松阪牛ビーフサンドでブレイクした経営者がモデルに転身する理由 | FRIDAYデジタル

松阪牛ビーフサンドでブレイクした経営者がモデルに転身する理由

飲食業界は未曽有の危機。敏腕経営者・巽益章氏を新天地へ向かわせたものとは…

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経営者からモデルに転身するTATSUMIこと、巽益章氏(撮影:加藤慶)

JR新大阪駅。新幹線の改札を抜けると、そこにはコロナ前は、駅売店の売上が月平均2000万円という圧倒的な数字を持つ『中之島ビーフサンド』なる名物があるのをご存じか。 松阪牛100%で作った贅沢すぎる逸品は、「松阪牛焼肉M」など大阪市内に十数店舗の飲食店を運営する株式会社ライトハウスが手掛けている。

還暦を前に「自分が必要とされるもの何やろか」と考えてみた

ここの経営者である巽益章さんは、元々ファッション業界のマーケティングとブランディングが専門。そこから突然未経験の飲食業に何のノウハウも持たないまま飛び込み、そのうえ、狂牛病や偽装問題で騒がしい2004年に焼肉店を始めるという業界の異端児。しかもこの焼肉店、最高級ブランドの松阪牛のコースが3800円で食べられる異端児ならではのお店だ。

そして、今のようにインバウンドという言葉が当たり前になる前から訪日外国人に目を向け、2014年には世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」で、日本で一番行きたいお店に選ばれている。「松阪牛を世界一のブランドにする」という巽さんのブランディング構想は大成功だ。

しかし、その立志伝がナニワの街を席巻したのも今は昔。世はコロナ禍による飲食業界未曾有の危機。巽さんが経営するライトハウスも、業態転換や新規出店で奮闘中だ。そんななか、還暦を前にした巽さんが心機一転、新たな展開をはじめると聞いた。

「実はですね。このたび、ファッションモデルとしてデビューすることになりました」

ダンディな微笑みと共に差し出された新しい名刺には“モデルTATSUMI”と書いてある。「これからは異端児ではなく異端爺です」。そんなことを言って、にやりと笑う。一体、どういうことなのか。コロナ禍で何かが弾けてしまったのではないか。そんな心配をよそに巽さんは訥々と語りはじめる。

「アホなこと言ってるなと思うかもしれんですけどね。世間はコロナが蔓延して、僕は来年には還暦を迎えます。そんな今の世の中に、“もう一度自分が必要とされるもの何やろか”と考えたんですよ。男って55歳を超えてくると、世間から『もういらない』と邪魔者扱いされてしまうんです。そういう年代に入ったら、自分で自分の価値を上げていくしかないんです。

幸いなことに、僕が今までやってきた仕事はブランディングです。 “セルフブランディング”で自分を商品化して、その価値をどうやって上げていけるかを、世の中の同年代の人たちに見せていきたいんです」

さすが自らを“異端爺”と語る巽さんである。発想の独創性もすごいが、飛び込んでしまうパワーもすごい。“ブランディングのプロ”を自負するように、キャリアのスタートから一貫してブランドの価値を高める仕事をしてきた巽さんは、元々はファッション業界で、デザイナー育成や、ファッションショーの裏方仕事などに従事。その後、プロサーファーらのマネジメントなどを経ると、今度はそれまでのキャリアを一切捨てて、狂牛病で飲食界が大打撃を受けている渦中の飲食業界、それもど真ん中の焼肉店を開店。“松阪牛”というブランドに特化し牛1頭を丸々使ったやり方で、2010年に「中之島ビーフサンド」を開発するなど成功を収めてきた。なかなかの異端爺ぶりだ。

「焼肉店をはじめてから17年ですが、いまだに肉の部位を言われてもよくわからないんです(笑)。僕は『松阪牛』というブランドだけにこだわってきたように、目の前にあるブランドを、どうパッケージして、どういう商品にしたら多くの人が興味を持ってくれるかを考えてきた。その中でもこれからやろうとしている、自分自身の価値を高めるセルフブランディングが一番難しい。20代、30代の時にやれと言われても飛び抜けた才能がない限り、簡単にはできませんよ。

