岸潤一郎「消えた天才」と呼ばれた男はいかにして復活したのか | FRIDAYデジタル

岸潤一郎「消えた天才」と呼ばれた男はいかにして復活したのか

高1夏から4度甲子園に出場した超名門・明徳義塾の元主将だが、大学3年で野球をやめて、一度は表舞台を去った

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一度潰(つい)えたチャンスが再び巡ってきたのは奇しくもチームがコロナ禍に見舞われ、離脱者が多く出た6月のことだった。

「ラッキーでした。開幕を一軍で迎えましたけど、結果が出ずにファームに落ちて、そこでも結果が出ていない時でしたから。期待はされていないやろと開き直ったのが良かったのかもしれないです」

プロ2年目の今季、公式戦中断時で25試合にスタメン出場を果たしていた西武の外野手、岸潤一郎(24)はタナボタのチャンスに必死で食らいついている。

プロ2年目の今年は走攻守揃った外野手として一軍レギュラーに定着しつつある。「消えた天才」と呼ばれたことについて、本人に聞くと、「消えたんだから、天才じゃないんですよ」と笑う

彼の中に宿るセンスが発揮されたのは6月1日の巨人との交流戦のことだ。先発に抜擢されると、第3打席で左翼スタンドに放り込んで見せた。プロ初安打を本塁打でマークする派手な活躍である。

「ホームランを狙うとか、そんな贅沢なこと考えていなかったんですけど、スタメンで使ってもらって、なんとかヒットを打ちたいと思って試合に臨んでいたなかでの1本でした」

そう語る岸はかつて「甲子園の申し子」と言われ、知る人ぞ知る高校野球界のスター選手だった。

岸の名が全国に轟いたのは2012年の夏。藤浪晋太郎(現阪神)擁する大阪桐蔭が春夏連覇を果たした時のことで、当時、1年生ながら明徳義塾(高知)の主軸を担っていたのが岸だった。

「本当に訳が分からないまま、あの位置にいたって感じです。先輩に連れていってもらった甲子園でした」

以後4度の甲子園出場を「エース・4番」として果たした。高校2年の夏には、現在のチームメイト、森友哉がいた大阪桐蔭に勝ってベスト8進出。翌年は春夏連続で甲子園出場。大会後にはU‐18日本代表に入り、国体では優勝を果たすなど順風満帆そのものだった。

「高校時代は充実していました。悔いはなかった。自分がエリートとは思わないけど、自分の野球人生がうまくいっていると、天狗になっていた時期はあった」

高校を卒業後はプロ志望届を出さずに拓殖大へ進学。ところが、大学での野球人生はそれまでと一変する。

大学1年時は投手・野手の両方で出場を果たす二刀流を実現したものの、故障が目立つようになり、2年生の秋、右肘の靭帯を損傷していることがわかった。

その結果、ダルビッシュ有や大谷翔平など多くの大投手も経験したトミー・ジョン手術を受けることとなった。

「高校時代はコンディショニングに意識を持っていなかったので、肘が張っている状態でも、みんなこうやろって思っていました。痛いのが普通と。お医者さんには靭帯は断裂までしていないから手術なしでも復帰可能と言われたんですけど、大学2年の頃は試合に出ていなかったんで、この期間を使ってちゃんと治そうと思って手術をしました」

しかし、手術は成功したものの、岸はこの後、3年生秋に野球部をやめて大学も中退した。「甲子園のスター」という周囲の期待する視線が嫌になり、すべてを投げ捨ててしまったのだ。

「地元の兵庫に帰りました。そこで、母親を通じて独立リーグの徳島インディゴソックスから声をかけてもらったんです。最初は乗り気ではなかったのですが、もう少し野球を続けてほしいという母親の希望と代表の南啓介社長の説得もあって入団することになりました。当時は野球教室のアルバイトをしており、子供たちと接するうちに、『自分は野球が嫌いになったわけやない』と気が付けたことも大きかったですね」

ここが人生の転機となった。

岸はしみじみと語る。

「独立リーグでは、1〜2年ぐらいやってみようというくらいの気持ちしかなかった。それが1年目に盗塁王のタイトルを獲得して、秋のフェニックスリーグでNPBと試合をしたのが大きかった。この試合ですごく打ったわけじゃないんですけど、自分の力が通用しないわけではないと思えた。そこで一気に火がついて死にもの狂いで練習するようになりましたね。必死さが身につきました」

もともと、野球センスに溢(あふ)れていた。4度の甲子園出場がそれを物語っているが、そんな岸が勘違いを起こし、怪我をして全てを失った。だが、それでも周囲に支えられ必死さを身につけたことで、’19年のドラフト会議で西武から8位に指名され、再び檜(ひのき)舞台に帰ってきた。

とはいえ、甲子園は球児に何をもたらすのだろうか。2年ぶりに「夏の甲子園」が開催されているが、岸の野球人生を振り返るとそんな想いにかられる。

「甲子園に出ることで注目される。いい面でも悪い面でも。それによって野球でも精神的にも成長できる。その時、全力でやったことというのは、後になってもずっと覚えていることだし、自分の中での糧になると思う」

単刀直入に甲子園の意義を問うと、岸はそう言葉を紡(つむ)いだ。

明徳義塾高時代は4番・エースとしてチームを牽引し、2年夏、3年春は甲子園でベスト8に入った
岸(左)は高3の時には岡本和真(右・巨人)、高橋光成(中央・現西武)とともにU-18日本代表に選出された
ドラフト1位でのプロ入りを目指して、恩師の明徳義塾・馬淵史郎監督の母校・拓殖大に進学したが……

『FRIDAY』2021年9月3日号より

 

  • 取材・文氏原英明

    スポーツジャーナリスト。2013年からフリーランスとして甲子園を18年連続で取材している。最新刊に『甲子園は通過点です』(新潮社)。YouTube チャンネル「野球を通じて人生を楽しくするチャンネル」

  • PHOTO時事通信(2枚目) 日刊スポーツ/AFLO(3枚目)

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