NYタイムズが報じた「日本の選手は2位でも謝る」の深刻な意味 | FRIDAYデジタル

NYタイムズが報じた「日本の選手は2位でも謝る」の深刻な意味

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8月5日に『ニューヨーク・タイムズ』電子版が掲載した、

Second Best in the World, but Still Saying Sorry(世界2位でも謝る)At the Tokyo Olympics, Japanese athletes who fell short of gold have apologized profusely — sometimes, even after winning silver. (東京五輪で金メダルにおよばなかった日本人選手たちは、執拗に謝罪する。時に、銀メダルを獲得しても)>

というタイトルの記事に、私は深い共感を覚えた。

同記事の冒頭では、レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級で銀メダルを獲得した文田健一郎選手が、試合後に号泣しながら「こんな状況で、すごい意見があるなかで選手以上に信じて、大会運営をしてくれたボランティアの方、指導してくれた方、家族などに勝って恩返ししたかった。不甲斐ない結果に終わってしまい申し訳ない」と語ったことが紹介されている。

また、柔道混合団体で、同じく銀メダルを得た向翔一郎選手の「自分はもっと頑張らねばならなかった」「柔道代表チームの皆さん、本当に申し訳ありませんでした」というコメントや、女子テニスの3回戦で敗退した大阪なおみ選手が日本代表となったことに誇りを持ちながらも、「私は期待に応えられなかった。ごめんなさい」と言ったことなどが記載された。

『ニューヨーク・タイムズ』は伝える。

「金メダリストでない多くの日本人選手は、試合後の記者会見で謝る。メダルを獲得した選手でさえ、チームやサポーターや国家に対して失意を与えてしまったと嘆く」「世界2位でも謝罪する行為は成功基準の高さを映し出す。選手たちは自国で戦っているからこそ、日本メディアから質問された折に、懺悔の感情――後悔、感謝、責務、謙遜が絡み合った気持ちを表す」

そして山崎卓也弁護士の言葉「もし銀メダリストが謝罪しない場合、その選手は批判されてしまう可能性がある。日本人は幼少期から、自分のために競技をするという考えを、あまり持つべきではないとされている。特に子供の頃は、周囲の大人たち、教師、両親、他の目上の人々の期待が大きいので、そのようなメンタルになってしまっている」を記した。

ここで私が感じるのは、日本とアメリカの指導法の違いだ。我が国のスポーツ界では、幼少期からコーチに対し、絶対服従を求める傾向にある。たとえそれが理不尽な要求であったとしてもだ。更には「球拾い」や「補欠」という文化が根付いている。

どんなに経験の浅い子供でも、「球拾い」で技術は向上しない。自分の手足でシュートし、あるいはラケットやバットを振ってボールに向かわなければ、そのスポーツを体験したことにはならない。また、基礎的なコーチ論さえ理解できていないボランティアが、暴言を吐きながら咥え煙草で少年少女と向き合っているケースも数知れない。中学校の部活の顧問も、専門的にその競技をやっていた訳ではないので、我流で生徒と向き合うしかない。悪習だと分かっていても人手が足りないため、事なかれ主義がまかり通っている。

アメリカのスポーツ界や、ブラジル、アルゼンチンのサッカー界でコーチとなる人間たちは、育成法を習得する際に心理学を学ぶ。どのように選手のモチベーションを上げるか、人間性を高めるかを知識として持ち合わせたうえで、現場に立つ。だからこそ、彼らの口からは自然と誉め言葉が出る。選手が笑顔になるような指導法を弁えているのだ。

米国の中学、高校の運動部には補欠の概念が無い。1軍には1軍の、3軍には3軍のリーグ戦があり、必ず自身が選んだ競技の公式戦でプレーする環境がある。

私が深刻に感じるのは、日本のスポーツ界からいまだに暴力指導が消え失せないことだ。

2020年12月2日、東京新聞の社会面に「脱・甘い処分 探る現場」「生徒2人重軽傷、体罰教諭免職」という文字が躍った。部活動の指導者による体罰問題を扱った記事である。

以下が出足の一文だ。

<生徒二人に体罰で重軽傷を負わせた兵庫県宝塚市立長尾中の教諭・上野宝博(50)――傷害罪で起訴――が、十一月二十四日に異例の懲戒免職となった。全国で体罰は相次ぐが、懲戒処分にならないケースもある。識者は「行き過ぎた『指導』の範囲だとして処分を軽くする傾向がある。子どもの被害を考えれば見直すべきだ」と指摘する。宝塚市は身内に甘い体質打破へ、模索を始めた>

宝塚市内の中学校に勤務していた柔道の有段者である教諭が、部員に対して投げ技や寝技、平手打ちを繰り返し、重軽傷を負わせた。同教諭は傷害罪で起訴され、懲戒免職となった。

