医療従事者、元役員秘書…5人制サッカー代表を支える3人の女神 | FRIDAYデジタル

医療従事者、元役員秘書…5人制サッカー代表を支える3人の女神

サッカー日本代表・森保一監督が一目置いた、5人制サッカー(ブラインドサッカー)日本代表を支える3人の女子マネージャーの知られざる秘話

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2019年10月、タイで行われたアジア選手権で3位になった直後、ブラインドサッカー日本代表女子マネージャー3人が揃って撮影。左から佐藤悠さん、神山明子さん、西永彩乃さん。パラリンピックでは何色のメダルを下げられるか(写真提供:日本ブラインドサッカー協会)

東京パラリンピックに初出場するブラインドサッカー日本代表が昨夏、合宿を行ったとき、サッカーA代表の森保一監督がひそかに訪れた。日本サッカー界の頂点のチームを率いる指揮官は練習終了後、ブラインドサッカー日本代表の高田敏志監督に、選手のことだけでなく、女子マネージャー(女子マネ)についてもこう話した。

「ピッチ、ピッチ外問わず、全員が自分の仕事に集中し、動いている姿にものすごく感心しました」

3人の女子マネのうち、2人は現役の医療従事者やNTTの社員。本業は別にある。そんな中、この丸5年間、自分の時間の大半をブラインドサッカーに捧げてこられた背景に3人が偶然、同じ場所に居合わせ、味わった悔しい瞬間があった。

3人が女子マネージャーになるまでの「ドラマ」

それは、2015年9月7日、東京・代々木で開かれた、リオデジャネイロパラリンピック出場をかけたアジア選手権にさかのぼる。

「私は当時、ブラインドサッカー日本代表チームの分析のお手伝いをさせていただき、他国の試合のビデオを回していました。出場権は上位2カ国でしたが、最終日の韓国戦を迎える前日にイランと中国に決まってしまって…。選手たちが7日の3位決定戦を心震わせて戦っても、パラリンピックには届かない。悔しかったですね」

そう明かすのは3人の女子マネージャーのリーダー的存在の神山(こうやま)明子さんだ。

神山さんがブラインドサッカー(ブラサカ)に出会ったのは大学2年のとき。サッカー日本代表戦の初戦を国立競技場に見に行くと、ブラサカ日本代表がアルゼンチン遠征に行くための募金活動が目に入った。存在に興味を持った神山さんは後日、リーグ戦を見に行くと衝撃を受けた。

「(目を隠す)アイマスクをしているのに、どうしてこんなに走り回ったりシュートが決まるの?」

その時知り合った選手がAVANZAREつくばにいて、すぐに加入。大学卒業後は銀行員になり、結婚を機に一度退職。その後、ある独立行政法人に入り、役員秘書をつとめた。その間、キャリアが変わってもブラサカは続け、所属チームの監督だった魚住稿氏が2012年6月から日本代表監督に就任すると、日本代表ユースチームの活動も手伝うようになり、冒頭の場面につながっていく。

猛暑の中、選手が飲む水と氷を用意する3人。感染症には最大限、気を配ってきている(写真提供:日本ブラインドサッカー協会)

リオ五輪後の2016年秋、高田敏志監督の体制が発足すると、神山さんは女子マネージャーに就任。数か月後に役員秘書の仕事を離れ、日本ブラインドサッカー協会の職員となった。のちほど紹介する女子マネージャーの佐藤悠さんは現役の理学療法士、西永彩乃さんはNTT東日本の社員のため、平日はマネージャー業はできない。神山さんは役員秘書の時に必要とされたスケジュール管理が大いに役立った。選手の合宿や大会の宿舎の手配や遠征準備、海外遠征で現地調達できる物の調査を行い、女子マネ同志の予定も調整。仕事は多岐にわたる。

昨年から続くコロナ禍の中、合宿を重ね、6月には東京・品川で国際大会も開かれた。感染予防を徹底するため、全盲の選手たちが移動するときに、誰の手引きで歩くか、ということまで予め決めていた。神山さんが続ける。

「ある平日に練習に参加するため、協会で働く日本代表の寺西一選手と一緒に、最寄りの駅から手引きしながら向かったことがありました。ちょうど電車が来たので階段をのぼって2人で電車に飛び乗ったら、寺西選手から『この電車、(行きたい方向と)逆じゃないですか?』と言われて間違いに気づき、あわてて下りて難を逃れたことがあります。私が支えるというよりは、逆に助けてもらったりしていますね」

一緒にすごす時間が長くなれば、自然と感情移入する。優勝を目指した2019年秋のアジア選手権(タイ)で結果的に3位に終わった話を振り返った時は、すでに約2年がたとうとしているのに悔しさで目を潤ませ、声を震わせた。

「私はImpossibule is nothingという言葉が好きです。選手たちの中には私より年上の40歳を超えた選手が何人もいますが、そういう選手たちが年齢を重ねるほどうまくなっていく姿を見ると、不可能なことって世の中にはないんだなって感じて…そういう選手たちは見ているのはすごく楽しいんです」

海外遠征で外を歩くときは選手の手引きをする。エース川村怜と一緒に歩く神山さん(左)

2015年、神山さんがビデオを回していた時、ボランティアスタッフとして場内アナウンスをしていたのが西永彩乃さんだ。

「私は会場の設営やアナウンスをしていました。中立の立場にいなければいけなかったんですけど、国歌斉唱のアナウンスをするときは、もうパラリンピックに出れないことが決まった中で試合をする日本選手たちの気持ちを考えて、半泣きの状態になってしまって…」

