「脳梗塞から奇跡の復活」尼子騒兵衛がいま病と生について思うこと | FRIDAYデジタル

「脳梗塞から奇跡の復活」尼子騒兵衛がいま病と生について思うこと

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これまで描いてきた漫画に囲まれ、「最初のほうの絵はうまくないから、何だか恥ずかしい」(尼子氏)

「描き始めた頃は『落第忍者乱太郎』が単行本になることはもちろん、アニメや映画になることも夢のまた夢でした。会社員と二足のわらじの時期が8年あって、会社の仕事で失敗して落ち込んだ時は、乱太郎などが『いつか私に親孝行してくれるのでは』と漠然とした希望を抱きながら描いていましたが、本当に今、彼らに親孝行してもらっています」

そう語るのは、漫画家の尼子騒兵衛(あまこそうべえ)氏。7月17日から地元、兵庫県尼崎市内で始まった「尼子騒兵衛展」は、同氏自身に着目した初めての展覧会だ。

脳梗塞に倒れた後に書いた65巻の表紙。テーマを「卒業式」にして、最終巻にちなんで桜の花びらが舞った(撮影:菊地弘一)

『落第忍者乱太郎』は’86年から33年間、朝日小学生新聞に連載された室町・戦国時代を舞台とする歴史ギャグ漫画。「忍術学園」に入学した忍者のたまごたちのドタバタを描き、’93年からNHKがこれをもとに『忍たま乱太郎』としてアニメ化。現在まで続く、同局最長のアニメ番組だ。

「コロナ禍で皆さん大変でしょうが、細菌と人類の戦争がいつ始まったかご存知ですか? 最近です(笑)」

得意のギャグを披露した尼子氏は左手で杖をついている。’19年1月、脳梗塞で倒れ、今でも右半身に麻痺(まひ)が残り、しばらくは両手で鼻もかめなかった。

「倒れた直後は右半身がほとんど動かなかった。40年近く、床に座って仕事をして、眠くなったらタオルケットを1枚かぶって寝て、起きたら再び描く生活でしたので、そのツケが回ったのかな……。入院先で付き添ってくれた姉に『もう人生、終わった』ともらしたそうです」

倒れた2ヵ月後から専門施設でリハビリを開始。思うように動かない手を動かして季節感のある絵を12枚描き、カレンダーを作るという過酷なものだった。

「本当にしんどかったんですが、私が描いたヘロヘロの線を作業療法士の方がトレースしてきれいな絵になるのが楽しくて……。『絵を描くことが好きだ』と再認識しました。七夕には、短冊に無意識に『現役復帰』と書いていました」

病に倒れる2ヵ月前の’18年10月に単行本の64巻が出版され、65巻の告知もしていた。掲載する漫画はあったが、表紙カバーが手つかずの状態。編集担当の熱意に押されて描き始め、倒れてから10ヵ月後、最終巻となる65巻が出された。

「『この絵でいいんだろうか』ともどかしい思いを抱きながらも、雲形定規の力も借りながら何とか線を書き、着色はアシスタントさんにお願いしました。終わった瞬間は心が軽くなりました」

33年も続いた人気の裏に、尼子氏のポリシーがある。「嘘を教えない」「人の失敗をなじらない」。切腹するシーンを作画するために巻物を買うなど、時代考証は徹底している。

「私自身、小学生の時に背が低くて『チビ』と言われたことがすごくイヤでした。漫画に登場するしんべヱも食いしん坊で太っていますが『デブ』とは書いていません。乱太郎たちに何か問題が起きても『お前のせいだ』ではなく、『じゃあ、こうしようよ』とみんなで考える。誰かが困ったら助け合うことは当然ですよ」

自らが生死の境に立つ経験をして、改めて思うことがある。

「私たちは、何かいいことが用意されているから生きているのではないか、と感じています。リハビリ施設で同じ病の方が30年間かけて歩けるようになった話を聞き、励みにしています。昨年4月からは月1回、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』などの古典の面白さを伝える連載が朝日小学生新聞で始まりましたが、描いていて楽しいです」

体が思うように動かなくても「歴史の楽しさを伝えたい」という尼子氏の生きがいが、新たな希望をもたらすだろう。  

右手の指先に力が入らないので、動きを補助するため、左手の雲形定規を駆使して下絵を書く
尼子氏が指すのは「切腹シーン」を作画するために、購入した巻物。徹底した時代考証を繰り返した
仕事場とする事務所はまるで「忍者屋敷」。あちらこちらにカラクリが仕掛けてあるという

『FRIDAY』2021年8月20・27日号より

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