太平洋往復に成功した辛坊治郎に「元パートナー」が贈る言葉 | FRIDAYデジタル

太平洋往復に成功した辛坊治郎に「元パートナー」が贈る言葉

'13年に全盲セーラー・岩本光弘氏と挑戦するも失敗 65歳という高齢で「最後の挑戦」に挑んだ

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‘13年に太平洋横断に挑戦した岩本氏(左)と辛坊氏(右)。クジラにぶつかり、失敗するも当時から再挑戦について話していた。
‘13年に太平洋横断に挑戦した岩本氏(左)と辛坊氏(右)。クジラにぶつかり、失敗するも当時から再挑戦について話していた。

「人は必ず死ぬということがよくわかった」

8月24日、太平洋無寄港往復に成功したフリーキャスターの辛坊治郎(65)は、そう航海を振り返った。辛坊は今年4月9日、愛妻の名前をつけたヨット『KaorinV号』に乗りこみ、大阪・淡輪から米国サンディエゴを目指して出発。6月16日、サンディエゴに到着すると、なんと帰路も太平洋横断に挑戦すると表明した。ゴールに辿りついた辛坊の顔は痩せこけ、髭は伸び放題。冒頭の言葉どおり、航海が死と隣り合わせであったことをうかがわせた。

なぜ、辛坊は65歳という高齢で命を賭けた航海に挑んだのか。「辛坊にとっての悲願だったんです」と語るのは’13年にパートナーとして、太平洋横断に挑戦した全盲セーラーの岩本光弘氏(54)だ。

「’13年に辛坊さんは私と『ブラインドセーリングプロジェクト』と題して太平洋横断に挑戦したのですが、クジラにぶつかって座礁してしまった。ところが、辛坊さんはめげるどころか、救命イカダの上で『また挑戦しよう』とリベンジを誓ったのです。海上自衛隊に救助されて、謝罪会見を開くという大騒動になったので、当時は口が裂けてもそんなことは言えなかったけど、2人で漂流しながら再挑戦の話をしたことをよく覚えています」

岩本氏は‘19年に全盲セーラーとして初の太平洋横断に成功し、冒険家にとって最高の栄誉である『植村直己冒険賞』を受賞した。パートナーの快挙が辛坊の情熱に火をつけたのだという。

「辛坊さんは本当に悔しがっていましたからね。なんとしても太平洋横断を成功させたいと、ずっと計画を練っていました。高齢で筋肉が落ちてきてしまったことや、私が横断に成功したのを見て、『挑戦するならいましかない』と決心したのです。出発前に辛坊さんと会ったとき、私は『何が起きても慌てず、ゆっくりと太平洋を楽しんで。船を大事にしていれば、船がゴールまで運んでくれる』と声をかけました。私が挑戦したときも航海は本当に辛かったから、怪我なく、あまり苦労することなくゴールしてほしいと願っていました」

大航海を終えて辛坊は「普通のおじいちゃんに戻ります」と笑った。悲願を達成し、人生をかけた挑戦にも一区切り。それは岩本氏も同じだった。

「私が太平洋横断に成功したとき、心の底からは喜べなかった。辛坊さんがまだゴールしていなかったからです。それがずっと胸につっかえていたんです。でも、辛坊さんが太平洋横断に成功してくれたおかげで、ようやく喜べるようになった。ありがとうと伝えたいです。

できることなら、また辛坊さんと海に出たいですね。全国の港をめぐりながら、日本一周をしたい。立ち寄った港の近くの学校で夢を伝える講演を2人でできたらいいですね」

まだまだ「普通のおじいちゃん」は戻れそうもない。

  • 写真共同通信

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