大谷、松坂、松井…野球スター「初々しすぎる学生時代」秘蔵写真! | FRIDAYデジタル

大谷、松坂、松井…野球スター「初々しすぎる学生時代」秘蔵写真!

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藤浪晋太郎と大谷翔平の「オーバー190cm2ショット」。12年8月撮影

「大谷の原点は花巻東高(岩手県)3年にあります。あの時、飛躍的に成長したからこそ、メジャーで活躍できる今がある。このまま進化し続け、野球の常識をどんどんくつがえしてほしい」

こう語るのは、エンゼルス・大谷翔平(27)の高校時代の知人だ。

「大谷は高校2年の夏に、左股関節を痛めたんです。それから翌年の春まで、まったく投球練習をしていません。ひたすら体力増強に努めていました。朝はどんぶり飯3杯、夜は7杯は食べていたかな。おかげで細かった身体は85kgまで増量。140kmそこそこだった球速は、150km以上出るようになったんです。

下半身が安定したため、制球力も各段にアップ。打撃練習では、『パキーン!』とエゲつない音を出して柵越えを連発するようになりました」(同前)

ライバル心も強かったようだ。特に同級生の大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎(現・阪神)は、強く意識していたという。別の知人が話す。

「普段はおっとりしているんですが、マウンドに上がると目の色が変わるんです。同じ長身の藤浪とは、高校日本代表のメンバーでしたが良きライバルでした。当時から『メジャーに行きたい』と言っていましたね。有言実行で大活躍する友人を、誇りに思います」

打ってはメジャートップの39本塁打、投げては7勝をマーク(8月20日現在)。いまや大谷は、メジャーを代表する選手だ。そんな大谷にも「二刀流」の原点とも言える高校時代があった。大谷だけではない。清原和博(53)、松坂大輔(40)、ダルビッシュ有(35)、松井秀喜(47)……。レジェンドたちも、無名の球児から誰もが知る大選手に成長している。現在、連日激闘が繰り広げられる甲子園。スターたちの初々しい高校時代を、秘蔵写真で振り返りたい。

負けて一人夜まで打撃練習

右から桑田真澄、清原、中軸を任された笹岡伸好。PL学園の黄金時代を築いた3人だ

高校通算64本塁打、甲子園通算13本塁打、3年夏の大会で当時の新記録となる5本塁打ーー。

PL学園(大阪府)の清原少年は、数々の記録を打ち立てた。3年夏の大会で高知商の中山裕章からはなったホームランは推定飛距離140mを超え、自身が「野球人生で最も記憶に残る1発」と話している。桑田真澄との「KKコンビ」は当時の流行語に。豪快なエピソードが多い清原だが、野球に対する姿勢はいたってマジメだった。

「3年春のセンバツ準決勝では、伊野商(高知県)の渡辺智男に3三振に抑えられチームも1対3で敗れたんです。高校3年間で、唯一決勝に進むことができなかった大会でした。清原は試合後、ベンチでずっと泣いていましたね。

よっぽど悔しかったのでしょう。その日の夜、中村順司監督(当時)が誰もいないはずの室内練習場に明かりがついているのを見つけて中をのぞいてみると、上半身裸の清原が大量の汗を流しながら黙々とバッティング練習をしていたそうです。どんなにトレーニングがキツくても、弱音を吐いたと聞いたことがありません」(元スポーツ紙担当記者)

「体調を崩したらどうする!」

夏の大会前に横浜高の合宿所でくつろぐ松坂大輔。怪物は「打たれる気がしない」と豪語した通りの快投を見せて春夏連覇を達成した

今季限りでの現役引退を表明している西武の松坂も、記憶に残る球児だった。150kmの豪速球を連発し、ついたあだ名は「平成の怪物」。高校3年夏の大会では、決勝戦(京都成章戦)でノーヒットノーランを達成するなど、ファンの度肝を抜く投球をたびたび見せた。一方で、のんびり屋の一面も。松坂が在籍した当時の横浜高校・渡辺元智監督は、19年8月に『FRIDAYデジタル』のインタビューで次のように話している。

「80年代までは鉄拳制裁も厭いませんでしたが、90年代になると一人ひとりに合わせた指導法を心がけていました。例えば松坂は当時から『メジャーに行きたい』と話し、野球に対する意識が高かった。ただ慢心するクセがあったんです。そこでキツく接しましたね。3年夏の甲子園で、松坂がバケツに入ったアイシング用の氷を口に入れたことがあります。私は『飲料用の氷とは衛生状態が違うんだ。体調を崩したらどうする!』と怒鳴りました。常に気を引き締めていてほしかったんです。松坂も、よく耐えてくれました」

「頭2つ、いや3つデカかった」

中学3年にして同級生より頭3つも大きなダルビッシュ有。夏のボーイズリーグ世界大会で2完投勝利をあげメジャーのスカウトに注目された

「中学時代は大阪の全羽曳野ボーイズに所属していましたが、頭2つ、いや3つデカかったですね。エースとしてチームを世界大会3位にするなど、当時から投げるボールはエゲつなかったです」

こう語るのは、パドレスに所属するダルビッシュの少年時代を知る野球関係者だ。高校は「寮があり親元から離れられる」「上下関係が厳しくない」という条件から、東北高(宮城県)を選ぶ。

「1年生の秋から、エースとして背番号『1』をつけていました。当時から140km台後半の速球を連発するんです。地方大会では敵ナシでした。高校3年夏の大会では、1回戦から2試合連続で完封。3回戦の千葉経済大学附属戦でも、8回まで無失点の快投です(9回に同大会初失点し延長の末敗戦)。高校時代は67試合に登板し、奪三振375、防御率1.10。特に夏の甲子園では8試合で完封3、防御率0.87という、とんでもない成績を残しています」(スポーツ紙担当記者)

まだ、あどけなさの残るレジェンドたちの高校時代。時にチームメイトや監督に支えられながら、着実に結果を残してきた。「あの夏」の経験が、スターたちの「今」を作り上げているのだ。

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06年の夏、駒大苫小牧と死闘を演じた早稲田実業の選手たち。右端がエースの斎藤佑樹(現・日本ハム)。提供写真
06年夏、早稲田実業と死闘を演じた駒大苫小牧の選手たち。右端がエースの田中将大(現・楽天)。提供写真
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PL学園のエースだった前田健太(現・ツインズ)
花巻東高時代の大谷翔平は初々しい丸刈り
  • 撮影朝井 豊 菊地弘一 霜越春樹 眞野公一

Photo Gallary11

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