サッカーNZ代表の粋なエールを投稿した中山雄太の知られざる伝説 | FRIDAYデジタル

サッカーNZ代表の粋なエールを投稿した中山雄太の知られざる伝説

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東京五輪のサッカー準々決勝でPK戦の末、U-24日本代表に敗れたニュージーランド代表がロッカールームのホワイトボードに書かれていたメッセージが話題になった。

「ありがとう鹿島・東京2020。素晴らしい時間を過ごせました。日本代表の幸運を祈っています。頑張れ! ニュージーランド フットボール」

激闘から一夜明けた1日、このメッセージを投稿したのが、この試合に途中出場し、
PKのキッカーとしてゴールも決めたDF中山雄太だ。ニュージーランド代表にも伝わるよう、英語で以下のような趣旨の感謝のメッセージを掲載した。

<私はサッカー選手として、彼らを深く尊敬します。現在、多くのアスリートが日本でプレーしていて、今回のような心温まるニュースがあります。私自身は何もしていませんが、日本のパーソナリティとおもてなしの精神には誇りを持っています。人と人との繋がりは本当に素晴らしいと思います。世界が今よりも温かいニュースであふれることを願っています>

このニュージーランドの粋なエールに、ネット上では絶賛の嵐が巻き起こった。

中山はプロに昇格する前にも、ある「伝説」を残している。中山は柏レイソルの下部組織にあたるユースチームの主将だった。彼らを応援しようと、地方の遠征でも太鼓をたたいて応援してくれる熱心な有志のサポーターが数人いた。選手もサポーターの存在は知っていたが、個別に声をかけることはあっても、プロの選手が試合後にやるような、一列に並んでお辞儀することはなかった。

ただ、中山は熱心なサポーターのひとりが仕事の都合により、ある試合を最後に応援活動を一切辞めることを人づてに聞いて知った。その有志のサポーターの“ラストマッチ”となった試合後、中山は相手チームへの挨拶を終えると、味方の選手も全員呼び、有志のサポーターが集まる客席へ向かって、一列に並んで頭を下げたという。以来、柏ユースは応援に来てくれた人への挨拶は「伝統」として残っているという。

ちなみに、中山が8月1日に投稿したインスタグラムに投稿した流ちょうな英語は、2019年に移籍したオランダの古豪・PECズウォレでの生活で覚えた。2015年に柏でプロになり、チームでもレギュラーポジションを確保したが、4年ほど経つと、より高みを目指したくなった。中山は移住したオランダでこう明かしたことがある。

「自分が成長するためにオランダ行きを選択しました。決して短期的なスパンではなく数年後の自分のために『全ての面で成長を』と考えてここに来たんです。プロになる前からずっと公言していましたし、レイソルもその思いを汲んでくれました。
 日本でもサッカーに集中しているつもりでいましたが、オランダに来て、自分がサッカーに費やしてきた時間がまだ足りていなかったと痛感しました。『ぬるかったな…』と。ズウォレは良い街で住みやすいですけど、いい意味で何もない。だから、サッカーに集中するしかないんです。その意味で自分が求めていた成長できる環境です」

たとえば、10時30分ごろに練習が始まる場合、7時に起床し、15時には帰宅。自炊をはじめる17時まで英会話の勉強などに充てていた。自炊を続けているうちに、料理にもハマっていったのだという。中山はこう続けた。

「自炊がすごく楽しいんです。週によっては、家と練習場とスーパーの行き来しかないこともあります。自分の体と相談して、メニューを決めて。『体が疲れているから肉を摂ろう』とか『今日は負荷が軽いので普段より野菜を多めに』とか。『ホイル蒸し』にも挑戦しましたよ。恥ずかしいですけど、将来結婚したら夫婦でキッチンでご飯を作るってささやかな夢もあるので、そこへ向けて(笑)……。最初は2時間掛かっていたことも今では1時間あればササっとできますよ。その分、できた時間を英会話やサッカーに充てられますから」

約1年前からシェフを雇うようになったため、自炊はしなくなったが、それまではインスタグラムにも自炊料理を投稿することもあった(現在は削除)。

異国の地に向かったのも、英語を習得したのも、料理に夢中になったのも、そしてシェフを雇ったことも、すべてはサッカーで認められるため。約9年前の2012年、U―16代表に選ばれた時から「東京五輪での金メダル」という悲願を背負ってきた中山は、東京五輪に対する意気込みをこう明かしている。

「『試合に出て、勝ち続けた。メダルを獲った』―。自分たちはずっとそうなるためにやっていますけど、これは『結果』でしかない。その五輪が終わって、どんな結果が出て、どんなメダルが手元にあって、且つその後にどんなキャリアが切り拓けたか、それが何より一番大事なんです」

メダルはもちろんとりたい。そして、東京五輪を、その先にあるサッカーキャリアや人生をステップアップさせる場にしたい。周囲にさりげなく「ありがとう」を言ってきた中山は、最終戦が終わった後、敵味方関係なく笑って「ありがとう」と言えることをのぞんでいるはずだ。

  • 取材・文神宮克典

    1975年生まれ。音楽媒体や美容関係のフォトグラファー活動を経て、2011年からJリーグ・柏レイソルや育成年代をはじめ、地域のフットサル普及やCPサッカー、ソーシャルフットボールなどに取材活動の場を広げる。『東葛毎日新聞』を始め、『ゲキサカ 』、『Tiki-taka』などに寄稿するほか、フリーのフォトグラファーや記者として活動も行っている。

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