「名字頂上決戦」ハンコ屋さんと闘う専門家が13連敗のワケ | FRIDAYデジタル

「名字頂上決戦」ハンコ屋さんと闘う専門家が13連敗のワケ

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『沸騰ワード10』でお馴染みの名字研究家・高信幸男氏に敗因を聞く 

「10問出して全敗。そんなことが3回もありました」 

日本テレビ『沸騰ワード10』で、日本一の品ぞろえを誇るハンコ屋・秀島徹さんと名字研究家・高信幸男さんが対決する「名字頂上決戦」が話題だ。

高信さんが「これは持っていないだろう」という難読・珍名をフリップに書き、その名字を秀島さんが持っていれば、その名字のハンコを押し、持っていなければ、「降参」のハンコを押す。

毎回10個の名字で対決し、その勝負はすでに13回を数える。しかし! これまで高信さんは13連敗。高信さんが出題した名字がすべてクリアされた回も、3回を数えるという。名字研究家としては、あまりにも不名誉な記録だ。研究家なのに、なぜ勝てないのか? もはや勝機はないのか?

高信氏が確認しているだけでも13万あるという日本の名字
高信氏が確認しているだけでも13万あるという日本の名字

「知識は私のほうがある。挑戦するために選ぶ名字を間違えているだけです」(高信幸男氏 以下同)

高信氏が現在把握している名字は約13万。対して秀島氏が所有しているハンコの名字は約11万。2万の差があるので、秀島氏が持っていないであろう名字を選べば勝てるはずなのに、勝てない。

「最初は画数の多い、むずかしい名字を選んでいたんです。こんな文字は彫れないだろうと。それがことごとくあった。今まで130の名字を選んで『ない』と言われたのは20くらい。職業柄、むずかしい文字のほうが彫りがいがあると思うんです。だから、逆に簡単な文字の名字のほうがないんじゃないかと。そう思って挑んだ13戦目は4勝6敗。いい勝負になってきた。次は勝ちますよ」

連敗を続ける高信氏の元には全国から「私の名字を使ってくれ」という手紙が寄せられ、現在、その数400通。勝てそうな名字もいくつかあると言う。

秀島氏のハンコ屋には、父親の代から彫っていたハンコが11万本! 「秀島さんのお父さんが名字を集め始めたのは、電話帳もない時代。どうやって集めたのか謎です」と高信氏(写真はイメージ)
秀島氏のハンコ屋には、父親の代から彫っていたハンコが11万本! 「秀島さんのお父さんが名字を集め始めたのは、電話帳もない時代。どうやって集めたのか謎です」と高信氏(写真はイメージ)

税収を増やすためにノールールで名字を許可した!? 

世の中には「一」と書いて「にのまえ」、「十」と書いて「つなし」(一から九までは、「ひとつ」「ふたつ」……「ここのつ」と「つ」がつくけれど、「十」は「つ」がつかないから)と読む名字があるとか。

なぜこんな珍名さん、難読さんがいるのだろう。

日本で全国的な戸籍制度ができたのは明治5年(1872年)。それに先立ち明治3年(1870年)に「平民苗字許可令」が出された。それまで名字は華族や士族にしか許されていなかったが、華族や士族に属さない“平民”もつけていいことになったのだ。

「ありがたいように思えますが、実は徴税と、徴兵のためには戸籍が必要で、戸籍を作るためには名字が必要だったんです」

もちろん、それ以前から名字をもっている平民もいた。江戸時代の墓石にも名字が刻まれているのが、その証拠だ。ただ、公には認められていなかった。

「とにかく名字を出してもらわないと税金も徴収できない。それで、ほとんどノールールで受け付けたのです。 

名字を届け出た人の中には、先祖から伝わったものをそのまま届ける人が多かったけれど、それではつまらないと考える人がいた。たとえば元々は『高梨』だったけれど、『小鳥遊』と書いて『たかなし』と読ませるなど。小鳥遊さんという方に会って話を聞いたことがありますが、小鳥は鷹などの猛禽類がいるところでは遊んでいられない。小鳥が遊ぶ。すなわち鷹がいないということで、『たかなし』と読ませることにしたそうです」 

『沸騰ワード10』でリポーターを務める朝日奈央さん。「名字頂上決戦」では高信氏を応援するが、果たして……(写真:アフロ)
『沸騰ワード10』でリポーターを務める朝日奈央さん。「名字頂上決戦」では高信氏を応援するが、果たして……(写真:アフロ)

