自身も芸人としてデビュー 息子が語っていた父・宮迫博之について | FRIDAYデジタル

自身も芸人としてデビュー 息子が語っていた父・宮迫博之について

宮迫がYouTubeを始めた昨年1月、本誌は一人息子の藤井陸に独占インタビュー。お笑いコンビ『フライドポテト』として活動を続ける藤井の現在についても詳報する

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インタビューに応じる『フライドポテト』の二人。左が宮迫の息子の藤井陸、右が同級生で相方の山口将
インタビューに応じる『フライドポテト』の二人。左が宮迫の息子の藤井陸、右が同級生で相方の山口将

『雨上がり決死隊』解散から3日後の8月20日夜、宮迫博之(51)がYouTubeチャンネルの休止を発表した。相方である蛍原徹(53)の気持ちを無視してYouTubeを始めた宮迫には、世間だけではなく芸人仲間からも疑問・批判の声が上がっている。

宮迫がYouTubeに初投稿したのは、’20年1月29日。本誌はその1週間ほど前に、実の息子である藤井陸(20)に独占インタビューしていた。当時大学1年生だった藤井は、アマチュアお笑いコンビ『フライドポテト』として活動中だった。息子の目に父・宮迫博之はどう映っていたのか。同級生で相方の山口将(21)とともに本誌編集部へやってきた藤井は、父についてこう語っていた。

藤井「お父さんからお笑いの活動を止められたり、逆にアドバイスをされたり、ということは一切ないですね。『宮迫の息子』として見られたくなかったので、名字も変えて活動しています」

山口「闇営業報道が出たときも、藤井はあまり動じてなかったよね?」

藤井「報道の前にお父さんから連絡があったのは覚えています。『載るから』と。それから、家族会議も開かれましたね。家族会議は『大変なことになった』という話をしていたと思うんですが、あまり聞かないようにしていました。僕はあまりお父さんがやったこととは思えなくて。どこかの人気芸人が悪いことをした、という感じ。息子からすると、家での父・宮迫とテレビで見る芸人・宮迫は別の人なんです。

お父さんは放任主義と言いますか、息子にはまったく干渉しない。たぶん、僕の大学も知らないと思います。一度だけ、お父さんが酔っぱらって帰ってきたときに、僕にお笑いのアドバイスをしようと話しかけてきたんですが、そのときも聞かずに逃げました」

山口:「僕からすると、あれだけ実績を残した人だから、素直に聞けることは聞いたらとも思うけど……」

藤井:「今までは『宮迫』の名前を出すとスネかじりと言われるので絶対に嫌だったけど、今もうかじるスネが一切残されていないので(笑)。フライデーに出ることは一応事前に父に連絡しましたが、それについても『ええんやない』って言ってました(笑)」

山口:「藤井の家で宮迫さんとも何度かお会いしたことがあります。そのときの印象は、いろいろ振る舞ってくれる良いお父さんという感じでした。作ってくれた料理がとにかく凄かった」

藤井:「作りたがりで、褒められたがりだから。誰かに『料理美味しいね』と言われたい人で。友達とかが来ると、絶対卵焼きとかを作ったりするんです」

山口:「実際上手ですけどね、ホントに。焼きそばとか卵焼きとか、ザ・男飯みたいな感じだけど美味しい」

藤井:「会話は多くないですが、家にいるときは本当に普通の息子とお父さんという感じです。YouTubeを始めることも、仕事のことは何も聞かないし、こちらにも聞いてこない。以前と変わったことといえば、お父さんが家にいる時間が増えたというだけですね(笑)」

山口:「普段はどんな会話を?」

藤井:「『水曜日のダウンタウン』観た? とか、ホントにそれくらいかな。基本はお父さんがご飯を作ってくれるので、そのときに一緒に録画したテレビを観るくらい。ご飯を食べるタイミングが被ったりすると、『水曜日のダウンタウン』や『イッテQ』の録画を観る。でも、そのときも特に喋ったりはしないです。落ち込んでいたとは思いますが、そんな素振りは一切見せなかった。たぶん僕にはそういった部分を見せないようにしていたんだと思います」

闇営業を報じた本誌記事を見る藤井。報道後には宮迫家で家族会議が開かれたという
闇営業を報じた本誌記事を見る藤井。報道後には宮迫家で家族会議が開かれたという

このインタビューから約半年後の’20年7月、『フライドポテト』の二人は芸能事務所に所属し、本格的に芸人としての活動を始めた。同年10月には『フライドポテト』初の単独ライブが目黒区のシティホールで開かれたが、会場はほぼ満席という盛況ぶりだった。

ライブの内容は独自の世界観のコントからオーソドックスなしゃべくり漫才まで幅広く、随所に映像ネタを入れ込むなど現代的な工夫も見られた。藤井がツッコミで、山口がボケ。ネタの多くは藤井が書いているという。『雨上がり決死隊』のネタはほとんど見たことがなく、憧れは『バナナマン』と『博多華丸・大吉』。いまでも芸名は宮迫陸ではなく、藤井陸を使用している。その理由について藤井は、本誌のインタビューにこう語っていた。

「昔から『宮迫』というネームバリューが勝手についちゃった状況で生活してきたので、そこに強い抵抗があって。高校時代から漫才をやっていたんですが、お父さんの名前が使われちゃうと、たぶんフラットな目線で漫才も見てもらえない。だから僕の意地みたいなもので、宮迫の名前は切り離したかったんです。大好きなお笑いに関しては、自分の力で進んでいきたかった」

コロナ禍でもライブやYouTubeなどで地道な活動を続けており、今後の最大の目標は『M-1』決勝進出。現在の藤井について、宮迫家をよく知る知人が語る。

「一人息子の陸君は、今後のお笑い活動が父親の名前でダメになることはあっても、好転することがないということを理解しています。だから実力をつけて、自分達の力で這い上がっていくしかない、と。それでも悲観しているわけではなく、前向きに『自分にはお笑いしかない』と言いきっている。力をつけるために実地での経験を積み、今は多くのライブを精力的にこなし、芸を磨いている最中です」

「宮迫の息子」としてではなく、一人の芸人として――。藤井陸の芸人人生は続く。

編集部で漫才も披露してくれた
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  • 写真小松寛之

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