名門・横浜高校を復活させた「36歳監督の手腕」 | FRIDAYデジタル

名門・横浜高校を復活させた「36歳監督の手腕」

劇的勝利で甲子園初戦突破! 不祥事で低迷した母校を「もう一度松坂の時代へ導く」

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劇的! サヨナラスリーラン

ヒーローは言う。

「打った瞬間、頭が真っ白になりました。人生で一番いい当たりでした」

8月11日、広島新庄と横浜の一戦は、2対0とリードされた9回裏、横浜が一、三塁のチャンスを迎えるがすでに2死。打席には、1年生ながらショートを守る緒方漣が入った。

アウトになれば3年生の高校野球が終わってしまう。「やるしかない……」とワンボールからの2球目ストレートを振り抜くと、打球はレフトポール際に伸びる。「入ってくれ……」という緒方のつぶやきが届いたのか、白球が左翼席ではねた。あまりにもドラマチックな、逆転サヨナラ3ラン——。なんでも、1年生のサヨナラ弾は大会史上初だという。

横浜復活の狼煙を上げるサヨナラ本塁打を放つ緒方

「1年生からショートで一番。プレッシャーもあると思いますが、ひたむきに練習に取り組み、動じないところを評価しています。明るく元気よく、上級生にも声をかける人間力があり、やってくれるのではないかと思いました」

甲子園初采配だった横浜・村田浩明監督は、1年生の快挙を淡々と振り返った。

松坂の頃とは変わってしまった名門

横浜の夏の甲子園は3年ぶりだ。神奈川大会では、センバツ優勝の東海大相模と準決勝で対戦する可能性が高かったが、相模にコロナ陽性者が出て、準々決勝を辞退することになった。

横浜と相模。神奈川の両横綱だ。大会前まで、横浜が甲子園通算58勝29敗、春3回夏2回の優勝なら、相模は47勝17敗、やはり春3回夏2回の優勝がある。だが近年は、相模が11年センバツ、15年夏、そして今春と優勝しているのに対し、横浜の優勝は06年センバツまでさかのぼる。16〜18年夏、19年のセンバツと甲子園には出場するものの、ここ5年で3回戦進出が最高成績。加えて昨秋は相模に、今春は桐光学園にいずれもコールドで敗れた。つまり近年は、相模の圧倒的リードと言っていい。

藤平尚真(現楽天)、増田珠(現ソフトバンク)、万波中正(現日本ハム)、及川雅貴(現阪神)ら、逸材はいたのだ。だが、1998年夏、松坂大輔(現西武)がエースで春夏連覇したときのような緻密さや粘りがなく、大味な試合が目立っていた。そこへ、19年秋には暴力事件が発覚し、前監督らが解任。このままでは、強豪の看板が色あせかねない——。

そこで、渡辺元智・元監督が「お前しかいない」と再建を託したのが、2020年春に就任した村田監督だった。

選手に指示を出す村田監督(写真中央)

再建を託された男の「人間力」

村田監督は横浜のOBだ。渡辺監督のもと、2年だった03年センバツでは、捕手として準優勝を経験。1学年上の成瀬善久(元ロッテほか)、同学年の涌井秀章(現楽天)が投の二枚看板だった。04年には、福田永将(現中日)の入学で控えに甘んじたが、脳梗塞で入院した渡辺監督不在のチームを、主将としてうまく統率し、夏の甲子園に導く。チームメイトが「村田がキャプテンでなければ、バラバラになっていた」と言う人間力を渡辺監督は高く評価し、「指導者になれ」と道を示したという。

その言葉とおり、日体大卒業後はまず県立霧が丘で野球部長を務め、13年に白山に異動すると、部長を経て秋から監督に。「打撃練習が終わったら帰りたがるような生徒たち」を徐々に鍛え上げ、18年夏には北神奈川大会でベスト8まで進出した。「県立で甲子園へ」という夢にちょっと近づいたその矢先。母校の不祥事が起きた。

「もう一度、夢と希望と感動を与えるチームに」

神奈川・川崎市での小学生時代。村田監督は全日本学童軟式野球で神奈川の決勝まで進出しながら敗退した。翌日の新聞に掲載された結果を見て悔しさがこみ上げたが、なにげなく下の記事に目をやると、横浜・渡辺監督のことが書かれている。村田少年は、その記事がやけに印象に残った。1986年生まれ。小学校6年といえば98年で、その年、横浜は春夏連覇を達成する。少年は、憧れとともにこう思った。「自分も横浜高校で野球をしたい——」

そのチームで育ち、渡辺監督と出会い、指導者になったから、母校愛は強い。その母校が不祥事にあえいでいる。「再建にはお前しかいない」という恩師の言葉に、村田監督は「奇跡的に、20倍という高い倍率の採用試験をパスして」得た県立校の教諭という立場を捨てる覚悟を決めたのだ。

ただ、20年に監督として母校に戻ると、すっかり様変わりしていることに愕然とした。むろん、時代とともに変わるのは当然だが、自分を育ててくれた横浜野球の規律や緻密さなど、いい部分までもが薄れてしまっている。「だからいまは鍛えに鍛えて、組織をしっかり確立できるようにしているところです。あの1998年夏、小山(良男・元中日)さんが開会式で宣誓したように、夢と希望と感動を与えられるチームをもう一度つくりたい」と村田監督は言う。

歴史は繰り返す

それが、夏の大会前のこと。練習を見ていると、小雨の中のシートバッティングで課題が見つかるたび、全選手を集めてくどいほどに理解を共有しようとする姿が印象的だった。村田監督は言う。

「歴史は繰り返すと言います。私の人生を変えてくれた渡辺監督は、原貢監督(原辰徳・巨人監督の父)にずっとはね返され、横浜が強い時代は、相模の門馬敬治監督が横浜を追いかけました。門馬監督は勇退されますが、今度は私が相模を追う番なんです」

強い横浜復活に、チームを勢いづける劇的な勝利。思えば98年夏は、6点差を終盤でひっくり返す準決勝(明徳義塾戦)のサヨナラ勝ちから頂点に立ったのだ。「コロナ禍で出場辞退した東海大相模の分まで、しっかり戦いたい」とは中軸を打つ金井慎之介。ちょっと気は早いが、もし横浜が優勝すれば、史上初めて同一県の別チームによる春夏連覇ということになる。

母校愛あふれる村田監督
  • 取材・文楊順行写真小池義弘

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