ほかにも、月がよく見える里には山がないということで、「月見里」と書いて「やまなし」などという名字があると言う。「一(にのまえ)」「十(つなし)」も、その一つだ。そのほかにも自分の職業をそのまま名字にして「風呂」、「桶」という名字も登場した。届け出さえすれば、なんでもよかったのだ。 

許可令によって名字を届け出た人がいる一方、「国がそんなに簡単に名字をつけることを許すのはおかしい」と考えて、届け出ない人がいた。そこで、明治8年(1875年)には、だれもが名字を届け出なければならないと「平民苗字必称義務令」を出し、届け出を義務化した。 

「名字をつけることに反感をもっていた人たちは素直に届けずに、いい加減な名字を届けた人もいたようです。『住所』『番地』という名字の人がいるのですが、ひょっとしたら、その名字の先祖は、そうした反感から、こんな名字を届け出たのかもしれません」

それでも認めてしまったのだから、おおらかというか、いい加減というか……。

厳格でないといえば、文字そのものもそうだった。今、「さいとう」には「齋藤」「齊藤」「斎藤」「斉藤」、「わたなべ」には「渡邊」「渡邉」「渡辺」などさまざまな文字があるが、これも届け出る人が、そう書いたたから。書いてしまえば、それがその人の名字になったのだ。おかげで高信氏が把握しているだけで13万という膨大な数の名字が生まれたのだ。

ちなみに人口約14億の中国の名字は多くて4000程度、人口約5000万人の韓国の名字は約500と言われている。

高信氏の書斎には、携帯電話が普及する前の全国の電話帳がズラリ。その数400冊! 「電話帳で珍しい名字を見つけたら、会いに行って名字の由来を聞きます。それが楽しい」
高信氏の書斎には、携帯電話が普及する前の全国の電話帳がズラリ。その数400冊! 「電話帳で珍しい名字を見つけたら、会いに行って名字の由来を聞きます。それが楽しい」

「秘策もあります。次は負けません」 

難読の名字には、古い時代の読み方がそのまま使われているケースもある。たとえば「台」。奈良時代には「うてな」と読まれ、それにちなんでつけられた名字も「うてな」と読む。「土師(はじ)」という名字も同様だ。

「長谷川、春日などは、だれでも読めるけれど、ふつうに『長谷』を読めば『ながたに』、『春日』は『はるひ』です。これも昔の読み方が名字に残っている例です」

さらに「裃(かみしも)」のように、日本の文化に合わせて、中国の漢字にはない文字・国字を作り、それが名字になったケースもある。

「『塙(はなわ)』は文字通り高い場所を表し、『圷(あくつ)』は低い場所を表します。こうした国字の中には地名を表すために土地独自に作られたものも多く、その地域以外にはなじみのないものもあります。実際、『圷』を読める人は少ないと思いますが、私の住んでいる地域では、小学生でも、この文字が読めます」

高信という名字も珍しいが、

「私の故郷にはたくさんいたんです。クラスに4~5人は高信でした。ほかにも斎藤や藤田など同じ苗字の人が何人もいたので、中学生までは名字というのは数が少ないものだと思っていました。ところが、高校に入ったら、いろいろな名字がある。それで興味をもって調べ始めたんです」

なんと、高信氏が名字の研究を始めたのは16歳からだという。それからは、全国の電話帳を取り寄せ、珍しい名字を見つけると、訪ねていって、由来を聞くという日々。 

「名字には地域性もあって、その土地にしかないものも多い。次の対戦では地域を決めて出題すれば勝てるのではないかと思ってるんです」

対戦者の秀島さんは、今も新しい名字を1日に20~30、ハンコに彫り続けているとか。

健闘を祈ります。

■先生のYouTubeチャンネル『名字研究家 高信幸男 Channel』はコチラ

高信幸男 名字研究家・司法書士。日本家系図学会会員。茨城民族学会会員。日本作家クラブ会員。高校生のころから名字研究を始める。全国を旅しながら名字を収集し、それらの由来やエピソードを出版。講演会などで発表している。おもな著書に『難読稀姓辞典』『日本人の名字クイズ』『日本全国歩いた! 調べた! トク盛り「名字」丼』など。

  • 取材・文中川いづみ

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