランドファイナル、アジアカップといった大きな国際大会で、石川はなかなか準決勝の壁が破れなくなった。中国勢に阻まれることもあれば、中国選手以外に敗れることもあった。国内でも伊藤、早田に破れ全日本選手権で決勝進出を逃した。

「石川の卓球はもう古い」

「中国に勝てるのは若い世代だ」

いつしか、卓球関係者の間でもそんな言葉が交わされるのは珍しい光景ではなくなっていく。石川は自身のスタイルの変更を余儀なくされていた。

’18年頃からは、ミックスゾーンでも明らかに納得がいかない表情を浮かべることも増えた。

「自分の思うような卓球が出来なかった」

取材陣にそんな言葉を発するたびに、熾烈な競争が繰り広げられる女子卓球の進化が感じられた。そして、そこに身を置く石川自身の苦悩も伝わってきた。

平野との間で最後の最後までもつれた東京五輪女子シングルスの代表争いは、‘19年12月のノースアメリカンOP決勝での直接対決を制し、最終的には石川が代表権を勝ち取った。課題に挙げ強化してきたサービスとレシーブに磨きをかけただけでなく、石川の持ち味である強気な卓球が復活していた。

公久さんは、リオ五輪後の石川の5年間をこうみている。

「佳純にとってこの5年は非常に浮き沈みが激しい期間だったかと思います。熾烈なシングルス争いを繰り広げてきて、代表になるのがまず厳しかった。本人もよく話していますが、『自分の卓球が古い』と言われてきて、そういうもどかしさを常に感じていた。だからこそ、自分を変えるために苦しい練習と向き合い、ギリギリで踏ん張れた。もしかしたらこれまでの五輪よりも、代表を『勝ち取った』という意識は強いかもしれません」

今年1月に行われた全日本選手権では、伊藤を下して5年ぶりのシングルス優勝も果たした。喜びを爆発させる石川の表情は、リオ後の鬱積から解き放たれたかのようだった。

「なかなか結果が出なく本当に苦しい中でやってきて、全日本で優勝できたということがあの喜びに繋がったんでしょう。2度の五輪を経て、卓球を広く知ってもらうために自分が前に出てないかないという感覚もあったようです。特に子供達の卓球教室に出て教えるのが好きみたいで、『子供に教えるのが楽しい』と話していました。

卓球を離れて一人の娘としては、今年の父の日に但馬牛を送ってくれたんです。見たことがないような高級な肉で、これは高いんだろうな、と思って食べました(笑)。そういう周りへの気配りができる子なんです」(公久さん)

小学生の大会で優勝を飾り地元のチームメイトと記念撮影。中央が石川
小学生の大会で優勝を飾り地元のチームメイトと記念撮影。中央が石川
7歳頃から卓球を始めた石川。小学校高学年のときには福岡大卓球部出身の父・公久さんと互角の実力になっていたという
7歳頃から卓球を始めた石川。小学校高学年のときには福岡大卓球部出身の父・公久さんと互角の実力になっていたという

19歳で臨んだロンドン五輪、エースとしての重責を負ったリオ五輪と異なり、東京ではこれまでとは少し違った感覚で臨んでいる。それは、かつての福原愛がそうであったように、若手を引っ張る精神的支柱としての役割が大きいのかもしれない。公久さんはこう話す。

「大会前に佳純と話した際に、団体に賭けているという強い想いを感じました。今大会ではダブルスが団体の1試合目になり、勝敗を分ける。だから練習でもそこに時間をかけてきた、と言っていましたね。団体が一番いい色のメダルを目指せる、と。その目標に対して最年長に立場が変り、振る舞いや責任感にも変化が出てきているとは感じます」

シングルスでは、惜しくも準々決勝で敗戦した。だが、父に決意を語っていた団体戦ではキャプテンとしてチームを鼓舞する。

「あの娘の性格を一言で表すなら、負けず嫌いでポジティブ。実は一度寝ると次の日には忘れて変貌するようなタイプで、切り替えが早いんです」

8月1日に行われた女子団体初戦のハンガリー戦では、平野や伊藤にベンチからたびたび声をかける石川の姿があった。苦悩を経て進化した石川の献身が、ロンドンの銀、リオの銅を上回るメダル獲得への鍵となるはずだ。

両親、祖父母と3歳のときに撮った七五三の記念写真
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  • 取材・文栗田シメイ

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