中川智子・宝塚市長は、体罰告発の基準や義務を明文化して「抑止力につなげたい」と語り、同市は刑事告発の活用を検討し始めた。市の教育委員会が体罰を認めた折、早い段階で警察の捜査に委ねるという。記事には、宝塚市教育長が「指導の範囲を逸脱した傷害事件だ」と話し、頭を下げる写真も添えられていた。

これを受け、名古屋大学の内田良准教授は、「教育委員会が告発を進める動きは、大きな前進だ。外部の介入で、閉鎖的な教育現場の風通しは良くなるはずだ」とコメント。その反面、選手に鉄拳制裁を見舞い、かつ、パイプ椅子を投げつけた岐阜県の公立高校に勤務する女子バスケットボール部の顧問が1カ月の停職しか課せられなかったこと、あるいは熊本市立高校の陸上部監督が部員13名に暴行を働き、頭部出血等の被害者8名を出しながらも、3カ月の停職で済んでしまった件が書かれていた。

五輪に出場して脚光を浴びるトップアスリートの陰で、無能な指導者による体罰で消えていく若者が後を絶たない。それが日本の現実だ。東京五輪で躍動したアスリートたちは眩しかったが、我が国のスポーツ界は改善しなければならない問題が山積している。

『ニューヨーク・タイムズ』は、立教大学のライトナー・カトリン・ユミコ准教授にも取材している。

「謝罪の衝動は、何種類かの厳しいスポーツ指導の一部と関連しているかもしれない」

ライトナー准教授は、そう話している。

彼女には日本で柔道の経験がある。柔道のコーチたちはライトナー准教授に対して、非常に攻撃的な言葉を投げ付けてきたという。「それが五輪チャンピオンになるための道なら、五輪王者にはなりたくない」「コーチたちはアスリートを人間として扱わなかった」と、彼女は言った。

ライトナー准教授の感情は人間として真っ当だ。が、人権を蔑ろにした指導であっても、金メダルを得たことで、それが是となり、常識となってしまうこともある。拙著『ほめて伸ばすコーチング』(講談社)でも指摘したが、1964年に催された前回の東京五輪での女子バレーボールが典型的な例だ。

大松博文監督の下、「東洋の魔女」と謳われた代表選手たちは睡眠時間3時間の猛特訓を受け、世界一となった。首根っこを掴まれてバケツに顔を突っ込まれるような行為が、日常的に行われていたそうだ。

女子バレーボールが五輪の正式種目となったのは1964年東京大会からで、世界的に見れば競技人口が少なかったからこその金メダルであった。しかし、大松氏が3時間の睡眠しか与えずに選手を酷使したことは美談となり、スポーツの指導者や企業の経営者が模倣するようになった。

昔のこととはいえ、こんな話が称えられるのは、日本独自の文化と言える。

『ニューヨーク・タイムズ』はミシガン大学心理学部、北山忍教授の「アメリカンはたとえ失敗しても、そこから良い点を見出すのがうまい」「日本では成功しても謝らねばならない」といったコメントも使用し、勝利してもアスリートが謝罪することを幼少期から植え付けられている日本人のメンタリティーについても触れている。

同紙は、己の力を最大限ふり絞って戦い抜いたアスリートに敬意を示すと共に、日本の謝罪文化が解せなかったのであろう。

「東洋の魔女」に沸いた東京五輪の男子マラソンで銅メダリストとなった円谷幸吉選手は、4年後のメキシコ五輪(1968年)でさらに高い表彰台に上ることが期待された。だが、彼は重圧に圧し潰されるかのように、27歳で自らの生命を絶っている。

円谷氏は、便箋3枚に次のような遺書を残した。

<父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。

敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。

正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。

父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。

気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。>

彼もまた、哀しい謝罪をしている。

円谷氏を追い詰めたものとは、何だったのか? なぜ、彼は自ら死を選ばなければならなかったのか。自分の胸に忠実に、故郷で両親と共に生きれば良かったのではなかったか。あるいは、確固たる哲学を持ち合わせたコーチが傍にいれば、悲劇は起き得なかったと私は思う。己のために走り続けてほしかった。

『ニューヨーク・タイムズ』は、バルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルを手にした有森裕子氏の言葉で記事を締め括っている。

「サポーターたちは、アスリートがいかにハードなトレーニングを積んだかを知っていると私は思います」「だから、選手は謝る必要などないのです」

言い得て妙だ。五輪に懸け、自分にしかできないことをやってのけたのだから、誰に気兼ねすることもなく胸を張ればいい。

感動的なシーンも多かった東京五輪だが、日本の因習も見ざるを得ない大会だった。

  • 執筆林壮一

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