「戦利品だった日の丸を還したい」元米兵の強い願い | FRIDAYデジタル

「戦利品だった日の丸を還したい」元米兵の強い願い

戦地に散った日本兵の遺品を「戦利品」として持ち帰った米兵が今、返還を願っている

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全米から届く日の丸。その1枚1枚に、家族らの思いが込められている。戦後76年、この日の丸を返還する活動をしている人がいた

戦後76年。戦時にアメリカ人の手に渡った「日の丸」を、日本に返還している人たちがいる。

第二次世界大戦のとき、日本兵は、家族らの寄せ書きが入った日の丸の旗を持って戦地に向かった。旗には、出征する兵士の名前とともに「武運長久」ー戦闘での幸運の願いや、無事を祈る家族、友人の名前が書きこまれていた。

兵士は、折りたたんだ旗を胸ポケットに入れお守りにして、激烈な戦地に赴いたという。旗には「思い」がこめられていた。

一方で欧米の兵士たちには、自分たちが倒した兵士から「記念品」を持ち帰る慣習があった。日本刀、手紙、日記…なかでも「寄せ書き日の丸は、戦利品として人気のアイテムだった」という。

「故郷から遠く離れたジャングルで、ひとり死ななければならなかった少年兵は、どんなに寂しかっただろう。彼の魂はきっと家族の元へ帰りたいと思っているはずです。旗を遺族に渡すことは、日本人とアメリカ人の夫婦である私たちの仕事だと確信しました」(レックス・ジークさん)

アメリカ兵が戦地から持ち帰った寄せ書き日の丸は、家族の元に帰れなかった日本兵の「証拠」でもある。これを遺族に返還しようと活動しているのが、OBONソサエティだ。レックス・ジークさん(67)と、妻の敬子・ジークさん(53)が立ち上げた。ふたりは2009年に知り合い、結婚した。敬子さんは言う。

「私の祖父は、ビルマ(ミャンマー)で戦死しました。祖父の日の丸は、カナダの収集家の手に渡っていたようです。その収集家は『旗を遺族に返したい』と遺言して亡くなり、その息子が東京のホテル従業員に旗を託しました。託されたホテルの方が、およそ1年かけて持ち主である私たちを探してくれたんです。

激戦地の、どこで、どう亡くなったのか手がかりもないなかの遺品です。うれしかった。『お父さんの魂が、家族に会いたいという強い思いで、長い長い年月をかけて、やっと家に帰ってきはったわ』と母は泣きました。この話をレックスにしたんです」

当時、戦後62年。奇跡のような話だ。

「この話に感銘を受けたレックスは『もっとこの奇跡を起こさなければ』と。猛烈に寄せ書き日の丸について調べ始めました」(敬子さん)

組織運営の経験も、資金も、スタッフも、コネクションもなかった。だがふたりは、ともかく活動を始めた。海外に渡った寄せ書き日の丸は、ネットオークションなどに出品されていることがある。レックスは、ある出品に目を留めた。

「出品者は長い説明文に、こう書いていました。『私はこれを売りたくはない。家族の元に返したいんだ』。けれども、彼は日の丸をどうやって返還したらいいのかわからず、出品することで情報を公開することにしたんです。自分と同じ気持ちの人がいる!と思いました」(レックスさん)

最初の返還は「偶然の出会い」から

出品者に連絡をとって、日の丸を預かった。こうして少しずつ旗を手に入れたが、返還するのはとても難しかったという。流れが変わったのは2012年だ。観光で京都のお寺に行ったとき、真珠湾での慰霊式典に参加したという僧侶と知り合った。帰国後もやりとりをするうち、レックスさんの手元にあった日の丸の1枚が、この僧侶とともに修行をしていた人のものだとわかった。

「持ち主だった人の住所がわかったので、そこから親族に連絡をして旗を返還することができました。ご遺族は、この旗の持ち主の遺影を持ってはいましたが、戦時のことは詳しく知らなかった。とても驚かれていました。ご縁がつながり奇跡へと導かれていったのです。これが記念すべき返還の1枚目。活動を始めて4年目のことでした」(レックスさん)

これを機に少しずつ体制が整い、共感するボランティアが増え、返還が実現していった。2014年には7枚の旗を、遺族の元に還すことができたという。

返還された旗を手にした日本の遺族たち。OBONソサエティの活動が広まるにつれ、メディアからも注目されるようになっていった

全米の元軍人から「日の丸」が届くようになった

活動がメディアで紹介されると、返還を希望する問い合わせが一気に増えた。電話も毎日かかってくる。メールが来れば、なるべく早く返事をすることにした。

「旗を返したいという情熱がある人に、とにかく応えなければと思いました」

とレックスさんは言う。

「日の丸はミリタリーグッズなのではなく、個人のお守りなのだ」と説明すると、多くの場合、「これは私が持つべきではない。遺族に返すべきだ」と言ってくれた。

活動はどんどん忙しくなっていった。レックスさんは『Down and Up the Columbia River』などの著書がある歴史家だ。その講演などの小さな収入で食いつなぎ、外食も旅行も控え、木を切り野菜を育てる自給自足の生活をしながら、返還の活動をしていたという。この活動からは、まったく収入を得ていなかった。そしてとうとう2018年に貯金が底をついてしまう。