でも自分の価値や見せ方は、いろんな経験を積んできたことによって蓄えられる。今の僕ならばできると思っているんです。そんな時にたまたま『50代モデルの人材が少ない』と現事務所の方に声を掛けていただいた縁もあり、今年の5月からモデル活動を始めました」

経営者としてオフィスで働いていたときの巽氏(提供:VANILLA)

決断の背後にあった娘の「突然死」

会社は代表取締役を退いたものの、現在も取締役ファウンダーとして引き続き経営にかかわっている状態だ。この飲食業界未曾有の危機における創業者の青天の霹靂が過ぎるモデル転身。周りの人たちはなんと言っているのだろうか。

「社員はね、『ああ、またか』と笑ってますよ。『そんなことやると会社潰れます』って言われることをやり続けてきました。うちの接客はお客さんがお店にいる間だけやない。大阪におる間はずっと。他の店でも病院でも探してあげる“大阪のコンシュルジュ”をやってきた。それで2014年にトリップアドバイザーで1位になって、19年にはアジア5位にもなった。つまり、ほぼ100%インバウンドの客層です。

だから今回のコロナは、とんでもない大打撃ですよ。それでもこれまでの蓄えがあるので、こんな状況の中でも新しいことができなんとか凌げているんです。そして経営をしっかりと後継者に託すことができたから、こんなことも言えるんですね。

僕には絶対に揺るがない判断基準があるんです。それは母親であり、母が亡くなってからは娘でした。どんなにお金を儲けたって嬉しくない。経営者としての判断も、株式上場の準備をしていたのも、必要とされ、誇りに思える父親でありたい。そうあり続けることが、僕の人生で最も大きな指針だったからです」

巽さんにとって世界唯一つの判断基準であり、承認欲求の対象であったという娘さんは、4年前の2017年7月に30歳の若さで突然亡くなってしまう。失意のどん底へ叩き落された巽さんは、苦労して作り上げた会社から退いて引退をも考えるほど立ち上がれない日々を過ごしていた。

「今でも振り返ると、止まってしまうんですけどね。もうこれを言い訳にして世の中からフェードアウトしてもいいかなって。だけど、今でも娘に認められたいんですよね。娘からは常々『人に夢や希望を与える仕事をしてほしい』と言われていてね。『世の中に存在するなら前に進まなきゃ』と亡くなった今でも背中を押してくれる世の中には、同じような不幸を背負って生きている人がたくさんいて、それを乗り越えて生きていこうとしている。

僕もね、生かされている限りは前に進まなければとね。娘の代わりに、っていう気持ちもあります。それが今のすべてです。まぁ、『モデルをやる』と知ったら『パパらしいなぁ』と笑うとは思うんですけどね」

“もしかしたら自分という存在は世間に必要とされていないんじゃないのか”

巽さんも、そんな考えが過る事があるという。自分自身のモノの捉え方が20代、30代とはズレていると感じる時。気がつけば世間の目線で物事が見られなくなっていた時。そして、自分の持っている常識が古くなってしまったと感じる時。この数年で世の中のスタンダードは大きく変わりつつある。それでも諦めるなとメッセージを送りたいと巽さんは言う。

「このコロナ禍になって、気づいたことがあるんです。今、特に我々飲食業界はここまで制限をかけられられて、これまでちゃんとルールを守ってきてるのに、なんなんだよ、という気持ちもあるし、この情勢で落ち込んでいる人もたくさんいると思います。でも、くさっていても、落ち込んでいても、周りのせいにしても仕方がない。

世の中で必要とされるとか、家族の中で必要とされる自分を作るのは、ちょっと頑張ればできるんじゃないか、と。自分自身が諦めてしまわないこと。特別な人間だけができる訳じゃない。僕みたいなそこそこの人間が、そこそこをやめてお金の力でも、過去のキャリアでもなく、『モデルです!』と60手前で言ってしまう勇気。それをみんな持って、と言いたいんです。各業界に異端爺はいてます。アホな挑戦でも今立ち上がって、アラ還パワーで新しい常識を作っていける世の中になればおもろいじゃないですか」

世の中はいよいよ世知辛く、それでも生きていくのであれば前を向け。
コロナに負けず、逆境に立ち向かうべく。異端爺、アラ還にして立つ。

撮影:加藤慶
撮影:加藤慶

 

  • 取材・文村瀬秀信撮影加藤慶

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