「障がいは言い訳にすぎない」のポスターに乙武洋匡さんが思うこと | FRIDAYデジタル

「障がいは言い訳にすぎない」のポスターに乙武洋匡さんが思うこと

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パラバドミントン・杉野明子選手が、過去のインタビューにおいて次のように語っていました。

「それまで健常の大会に出ているときは、障がいがあってもできるんだという気持ちもあれば、負けたら『障がいがあるから仕方ない』と言い訳している自分がありました。でもパラバドでは言い訳ができないんです。シンプルに勝ち負け。負けたら自分が弱いだけ」(原文ママ)

この言葉がポスター作成の際に抽出され、このように改変されます。

「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」(原文ママ)

まあ、たしかに要約といえば要約なのですが、前後の文脈なく、このフレーズだけがポンと抜き取られ、杉野選手の写真とともに掲出されてしまうと、あたかも杉野選手が世間一般の障害者に「甘ったれるな」と喝を入れているような印象を与えてしまいます。これではご本人も不本意でしょう。撤去もやむなしと言えるかもしれません。

では、このフレーズが本当に一般の障害者に向けられたものだとしたら、みなさんはどのようにお感じになるでしょうか。一部には「その通りだ」「障害を言い訳にしていたら後ろ向きな人生になってしまう」といったご意見もあるでしょう。特に、ご自身が障害を物ともせずに力強く生きている当事者のなかには、こうしたお考えの方も多くいらっしゃるかもしれません。

だが、多くの方々は、このフレーズはあまりにキツい言い方であり、障害者を突き放すような文言だと感じられるのではないでしょうか。だからこそ、今回のポスターにも多くの批判が集まったのだと思います。

ならば、「障害は言い訳にしてもいい」のでしょうか。そう言われると、答えに窮してしまう方も多いかもしれません。さすがに意地の悪い質問でした。しかし、私は思うのです。「障害は言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」と誰もが言える社会になったら、どんなに素晴らしいだろうかと。

いまの日本では、「障害」は生きていく上でかなりの壁となります。私のような身体障害だけでなく、視覚障害、聴覚障害、知的障害、精神障害などさまざまな障害がありますが、いずれもその障害が生きていく上での大きなハンデとなってしまう社会です。

もちろん、完全にフラットにすることは難しい。それでも、その差を限りなく小さくしていくことができたら、どんなにいいだろうと思うのです。車椅子でも不自由なく移動できるバリアフリーな街並み。視覚や聴覚を補うテクノロジーの進化、知的障害や精神障害があっても、その能力や特性に応じた働き方が許容される社会——。

現在、「障害者」と呼ばれる人々が抱える生きづらさが一つ一つ解消され、障害がハンデではなく、ただの“機能の違い”だと捉えられるような社会になったら、そのときは「障害は言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」と言っても、そこまで波風は立たなくなるのかもしれません。

今回のポスター批判から透けて見える「障害者は生きていくのが大変なのだから言い訳くらいさせてあげよう」という考え方は、一見、正論であり、思いやりに満ちたものに感じられるかもしれません。しかし、より望ましいのは「障害者に言い訳させないよう、社会的なハンデを小さくしていこう」という考え方なのではないかと思うのです。

乙武洋匡さんの新刊『車輪の上』が絶賛発売中です。今回のようなことを考える上で、多くのヒントが詰まっている作品となっております。
  • 撮影森清

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