「私たちは限界で、日本の遺族会の方に『もう活動を続けられない』と報告したのです。そうしたら、遺族会の方が、日本の厚生労働省から活動費の一部援助を取り付けてれました。YouTubeも始め、活動費を賄うことができました」(レックスさん)

日本の遺族会の尽力で活動に政府の支援が。左が敬子さん、その隣がレックスさん

公開されている動画シリーズ『秘話』では、旗を返還した人たちの思いが語られる。

「日本語の文字は読めないけれど、この旗からは何か特別なものを感じる」

「私の父は戦争から帰ってくることができました。でもこの人は違う。この人にも家族がいるはずです。その方たちの思いを考えると、たまりません」

「遺族が見つかったと連絡をもらったとき、私は『やった!』と叫んで、家族にその喜びを伝えました」

敵国だった日本兵やその家族を思い、時には涙する返還者たち。これらの動画からは、優しさが溢れている。こんなふうに思いやれる人間同士が、なぜ敵対し合ったのだろう。戦争がいかに浅はかなことか、胸がつぶれる思いだ。

戦争の非道に、アメリカ兵も苦しんでいた

「旗を返還するまで、私たちは『日本人遺族が苦しんでいる』と思っていました。でも実際に活動して気づいたのは、アメリカ人家族も同じように苦しんでいるということ。父の、祖父のしたことが信じられないという人もいます。旗を遺族に返したいけれども方法がわからず、何十年も悩んでいた人もいました」(敬子さん)

「父親が持ち帰った旗を返還した人は、自分自身がベトナム戦争に行っていました。

戦場で彼が倒したベトナム兵から『戦利品』を探ると、ポケットに入った財布から写真が出てきたそうです。椅子に座って赤ちゃんを抱いている美しい女性、隣に立っているのは今、自分が倒した相手。『自分もこれとまったく同じ構図の写真を撮っていた。死んだベトナム人は、自分かもしれなかった』と恐ろしくなり、財布を捨てて走り去ったそうです。

それから何年経っても、そのベトナム兵の霊が現れるのだと、電話口で彼は号泣していました。彼の父は日の丸を誇りに思っていたけれど、もう亡くなったそうです。彼にとってこの日の丸は他人事ではない。日の丸を遺族へ返すことは、彼の贖罪でもあったのでしょう」(レックスさん)

2015年、戦後70周年に退役軍人らを東京に招き、日の丸の説明をする敬子さん。彼らの多くは「軍の旗だと思っていた」という。ひとつずつ、寄せ書きの日の丸の説明をすることで確実に理解が広がっている

今や、寄せ書き日の丸はアメリカ国内だけでなく、イギリスやオーストラリアなど世界各国から送られてくる。多くの人の手を借り、最近では年間120枚ほどの旗を返還できている。

「寄せ書き日の丸は、出征する家族の無事を祈る『お守り』として作られました。次に戦地でアメリカ兵の『戦利品』になり、アメリカに渡ります。そして今、遺族へ返還されることで、日米を繋ぐ『絆』になっています」(敬子さん)

OBONソサエティでは、支援者を募っている。月に5ドルの支援が1333人集まると、フルタイムのアシスタントを1人雇うことができるという。全米には、推定で3万枚、ふたりの元に、2000枚ほどの日の丸がある。これを1枚づつ、持ち主の家族に還していくことが、ふたりの使命だ。戦後76年、持ち主だった日本兵のことを知る家族も、だんだん少なくなっている。敬子さんは言う。

「戦争のことを忘れない。日の丸返還を通して過去に想いを馳せ、学ぶことで、よりよい未来が作れると信じています」

(OBONソサエティ https://obonsociety.org/jpn/)

半世紀以上の時を経て「帰国」した日の丸。出征兵が大切に身につけていた日の丸は遺族にとってひとつの「証」だ
オレゴン州で開催された巡回展示では、寄せ書きの日の丸について説明した。実物を前に説明すると、多くのひとが理解を示すという
真珠湾を攻撃した「ヒーロー」元米兵のエド・ヨハンも東京を訪れ、靖国神社の遊就館で若い日本兵の写真に見入った。「日本兵はただの若者なんだ、私たちと同じように」と言う
預かった大量の日の丸「これを還していくことが私たちの使命」と話すレックス夫妻
  • 取材・文和久井香菜子

    ライター。戦争の記憶を取材している。茶道裏千家前家元の千玄室氏、日本ボクシング連盟元会長の山根明氏など、18人の戦争体験を聞いた『わたしたちもみんな子どもだった~戦争が日常だった私たちの体験記』(ハガツサブックス)が発売中

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