松坂世代が続々と引退 グラウンドを去る日本の4番&エース
プロ野球引退スペシャル 岩瀬仁紀、新井貴浩、杉内俊哉、松井稼頭央ほか
岩瀬仁紀(43)中日
今季は各球団の4番やエースなど、大物選手が続々と引退する。前人未到の1000登板を達成した中日・岩瀬仁紀(43)、主砲として広島の3連覇に貢献した新井貴浩(41)……。中でも目立つのが、30代後半となった”松坂世代”だ。
「3度の奪三振王に輝いた杉内俊哉(37)や通算360本塁打を放った村田修一(37)など、一時代を築いた選手たちが一気にグラウンドを去ります。残っているのは松坂本人をはじめ、阪神の藤川球児など10人ほどです」(スポーツ紙記者)
松坂世代の一人、巨人などで代打の切り札として活躍した矢野謙次(38)には、若い時の忘れられないエピソードがある。
「入団3年目の’05年は調子がよく、5月まで打率4割を打っていたんです。けれど打率1割台だった助っ人のキャプラーが使い続けられたため、ボクが二軍に落とされることになった。ファーム行きを告げられた直後は、荒れに荒れましたね。ロッカールームの外にあったイスを蹴り、『必死で成績を残したのに優遇されるのは外国人かよ! クソ!』とわめき散らしたんです。気持ちが落ち着くのを待ってロッカールームに入ると、ボクあてにメモが残してありました。そこに書かれていたのは『見ている人はいるから腐らずにがんばれ』という言葉。小久保裕紀さんからのメッセージです。若気の至りでヤケになった自分を反省しました」
’10年に109打点を稼ぎ、打点王となった小谷野栄一(38)も松坂世代だ。
「新人の時は二軍で打率3割、チームトップの14本塁打を打って少しテングになっていました。目が覚めたのは、調整でファームにいたヤクルトの中継ぎエース石井弘寿さんと対戦した時です。150kmの直球とスライダーで3球三振。かすりもしない。二軍で打てても、一軍の投手には通用しないんだと打ちのめされました。野球に対する姿勢が変わりましたね」
若い時に経験した悔しさをバネに偉業を成しとげたのは、松坂世代だけではない。’12年にソフトバンクのエースとして12勝をあげた大隣憲司(33)が語る。
「入団当初は、右足をひねったり腰を痛めたりとケガばかり。早く治さなければと焦るばかりで、自分を見失っていました。精神的に落ち着いたのは、結婚した’11年頃からですね。妻のススメで、メンタルトレーニングを取り入れたんです。3年後、5年後の目標をノートに書く。ただ『こうなりたい』と希望をつづるのではなく、『最多勝をとった』と過去形で書くんです。目標をハッキリさせ、逆算して今なにをすべきかを明確にすることで気持ちに余裕ができました」
盗塁王3度、スイッチヒッターとして史上初の”トリプル3″を達成し、メジャーでも活躍した松井稼頭央(42)も新人の時は苦労の連続だったという。
「高校時代は投手で、プロ入りしてから野手になりました。打撃も走塁も守備もゼロからのスタートです。ルーキーの時は一軍にも上がれずしんどかった……。ボクに限らず今季有終の美を迎えられる選手が最後まで力を出し切れたのは、若い選手をガマンして使い続けてくれた監督やコーチのおかげだと思います」
ユニフォームを脱ぐレジェンドたちは、多くの失敗の上に伝説を築いたのだ。
新井貴浩(41)広島、阪神
後藤武敏(38)西武、DeNA
矢野謙次(38)巨人、日本ハム
小谷野栄一(38)日本ハム、オリックス
村田修一(37)横浜、巨人、BC栃木
杉内俊哉(37)ダイエー、ソフトバンク、巨人
大隣憲司(33)ソフトバンク、ロッテ
西村健太朗(33)巨人
山口鉄也(34)巨人
松井稼頭央(42)西武、メッツ、楽天 他
注:成績は10月9日現在
PHOTO:豊嶋孝仁 加藤 慶 黒瀬ミチオ 日刊スポーツ/アフロ