大学では体育会のフィールドホッケー選手だった西永さんは競技引退後、家族と一緒に「ブラサカ日本代表の練習サポート」のボランティアに参加。大学時代までトップレベルで競技に打ち込んだ西永さんはブラサカ選手の「見えない中でプレーしながら、それを感じさせない強さ」に感銘を受けた。就職後もボランティア活動を継続し、場内アナウンスもその一環だった。

2016年秋、神山さんと同じ時期に女子マネージャーになると、高田監督のもと、あらゆる変革がはじまる。守備的なチームから点をとれるチームに180度変えるため、個々の技術をあげるコーチから、メディカル体制に至るまで各専門スタッフを招いた。ウェブ上で数値管理し、更新作業を続ける上で、NTT東日本に勤務する西永さんの力は大きかった。ハード面の整備、更新に奔走する西永さんは、同じぐらいに大事にしていることがある。

「選手をサポートしたり支えたりする立場なので、やっぱり明るかったり、癒しのような存在でありたい」

ブラインドサッカー界では世界で例を見ない高地トレーニングに励む選手たち。タイムを計るのは西永さん(写真提供:日本ブラインドサッカー協会)

チームにとって「転ばぬ先の杖」

2019年11月、優勝を目指したアジア選手権準決勝(タイ)で、中国に2-2で引き分け、PK戦の末、敗れた。この時、最後のキッカーを任されたのが当時16歳の園部優月(筑波大学付属視覚特別支援学校)だった。チーム内でも園部のPKのうまさは高く評価されていたが、園部はこのタイ遠征が初の海外経験。中国戦は1分もピッチに立っていなかった。いきなりの抜てきに緊張もあったのだろう、蹴ったボールは左のポストをかすめてわずかに外れ、敗戦が決まった。

試合後、泣きはらす園部に西永さんはひと言、こう声をかけた。

「ユヅキには次もあるでしょう?」

西永さんには園部と同じ年代の弟がいる。16歳で日の丸をつけて敗戦の責任を一身に背負う姿を放っておけなかった。簡単に声をかけられる状況ではない中、西永さんは弟を励ますような気持ちで声をかけた。今回のパラリンピックのメンバーに選ばれた園部にとって、きっと再起の力になったに違いない。

西永さんが涙をこらえて国歌斉唱のアナウンスをした試合後、会場で涙をこらえられなかったのが佐藤悠さんだ。

「パラリンピックに『行ける』と信じてサポートしていました。リオのパラリンピックが終わった後も、気持ちはブラジルに飛んでいました…」

そう明かす佐藤さんは3人の中で女子マネ業は一番長い。魚住前監督の体制が発足して少し経過した2013年から日本代表チームに加わった。当時はメーンで女子マネージャー業をする人をサポートする役回りだった。

佐藤さんがブラサカと出会ったのは、理学療法士の専門学校に在学中の頃。のちにブラサカ日本代表のメディカルスタッフになる阿部良平氏と同じ学校に通っていて一緒に見に行ったのがきっかけだ。すぐに、自宅近くで活動していた八王子のたまハッサーズに加入した。

「見えない状態でサッカーをすること、見えない状態でドリブルで中央突破していく姿を今でも覚えてるんですけど、ただただ、すごいな、と」

平日は神奈川県内の病院で働く理学療法士。おもに脳卒中や骨折後の患者さんのリハビリをしたり、佐藤さんより若い理学療法士たちの管理業務も行う。勤務する病院は手術後、落ち着いてリハビリに取り組むための病院で、新型コロナウイルスの感染者を受け入れているわけではないが、医療従事者としてウイルスや菌を持ち込まないよう、徹底している。

「コロナのニュースが出始めて以来、食事は自宅か職場で一言も喋らず、そして、しゃべるのはマスクをしてから、という生活をずっと続けています。誰かと外で会食したのも、最後いつでしたかね…」

リオ五輪に続き、マネージャーに就任すると、管理栄養士と連携して食事の準備の手伝いや練習と試合の飲み物の管理などの仕事に専念している。

「リハビリの場合、患者さんが転ばないように、ちょっと広い視野で見て、リスク管理をするようにしていますが、ブラサカの現場でもどういうところが危ないか、こうしておいた方がいいかなとか、何か予測しなければいけない場面で、生きているかもしれません」

佐藤さんは、リハビリに励む患者さんを見るような視点で、選手にも接する。ブラサカの場合、ベンチに入れる選手は10人だが、試合のピッチに立てるのは5人。入れ替えは自由に行えるが、監督、コーチ陣は試合になるとどうしても、スタートに立つ5人の選手の状態に目がいきがちだ。

佐藤さんはそうなることも見越して、ベンチスタートの選手の飲み物が不足していないか、といったことの方も気になるという。どんな立場にいる選手だろうが、同じ1人の人間として考える。佐藤さんは、チームにとって「転ばぬ先の杖」なのだ。

2019年夏、暑熱対策として行った合宿。気温は32度近くまであがったが、日かげがないピッチ脇で佐藤さん(右端)は選手の動きを見守った

ゆっくり言葉を選びながら話す佐藤さんだが、所属チームでガイドとして出場し、ゴールが決まると、ピッチ内の歓喜の輪に走って飛び込む。熱い気持ちは奥底にそっとしまってあるのだ。

「私がブラサカに関わっていなかったら、喜怒哀楽をこんなに爆発させることは、本当になかったと思うんですよ」

ちょうど6年前の9月。それぞれ違う立場で同じ試合を見た3人が引き寄せられるように女子マネになり、ブラサカ日本代表とともに伴走してきた。29日にはじまる予選リーグはフランス、パラ4連覇中のブラジル、金メダルの呼び声高い中国と相手に不足はない。

それでも、パラリンピック出場を逃して会場で涙を流した佐藤さんは、今度は歓喜の涙を流したい。そう信じている。

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