モテ過ぎて高齢者施設を出たジェリー藤尾さん「元妻と和解」の最期
芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”
《芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”》
芸能界では「右に出る者はいない」まで言われたほど喧嘩に強く、暴力団組員に寝込みを襲われるなどケガも絶えなかったあの歌手・ジェリー藤尾さんが、急性心不全で亡くなった。81歳だった。
「悲しきインディアン」でデビュー。「遠くへ行きたい」は、ジェリーさんのヒット曲だ。
‘70年から続くテレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)の主題歌になっていが、番組ではジェリーさんが歌ったものは一度もテーマ曲になっていない。でも、この曲を最初にNHKの音楽番組『夢で逢いましょう』で歌ったのは、ジェリーさんだ。
そんな彼が結婚したのは、‘64年のこと。同じ歌手仲間の渡辺友子さんだ。
大恋愛の末の結婚だった。ふたりのお嬢さんにも恵まれ幸せいっぱいの家庭を築いていたが、ドロ沼の離婚劇が繰り広げられることになる。
酒癖が悪くDVを働くことがあったジェリーさんと、不貞を働いたと言われた友子さん。本当の離婚原因は分からないが、当時のワイドショーや週刊誌はこぞって取り上げ大ニュースになった。ふたりのお嬢さんもメディアに参加させられ、母をなじったりもした。
この離婚問題の解決までには5年もかかった。財産分与の問題があったからだ。土地家屋の分与などの取り分の戦い。財産はもともと、友子さんの実家のものと言うこともあって和解することになったが、ふたりのお嬢さんの親権はジェリーさんへ。マスコミを巻き込み、決して2人が再び会うことは考えられないような暴露合戦だった。
細々とではあるが芸能活動を続けるジェリーさんは、千葉県内の高齢者施設に入ることになる。施設といっても医師や介護士が常駐するといったマンション。
食堂もあるが、外食も外出も自由な環境。テニスコートやレクレーションルームなども併設された、豪華な施設だった。
そこで、大きな「トラブル」が生まれた。女性に優しく、年配者なら誰でも知っている歌手だったこともあって、そのマンション内で超モテたらしい。
それで恋愛トラブルが生まれたのだ。仕方なくその施設を出た(出された?)ジェリーさんは、娘の自宅近くに住むことになる。
その姿を女性週刊誌に直撃されたこともあった。‘19年に放送されたドラマ『安らぎの時~道』(テレビ朝日系)への出演は、週刊誌記事の影響が大きかったのだろう。
そして、当時を知る記者たちの驚きは、晩年にジェリーさんと友子さんが仲直りしていたことだ。彼女に聞くと、
「ジェリーさんを引き取って暮らす娘(次女)から連絡があって『年内もたないかも』と言われたんです。3月だった。『会いたいな』と言ったら、彼も『会いたい』と言ってくれたというので、会いに行きました。
頭はしっかりしていて、記憶力も凄い。かってのトラブルの話はしませんでしたが、週に2回は会っていましたよ」
と明かしてくれた。憎しみあって別れて31年。
「娘たちにも苦労を掛けてしまいましたが、娘たちとは20年以上前からは親子の交際はありました」
と。憎しみを墓場まで持って行かない人生を見つけた二人。「娘のおかげであってほんとによかった」と友子さん。ジェリーさんの葬儀は、家族葬として20日に行われる。合掌。
文:石川敏男(芸能レポーター)
‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中
写真:共同通信